『醗酵人間』が「ミステリ珍本全集」のラインナップとして発表されたときは、ネット上に衝撃が走った(笑)。戦後SF最大の怪作と言われ、オークションではン十万円の値がついたとかつかないとか言われていた、あの『醗酵人間』が新刊として刊行されるというのである。SFや怪奇マニアでなくともそれは気になる。
しかもふたを開ければ「醗酵人間」を初めとする三長篇(連作短編集というほうが適切か)に加え、短篇四作も収録という超豪華版。「ミステリ珍本全集」のなかでもひときわ異彩を放つ一冊であることは間違いなく、これはやはり読むしかないというわけで、本日の読了本は栗田信の『醗酵人間』。
収録作は以下のとおり。「醗酵人間」から「台風圏の男」までが長篇、「地底の飛竜現わる!」以下が短篇である。
「醗酵人間」
「改造人間」
「台風圏の男」
「地底の飛竜現わる!」
「ドン鯖の竜」
「腕で来い」
「屍体置場の招待状」

「醗酵人間」が怪作と言われる所以は、何といってもアンチヒーローたる醗酵人間の設定である。お酒にチーズ、納豆など、醗酵によって製造される食品は珍しくないが、では人間が醗酵するとどうなるか。
著者の栗田信は、主人公がインドの「ヨギ秘術」を修得し、アルコールを口にするだけで無限の力をもつ醗酵人間に変身するという設定を作り上げた。科学的な根拠はほぼ皆無でまったく子供の思いつきレベルといってもいいだろう。とにかく、そのパワーを身につけた醗酵人間こと九里魔五郎が、父の仇を討つために大暴れするという復讐譚である。
海外ではヨーグルトマンと呼ばれたとか、「こけっか、きっきっ」という変な笑い声とか、膨張して空を飛ぶとか、その他にも突拍子もない描写は多く、確かにゲテモノといってよい内容だ。
ただ、実は突拍子もないのはこれらの設定部分ぐらいで、ストーリーとしては割と普通。とにかく最初の誕生エピソードと次のテレビ局でのエピソードが凄まじいだけに、ここで完全にイメージがインプットされてしまうのだけれど、後半にいくほど適度なアクションとサスペンスでつないでゆくピカレスクロマンといった趣(そんなにいいものじゃなけれど)。
まあ、こちらが普段から古いモンスター映画などを観て免疫ができているせいか、予想よりは全然ちゃんとした話で、けっこう面白く読めてしまった(苦笑)。そういえば『事件記者コルチャック』でも吸血鬼と警官が大立ち回りをするという場面があったが、テレビ局でのシーンもそれと似たような面白さがある。
「醱酵人間」というネーミングや設定の荒唐無稽さから確かに怪作という印象は強いが、一皮むくと意外にオーソドックスな娯楽読み物という感じであった。
「改造人間」も「醗酵人間」と同じように復讐譚なのだが、こちらはLSDを使って人を洗脳するというのが大きな違い。LSDを使うというのが中途半端にリアルだが、ほぼイメージだけで用いた感じは否めず、むしろ「醗酵人間」のように吹っ切れたほうが話としては面白い。
内容的にも「醗酵人間」の方が上か。改造人間が暴れ回るというのではなく、先に事件が起こって、その背後に改造人間が暗躍していたというプロットが多いせいか、全体的には回りくどく、その分満足度は落ちる。
「台風圏の男」は前科者の緒方正平を主人公とする連作もの。かつて暗黒街で知られた男が、その腕を買われて助けを求められ……というのが一応は基本パターンだ。
ただし、怒りの鉄、大部屋俳優の渋谷、度々緒方を便りにする古屋刑事という面々によるチームプレイや、個々が主役を張る話もあったりして、スタイルは自由度が高く、この趣向は悪くない。
なお、こちらは超自然的要素はなく、あくまでミステリや犯罪小説として読める。雰囲気だけで言えば、当時の日活アクション映画的なものを連想してもらえるとよいのではないか。なかには凄惨な話もあるけれど、本書の中ではもっとも気に入った作品である。
ということで、個々の場面では呆れたり笑えたりするところも多いのだが、思ったほどの奇想天外な話というわけではなく、管理人としては意外に普通に楽しめた一冊。
ちょっと前評判に煽られすぎたか(笑)。