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 昨年からボチボチと読み進めていたトーベ・ヤンソンのムーミン・シリーズも本作で打ち止め。アニメで知ったムーミンとはまったく異なる世界を堪能してきたのだが、最終作たる『ムーミン谷の十一月』はそのなかでも極めつけの異色作品であった。

 冬も間近な十一月。長い冬眠の時期を前に、人恋しくなってムーミン家に集まってきたスナフキン、ヘムレン、フィリフヨンカ、ホムサ・トフト、ミムラねえさん、スクルッタおじさん。しかし、肝心のムーミン一家はなぜか留守。一家にあって心和ませるはずだった彼らは、それぞれの思いを胸に、ムーミン屋敷でしばしの共同生活をすることになるが……。

 ムーミン谷の十一月

  前作『ムーミンパパ海へいく』で灯台のある島へ旅立ったムーミン一家。その留守中の出来事を描いたというのが本作の基本構造である。その結果として主人公のムーミン一家は一切登場せず、すべてがサブキャラクターだけで進められる物語となっている。極めつけの異色作と書いた所以である。
 まあシリーズものを書く作家なら一度は試したくなるスピンオフ的な設定なのかもしれないが、短編とかで試すならともかく、ヤンソンさんはそれをシリーズ最終作の長編でやってしまうからあっぱれ。

 当然だが、読後感も従来の作品とはも相当に異なる。ムーミンたちがいないことで各キャラクターの存在感が強まるのは当然なのだが、会えないことによる喪失感が、より彼らの個性を際立たせるのだ。
 例えばヘムレンやフィリフヨンカがムーミンパパやママに対して抱く理想的な父親像、母親像。それはときに憧れであり、ときに嫉妬であったりもするのだが、当初は否定しつつも、やがて他者との交流を通じ、徐々に自身の中で確かなものとして受け止めていく。あるいはムーミンパパだったらどうするか、ムーミンママだったらどう考えるか、心の物差しを一家に求めることで、独りよがりではない自身の生き方を再確認する。
 こういった意識の移り変わりが絶妙というか、大きな事件を起こすことなく淡々と描いていく語りの巧さに脱帽なのである。

 そして何より興味深いのは、ここまで個性的な面々に影響を与えてしまう不在のムーミン一家である。本作における彼らは不在でありながら、その存在感は抜群。ここまで他者に影響を与える存在というものがあるとすれば、それは神か死者ぐらいしか思い浮かばないのだが、これはもしかすると我ながらいいところをついているかもしれない。最後のエピソードでも、これまでならムーミンたちを登場させたと思うのだが、そこすらシャットアウトしているし。
 もちろんこれはムーミンたちが死んだとかではなく(笑)、象徴という存在として描かれているのではないかということ。本作の「十一月」というのも、ムーミンたちの冬眠前夜という直接的なことだけではなく、人生の晩秋という意味も込められているはずである。
 まあ、もしかすると読み違えもありそうな気もするが(笑)、しばらくはこの余韻に浸ってみたい。そうしていつの日か、またシリーズを再読してみたいと思う次第である。


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 ムーミン・シリーズの第八作、『ムーミンパパ海へいく』を読む。
 夏頃からムーミンの原作小説を読んできたが、きっかけは今年が著者トーベ・ヤンソンの生誕百周年であったこと、もうひとつは世界観がアニメと小説でかなり異なるということに興味があったからだ。
 実際、これまで七作を読んできて、予想以上に暗く陰のある世界観、エキセントリックな登場人物たちは、これまでアニメでの印象がほとんどだった管理人にとってかなりの目ウロコ本であった。そこに描かれているものや描き方が、明らかに大人の鑑賞を意識しているものばかりだったからだ。
 そして八作目の『ムーミンパパ海へいく』。本書は大人の鑑賞を意識しているというよりは、明らかに大人が読むべき作品となっていた。

 可愛いムーミントロールや優しいムーミンママ、そして素敵な仲間たちに囲まれて暮らす生活もいいけれど、ムーミンパパには平和すぎて少々物足りない。やはり一家のあるじたるもの、プライドと責任を発揮すべき機会と場所が必要である。
 そう決心したムーミンパパは家族とミィ(なんといつの間にかムーミン家の養女になっている)を連れて海を越え、とある小島で灯台守として生きる決心をする。しかし慣れない土地での生活は思った以上に厳しかった……。

 ムーミンパパ海へいく

 これまで読んできたシリーズ中で最も暗いイメージの作品である。ストーリー的にはムーミンパパが完璧な父親像をめざすために悪戦苦闘するという流れだが、そこには家族を守る使命感という、いかにもファンタジー然としたファクターだけでなく、理想と現実のあいだで悩むパパの姿——見栄や虚勢といった生臭い部分を強調しているのが要注目。
 また、ムーミンパパのそうした行動が、結果的に少しずつ家庭の崩壊を招き、その壊れ方を克明に描いているのがなんとも凄まじい。

 例えば家族のためにすることがなくなったムーミンママが、自分自身の自我に入り込んでいくような展開、それに伴うママの人格の変化など、シリーズのファンなら思わず息をのむような描写も多い。
 ムーミンママと言えばシリーズの数多いキャラクターの中でも、とりわけ自分を見失わない強さを持っているキャラクターだ。登場人物たちが様々な事件に遭遇し、その度に愚かさをさらけ出すがママだけは別格。皆が最後に帰るべき家の象徴ともいえる存在なのだ。
 そのムーミンママが自分の描いた絵の中に入っていくシーンは、明らかに彼女自身が帰るべきところを欲しているわけで、ある意味ショッキングである。彼女はムーミンパパを常に立てることを忘れない優しい妻ではあるのだが、明らかにそのツケが回ってきているのである。

 それに比べるとムーミントロールの方はまだ罪がない。彼は家庭の崩壊云々以前に、思春期や独立心が目覚めるべき時期なのである。
 それが父親の愚挙をきっかけにより促されるわけだが、それ以外にもモランや"うみうま"といったキャラクターとの交わりも大きいといえるだろう。ムーミントロールはこれらのキャラクターとの交流を家族に話さないのだが、これも彼らが人間の負や背徳の部分を象徴しているようなキャラクターだからに他ならない。
 彼らとの交流はムーミントロールにとって決してプラスになるわけではないが、大人への一歩としては間違いなく必要なことなのだ。

 こうして望むと望まないとにかかわらず、一家の心は離れてゆくけれど、ラストではいつもどおり希望の調べは流れるのでご安心を。

 とはいえトータルではやはりこの暗さは別格である。七作目まで読んだ段階でも、まさか本書でここまでの物語を読まされるとは予想していなかった。面白さだけなら他の作品で十分だが、ムーミン物語を読む意義は本書にこそあるのかもしれない。
 個人的には文句なくシリーズのイチ押し。
 ただし、シリーズを順番に読むかぎりにおいて。


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 ムーミン・シリーズ第七作目の『ムーミン谷の仲間たち』を読む。ムーミン谷の様々なキャラクターたちをそれぞれ主人公にした、シリーズ唯一の短編集。収録作は以下のとおり。

「春のしらべ」
「ぞっとする話」
「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」
「世界でいちばんさいごのりゅう」
「しずかなのがすきなヘムレンさん」
「目に見えない子」
「ニョロニョロのひみつ」
「スニフとセドリックのこと」
「もみの木」

 ムーミン谷の仲間たち

 短編集ということで、やはり長篇とははずいぶん異なる印象をもった。
 何というか作者の描写がずいぶん強烈で、それは長篇でも同じなのだが、ただ長篇の場合はゆったりと流れる時間の中にエピソードが溶けこみ、ほどよい濃淡を残しつつも中和され、独特のムードを醸し出すイメージなのだ。一方、短編はそういうオブラートの部分がなくて、作者の主張がそのままぶつけられる。
 ただし、主張がそのままぶつけられるといっても、決してわかりやすいという話ではない。繰り返しになるが描写は強烈だし、スマートな起承転結があるわけでもない。そこから読者がおのおのメッセージを受け止めて咀嚼する必要があるのだ。

 以下、作品ごとの感想。

 「春のしらべ」は孤独な芸術家スナフキンの物語。自立と孤独が背中合わせであり、さらには友情と孤独のバランスの難しさを問うている。

 「ぞっとする話」は嘘つきホムサ少年が、大人の現実の世界と子供の空想の世界の狭間で揺れ動く。毒をもって毒を制すがごとく、現実の厳しさを体現したミィという存在が、少年を新たなステージに導いていく。本作でのミィのキャラクターはとりわけ秀逸である。

 比較的わかりやすい部類に入る「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」。物欲や慣習に縛られる人間の愚かさを描く。あえてフィリフヨンカという気弱なキャラクターを出すところに、作者ヤンソンの容赦のなさがうかがえる。怖いのぅ。

 「世界でいちばんさいごのりゅう」はムーミントロールがこっそり飼おうとした小さな竜にまつわる話。ところが竜はスナフキンになついてしまい……。愛し愛されることは必ずしも互いに報われるわけではないという絶対的な事実。これは切ない。

 北欧の個人主義を端的に表している「しずかなのがすきなヘムレンさん」。こういう自立する精神を、家族愛とは別の意味でヤンソンは非常に大事にしているのがわかる。とどのつまりはそのバランスが大切なんだけどね。

 おばさんに皮肉を言われ続けて姿が消えてしまった女の子ニンニの話「目に見えない子」。表面的にはユーモラスだが、これまた深い。感情を失うということが、そのまま人間としての欠落であるということを示しているのだが、それは「怒り」といった、一見マイナスの感情もまた人間には必要なのだというメッセージ。

 「ニョロニョロのひみつ」では放浪癖のあるムーミンパパがニョロニョロの秘密を知りたくて旅に出る。このシリーズはパパが絡むととりわけ哲学的になる傾向があるが、本作も自由やコミュニケーション、生き甲斐など、様々なテーマをひっくるめてテーゼとしている。

 「スニフとセドリックのこと」は繰り返し語られることの多い物欲への戒めの物語である。相変わらず根暗のスニフと大人なスナフキン。ほぼ二人の会話だけで進む構成がいい味を出している。

 「もみの木」は、ヘムレンさんの失敗で冬眠中のムーミン一家が目覚めてしまったところから幕を開ける。折しも村の人々はクリスマスの準備の真っ最中だったが、ムーミン一家は何のことやらわからず……。
 ラストを飾るのにふさわしいユーモラスな一篇。ひどい話を書いても、ヤンソンは結局こういう形で一冊をまとめるから救われるのだ。

 さて総括。全体的にアクの強さはシリーズ中でもトップクラス。それだけに本作は大人のための童話といった方がいいのかもしれない。ムーミン一家の登場する話は少ないし、失敗作という声もあるけれど、いやあ、これは悪くない。むしろ上位にもってきたい作品集だ。


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 トーベ・ヤンソンの『ムーミン谷の冬』を読む。シリーズ第六作。

 松葉をたっぷりと食べて冬眠に入ったムーミンやその仲間たち。ムーミンたちは昔からは11月から4月まで冬眠するのが習わしで、今までそれが破られたことはない。ところがなぜかたった一人、ムーミントロールは冬の真っ只中で目覚めてしまう。
 はじめて見る雪の世界はしんとして、すべてが止まってしまった世界のようだ。起こしても起きないパパやママ、葉っぱがすべて落ちてしまった木々を見て、ムーミントロールは世界が死んでしまったと思い込む。だけど、そんな世界にもさまざまな出会いがあった。すばらしいしっぽをもったりす、とんがりねずみ、サロメちゃん、めそめそくん、おしゃまさん、ご先祖さま……。

 ムーミン谷の冬

 これはなかなか。
 ムーミン谷ではしょっちゅう天変地異が起こるので、読むたびに今回は異色作だなぁと思ったりするのだが、本作はムーミントロールがただ冬を越すだけの物語である。さほど大きな事件も起こらないという意味では、逆に異色作といってもいいかもしれない(笑)。
 ただ、本作のテーマや内容は明らかにこれまでの作品とは違っている。いや、違っているという言い方は適切ではないな。一線を越えたという感じなのだ。 

 これまでの作品と同様、表面的にはわかりやすい話である。少し読めば、冬が意味するものはムーミントロールが成長するための通過儀礼なのだとわかる。
 ただ、その通過儀礼が重い。児童書にしては、ましてや擬人化された可愛いキャラクターたちが登場する物語にしては、なかなかダークでハードな展開になっている。
 それは冬景色の描写であったり、あるいはそれに対するムーミントロールの受け止め方であったりする。すなわち冬のイメージは孤独の世界であり、死の世界である。何より強烈なのはあるキャラクターの"死"の場面までが描かれていることだろう。
 そもそもこのシリーズには戦時下の恐怖が物語に反映されることは多いのだが、それは"動"のイメージで、登場人物たちも持ち前の脳天気さや前向きな行動によって、人生を謳歌することは忘れない。対して本作では"静"のイメージ。自分たちでは変えることがかなわない状況であり、ひたすら我慢強く堪え忍ぶしかないのである。

 もちろんこのまま話が終わるはずもなく、いつものように新しい仲間との出会いがあり、一同はこの状況すら愉しんでしまう。冬のいいところも描かれ、物語は徐々に春に向けて進んでいくのだ。
 そして冬が終わるとき、ムーミントロールはまたひとつ大人になるのである。

 本作ではおなじみのキャラクターがほとんど登場しないのも大きな特徴だ。ムーミントロール以外ではミィぐらいである。ミィはムーミントロールと違い常に前向き・攻撃的であり、冬の世界でもアグレッシブに過ごしている。スナフキンとタイプは違うが、彼女もまたムーミントロールを導く一人といっていいだろう。
 その他の主要キャラクターはほとんどが初登場である。特におしゃまさんというキャラクターは重要で、冬の間、ムーミン屋敷の水浴び小屋に勝手に(笑)住みついている。目覚めたムーミントロールに冬についていろいろなことを教えてくれるが、彼女はムーミントロールを導くというより、冬の必要性を知らしめ、春の訪れを象徴する精霊のような存在なのかもしれない。
 他にもムーミンのご先祖様やめそめそくん、すばらしいしっぽを持ったリスなど印象的なキャラクターは多く、ムーミン谷の冬ならではの光景が描かれていくのが興味深い。

 これまでシリーズ六作を読んできたが、本作はいわゆる冒険の旅がない、もっとも静かな物語である。しかし、その内包するものがもっとも重く、個人的には一番印象に残る作品であった。


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 ムーミン・シリーズの五作目『ムーミン谷の夏まつり』を読む。全九作なので、これがちょうど折り返し地点。

 平和な六月のムーミン谷に、突然、大洪水が押し寄せた。ムーミン屋敷もすっかり浸水してしまい、ムーミンたちは流れてきた一軒の大きな家に移り住む。
 実はそれは劇場だったのだが、ムーミンたちはそもそも劇場が何なのかもわからない。普通の家とはずいぶん違った作りに悩みながらも、すぐに馴染んでゆく一同。ところが、家の中にはお化けが出るとか出ないとか騒動が持ち上がり、おまけにふとしたはずみでムーミントロールとスノークのお嬢さん、そしてミイが立て続けに離ればなれになってしまう……。

 ムーミン谷の夏まつり

 著者の戦争体験がムーミン物語に影響しているというのは前にも書いたとおり。過去の作品では、それが彗星衝突や火山の噴火、洪水、離ればなれになった家族を捜すといった物語として反映されている。
 本作でも正にそういう展開で、また災害の話かと少々飽きてきた感もないではない。だが、戦争の影響もあるにはあるのだろうが、どちらかというと本作では物語を転がす手段として用いている節も感じられる。
 というのも、本作では離ればなれになったそれぞれのグループごとに異なるドラマが用意されており、むしろそちらの方にこそ、より大きなテーマ性を感じられるからだ。もちろん離ればなれの家族の再会は大きな柱なのだが、もはやそういう流れは単にムーミン物語のスタイルという面が強くなってきているのではないだろうか。

 で、グループごとのドラマというかエピソードだが、大きく三つのパートで進行していく。
 とりわけ面白かったのが、ミイとスナフキンのパート。もともとはミイが一人ではぐれるのだが、そこにムーミン谷を目指していたスナフキンが合流する。自由人のスナフキンは理不尽なルールを憎み、公園の立て札を引っこ抜いたり、ニョロニョロを使って公園番を攻撃したり、果ては親のいない子供たちの世話をする羽目になったりと、これまで以上に人間臭くアグレッシブ(笑)。それこそ戦時下のフィンランド人の心情を表しているかのようだ。
 そこに常に憎まれ口をたたくミイが加わる。シニカルだがけっこう真実を突いていたりするミイは、今回のスナフキンと一緒になることで、人間の攻撃的な部分を感じさせる。

 かたやムーミントロールとスノークのお嬢さんの二人組。前向きだがなるようになるさという二人の姿勢が、しがらみや慣習に縛られているフィリフヨンカの生き方を変えるきっかけになるというエピソードがいい。ミイとスナフキンのコンビとの対比が効いているのも○。

 ムーミンパパ&ママをはじめとする残りの面子は、劇場でお芝居をやることになるのだが、こちらのパートには新顔のホムサ、ミーサ、エンマといった面々が加わっている。ムーミン一家との価値観の違いを、さまざままキャラクターによって語らせているわけである。
 エンマやミーサはムーミン一家に苛立ち、パパたちもときには困惑するものの、最終的には皆の生きたい道につながっていく。これを道理ではなく、ドタバタしたやりとりの結果として見せてくれるのが著者の巧さであり、染みるところなのだ。

 トータルとしては、過去四作に比べるとずいぶん違う印象を受けた。家族の再会という点では似たようなストーリーと言えないこともないのだが、上記のように三つのパートを同時進行させて技巧的にメッセージを組み立てている。これまでのセンスだけでもっていった作品とは少し異なり、より習熟したヤンソンの語りを楽しめる、そんな作品といえるだろう。
 スナフキン推しの方には特におすすめ(笑)。


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 たまたま仕事の都合がうまくついたので、本日は平日休み。疲れもあるので家でゴロゴロしていようかとも思ったが、昼飯がてら埼玉の「あけぼの子どもの森公園」までクルマをとばしてみる。
 実はここは隠れたムーミン・スポット。大々的にムーミン公園とは謳っていないが、正式に著者のトーベ・ヤンソンから許可を受け、ムーミン世界の「自然との共生」とか「自我と自由の尊重」理念を掲げた公園なのだ。
 キャラクターの認可を受けてはいないらしく、ムーミンそのものはいないのが玉に瑕だが(笑)、建物や雰囲気の再現度はなかなかのもので、初めて見る人ならちょっと驚くぐらいのレベルはある。
 ちなみにそれほどの広さはなく、レストラン等の類もないのが惜しい(売店のムーミングッズはなかなか充実しているけれど)。天気の好い日などに弁当持参でくるのが吉。

あけぼの子どもの森公園



 そんなわけで本日の読了本も、ムーミン・シリーズの第四作『ムーミンパパの思い出』。
 本作はムーミンパパが主人公を務める異色作である。あるとき風邪をひいたのがきっかけで、自分の生い立ちを本に残しておこうと決めたムーミンパパ。自叙伝を日々書きつづっては、できたところまでをムーミントロールやスニフたちに語って聞かせるという結構だ。
 あくまでメインはパパの物語パートだが、骨休みのような形で現在のムーミンたちのパートが入り、いいアクセントになっている。

ムーミンパパの思い出

 もちろんムーミンパパのパートも面白い。というか、これまでシリーズを順番に四作読んでみたが、そのなかでは一番気に入った作品である。
 気に入った理由はいろいろあるが、まずは何といってもムーミンパパのキャラクター。ムーミントロールにも受け継がれた冒険心・好奇心に加え、芸術的志向が強くて、ムーミントロールをさらにパワーアップした感じである。
 その性格が元になってさまざまな事件を巻き起こしたりするので、実はけっこう迷惑で痛い奴でもあるのだが、そのピュアな精神はストレートにこちらの心に響いてくる。
 建前とかは無縁である。ムーミンパパをはじめとする住人たちは、それこそありのままの人たちなのだ。だから現代人が避けては通れない諸々のしがらみをムーミンパパたちは易々と(そうじゃない場合もあるけれど)乗り越えて進んでいく。
 大人にこそ読んでもらいたいというのはムーミン物語を褒めるときの常套句だが、まさしくその通りなのだ。そんなムーミンたちの生き方なんて普通にはできないからこそ、この物語を読んで、そういった正しい感覚を忘れないようにしないといけないのだ。

 まあ、そんな固く考えなくてもいいか。本作はムーミンパパの物語だが、同時に物語全体の設定をかなり明らかにしてくれるという意味でも楽しい。
 ムーミンパパが孤児で、孤児院を脱走して冒険に乗り出すというオープニングだけでも衝撃的なのに、スニフのパパ"ロッドユール"やスナフキンのパパ"ヨクサル"との出会い、スナフキンとミイの関係、ムーミンママとの出会いなど、見どころ目白押しである。
 そしてラスト。唐突ではあるが、いつものように必ず希望の灯りを点して幕を閉じるのが素晴らしい。

 アニメでしか知らなかったムーミンパパのイメージを、圧倒的に変えてくれる一作。堪能しました。


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 ムーミン・シリーズの三作目『たのしいムーミン一家』を読む。
 戦争の影響が色濃く反映された一、二作目に比べると、ずいぶんゆるい雰囲気になってきたなというのが第一印象。かつてアニメで見たようなエピソードもあちらこちらに見られ、いかにも正統派ムーミンを読んだという気にさせられた。

 物語はムーミン一家が冬眠から目覚めるところから幕を開ける。
 春の訪れにみなウキウキしているのだが、そんなさなか、ムーミントロールたちは「飛行おに」の落とした黒い帽子を発見する。それは被ったり、中に物を入れたりすると、人や物が変身してしまう不思議な帽子。
 案の定ムーミンたちはそれによって大騒ぎすることになるのだが、その帽子のドタバタを軸にして、各キャラクターのエピソードをつないでゆくという構成である。

 たのしいムーミン一家

 先に書いたように、物語には良い意味でのゆるさが出てきている。一、二作目のような直接的な危機が薄れたせいか、登場キャラクターたちはより自由に動きまわっている印象だ。
 その分、個性がいっそう際だった感もあり、口の悪さや態度の悪さはパワーアップ。これがまず楽しい。
 アニメのムーミンとのギャップに困惑する方々もいるようだが、こういう率直で人間くさい言動がむしろ楽しめるわけで、ただの感動的だったり教訓的だったりする童話とは一線を画している。だからこそ、大人向けみたいなイメージのある原作は、やはり子供にこそ読んでもらいたいし、そういう意味でも本作はもっともムーミンらしいムーミン物語といえるのかもしれない。

 もちろんそんなスレた読み方ではなく、普通に感じ入ってしまう印象的な描写も多いのでご安心を(笑)。
 例えばスナフキンとの別れは、旅立つ者だけでなく、残された者の自立を示唆してくれる。
 ムーミンパパの幼い頃が不幸であったことを暗示したり、そのパパがみんなを守るために立ち上がるシーンなどもちょっと感動的。
 世界で一番大きくてきれいな宝石をみんなで眺めるシーンでは、本当に美しいのは宝石なんかではなく、もっと別のものであることを教えてくれる。
 ひとつひとつのエピソードは無邪気なものだけれど、それでいて作者の意図が幾重にも織り込まれているイメージ。それがこのシリーズの最大の特徴なのかもしれない。とはいえ、まだシリーズ三作目。お楽しみはこれからだ。


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 引き続きシリーズ第二作『ムーミン谷の彗星』を読む。
 ムーミン谷の始まりを描いた『小さなトロールと大きな洪水』がプロローグ的な物語だとすれば、本書は実質的なシリーズ第一作。ムーミン谷でムーミン一家が暮らす、お馴染みの世界観はここからスタートする。

 ムーミン谷の彗星

 お馴染みの世界観とはいいながらも、本作のストーリーはのっけからイレギュラーっぽい。
 なんせムーミン谷の空高くに彗星が現れ、それが間もなく地上に激突するというのである。迫り来る地球最後の日。ムーミントロールとスニフはその秘密を調べるために、天文台をめざして冒険の旅に出る。
 もちろん彗星は最大の危機だが、他にも嵐や噴火、地割れ、いなごの大群などがムーミンたちの行く手を阻み、前作以上にハラハラドキドキの展開。まあ、そうはいいながら実際のところはマイペースで、もっと暢気な感じではあるのだが。
 ムーミントロールの親友となるスナフキンや彼女となるスノークのおじょうさんも本作で初登場し、旅の仲間が増えていく展開はファンならずともわくわくするところで、シリーズ中でも人気の高い理由がよくわかる。

 ただ、ハッピーエンドの物語ではあるけれど、前作同様、全体的には戦争の影響もまだまだ感じられる。ムーミンたちに襲いかかる恐怖はやはりヤンソン自身が抱えている恐怖でもある。本書が書かれた時点で第二次大戦自体は終わっていたが、まだ癒えていない心の傷や戦後の不便な生活、色濃く残る不安といったものは、世界観にしっかりと反映されているのだ。

 そんな不安な日々を吹き飛ばすのが、魅力的な登場キャラクターの数々といえるだろう。
 先に書いたとおり、地球の危機にあっても彼らはあくまでマイペース。力を合わせて頑張ろうとはするが、すぐに目先のことにとらわれる。そもそも皆が決して善人というわけではなく、むしろ人間の性質のだめな部分を誇張したような登場キャラクターがほとんどなのである。
 すねて不満ばかりこぼすスニフ、好奇心ばかりが先に立つムーミントロール、理屈ばかりのスノーク、やたらと切手に執着するヘムル、夢想家のムーミンパパなどなど。彼ら一人ひとりはとても冒険を乗り切れるような器ではないのだが(苦笑)、それでもいざというときには誰かが頑張り、誰かが勇気づけ、それでもダメなら笑いとばし、ときには現実逃避にも走る。
 でもそれでいいじゃん、というのが著者の基本的スタンスのように思える。ヤンソンはことさら人間賛歌を謳うのではなく、人のいいところも悪いところもひっくるめてお話にし、読者に気づかせてくれているのではないか。人間とはそもそもそういう存在なのだと。

 まだ二作しか読んでいないので、このあとの作品でまた受け止め方は変わるかもしれないが、とりあえずはこんなところで。


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 日本では根強い人気のあるムーミンだが、今年は著者トーベ・ヤンソンが生誕百周年ということらしく、何やらムーミン関連のイベントが昨年あたりから一気に盛り上がっているようだ。
 まあアニメは子供の頃に見ていたし、アニメと原作ではテイストがずいぶん違い、なかなか哲学的な味もあるということも知識としてはあった。以前からそこそこ興味はあったので、これはそろそろ読むしかあるまいと手に取った次第である。幸い、家にはムーミン物語全九巻のうち八巻までは揃えていたので(笑)、足りなかった第一巻の『小さなトロールと大きな洪水』を買い足して、ぼちぼち読み始めることにした。

 小さなトロールと大きな洪水

 『小さなトロールと大きな洪水』はムーミン物語の第一巻。主人公のムーミントロールがムーミンママと冬ごもりのための新しい家を見つけにいくという、いわばロードノベルである。
 途中でスニフとの出会いがあったり、行方不明だったムーミンパパとの再会があったりして、最後にはムーミン谷に辿り着くというストーリー。
 言ってみればその後の物語のプロローグ的な位置づけなのだが、この時点ではトーベ・ヤンソンはまだシリーズ化を考えておらず、ボリュームも非常に小さい。ムーミントロールやムーミンママの性格などもその後の作品とは若干異なっているようで、外伝的な位置づけとみることもできるだろう。

 したがってムーミン原作初体験の身としては、本作をもってムーミンの本質を理解するにはやや無理もあるのだが、まあ、内容自体はなかなか面白く読めた。
 本書が刊行されたのは1945年、着想を得たのが1939年ということで、これはまんま第二世界大戦の期間でもある。ヤンソンの母国フィンランドも戦火の影響は当然あったわけで、そのイメージが色濃く作品に反映されているのが興味深い。
 何よりムーミントロールとムーミンママが自分たちの家を探しにいくというその設定。ムーミンパパがいないのも、次々と危険が降りかかるのも、すべては戦争を比喩したものであることは想像に難くない。そんな困難を乗り切って、ムーミンたちは安住の地を求める。
「わたしたちは旅をつづけなければなりません。ほんもののお日さまの光のもとで、自分たちで家をたてようと思っているのです」
 ストレートなムーミンママのセリフが印象的である。

 旅をするムーミンたち一行の構成が家族的なところも要注目。ムーミントロールとムーミンママ以外に、わがままばかり言う末っ子的な存在のスニフ、いるだけで皆を明るくしてくれる長女的なチューリッパ(途中で素敵な男子に見初められ旅を離れるところも暗示的だ)。
 足りないのは正にムーミンパパだけなのだが、感動の再会をしても、なぜか一家の大黒柱としての存在にはあまり思えないのが困った(苦笑)。暗い現実を反映した(と思われる)この物語のなかで、夢想家で冒険家というパパのキャラクターが、妙に浮いていると感じたせいかも。この違和感の正体は、おそらく今後の作品を読むうちに解消されると思いたい。

 ともあれラストは離ればなれになった家族が再会し、しかも素敵な家と安住の地も同時に見つかるわけで、このあたりは終戦を迎えた著者のストレートな喜びが反映されている。
 読んでいるこちらも思わず嬉しくなってくる、そんな気持ちにさせるいい物語である。


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