このところ仕事が立て込んでいて、気がつくとこの三週間ぐらいは完全な休日というのがまったくない。せめて一日ぐらいはと、本日は駅前に出て大学通りとさくら通りの桜見物にいく。なんだか今年は開花の時期と週末のタイミングが微妙に悪いようで、勤め人には正味、この週末が唯一の花見のチャンスであろう。なのに午後からは予報どおり天気が崩れてしまうわけで、ううむ、儚いのぅ。
バルドゥイン・グロラーの短編集『探偵ダゴベルトの功績と冒険』を読む。まずは収録作。
Die feinen Zigarren「上等の葉巻」
Der grosse Rubin「大粒のルビー」
Der schrectliche Brief「恐ろしい手紙」
Ein sonderbarer Fall「特別な事件」
Dagoberts Ferienarbeit「ダゴベルト休暇中の仕事」
Eine Verhaftung「ある逮捕」
Das halsband der Gesandtin「公使夫人の首飾り」
Empfang beim Ministerpraäsidenten「首相邸のレセプション」
Dagoberts unfreiwillige Reise「ダゴベルトの不本意な旅」

著者は十九世紀末から二十世紀初頭にかけて活躍したオーストリアの作家である。ホームズの大ヒットはドイツ語圏においても大きな影響を与え、探偵小説が多く書かれた。その中でもバルドゥイン・グロラーはオーストリアのコナン・ドイルとも呼ばれるほど人気があったらしく、探偵小説としての代表作が探偵ダゴベルトを主人公としたシリーズであったらしい。
ダゴベルトはいわば高等遊民である。退役した身だが経済的にも困ることなく、いまは音楽と犯罪学に情熱を燃やしつつ、ときにウィーンの社交界に起こる事件を解決するアマチュア探偵でもある。
時代的にはいわゆる”シャーロック・ホームズのライヴァル”の一人ということになるが、もちろんグロラーもホームズ譚を強く意識していたはずである。ではグロラーの描いたダゴベルトの物語は、ホームズ譚と比べてどこが違うのか、どこに魅力があったのか。
ぶっちゃけ言うと、ミステリとしてのレベルはさほど期待しない方がいい。ソーンダイク博士を髣髴とさせるダゴベルトの科学的な捜査方法は、クラシックファンならではの温かい目で見ればまずまず許せるといったレベルではあるが、いかんせん現代ものしか読まない一見さんには辛かろう。
畢竟、読みどころはストーリーや世界観、キャラクターといったところになるだろう。世紀末のウィーン、しかも上流社会を舞台にしたミステリというだけで相当のレア感はあるわけで、登場人物のやりとりなどから当時のウィーンの暮らしぶりや価値観をうかがえてなかなか楽しい。
特筆すべきなのは、ダゴベルトが依頼される事件が、どれもこれもブルジョワたちの尻ぬぐいであるということ。上流階級の人々はその身分ゆえ常に様々な危険にもさらされている。そしてそれがスキャンダルにつながることを極度に怖れ、それゆえダゴベルトに秘密裏に依頼が舞い込むのだ。
この部分を単なる上流社会へのゴシップ的興味で読むか、それとも虚飾に満ちあふれた上流社会の脆さ、オーストリアの脆弱さを浮かび上がらせるものとして読むかどうかでずいぶん印象は変わるだろう。当時の人気はおそらく上流社会へのゴシップ的興味として読まれた面が大きいと思うのだが、果たしてグロラー自身がどちらの方向を意識していたのか気になるところである。
残念なのはどちらにしてもグロラーの視線にあまり市井の人々が入っていないことだ。ホームズの物語との最も大きな違いはその点にこそあるわけで、だからこそホームズは世界中の人々から共感を得た。ブルジョワの味方であってもそれが悪いというわけではなく、そう思うグロラー自身の真意やメッセージがより強く感じられる仕掛けがほしかったところである。
まあ、そうはいっても”シャーロック・ホームズのライヴァル”としては相当にレア度合いも高く、その世界観もかなり異色。そのあたりに興味がある向きには十分に楽しめる一冊だろう。