西東登は『蟻の木の下で』で第十回の江戸川乱歩賞を受賞した。1964年のことである。だがこれが著者のデビュー作というわけではなく、すでに1940年代前半に商業誌でデビュー自体は飾っていたようだ。
だが、なんせ戦時中のことでもあるし、戦後も映画誌編集者としての仕事に専念していたらしく、それほど目立った活動はない。それがいきなり初の推理小説、初の長篇小説に手を染め、デビューから二十年あまり経ってから乱歩賞の栄冠を勝ち取った。そこにどのような経緯や心境の変化があったのかは知らないが、これが西東登の大きな転機になったことは間違いない。活躍する出版社こそややマイナーどころではあったが、以後はコンスタントに長篇推理小説を発表していくことになる。
そんなわけで本日の読了本は西東登の『蟻の木の下で』。まずはストーリーから。
東京吉祥寺は井の頭公園内にある動物園で、男の死体が発見された。場所はヒグマの檻の前、死体にはクマの爪痕のような傷があった。まもなく男の身元は近所に住む写真店の店主であることがわかるが、周囲の状況から捜査は予想外に難航を極めた。
そんなときカメラ部品工場の社長の池見は、事件の報道を目にして驚いた。死者は池見の戦友だったのだ。釈然としないものを感じた池見は、飲み屋で知り合った週刊誌記者の鹿子らの協力を得て事件に迫る。唯一の手がかりは、現場で拾った新興宗教団体正聖会のバッジだったが……。

これは力作。
欠点もそれなりにあるのだが、当時の著者の書きたかったであろう要素がめいっぱい詰まった一級のミステリである。
動物園で見つかった死体に端を発する物語が、新興宗教の権力闘争や戦争犯罪などに連なっていく。正直、前半はさまざまな物語が同時進行するので、とっちらかった印象は拭えない。要は書きたいものを詰め込みすぎなのであり、うまくストーリーの流れに落とし込まれていない。本書を読んだ限りでは、ストーリーテラーという感じではなさそうだ(苦笑)。
ただし、それを補ってあまりある魅力がある。プロットの確かさや真相の意外性、モチーフの効果的な使い方は素晴らしい。
とりわけプロットはよく練られている。前半では断片的にしかわからなかった事実がいったいどういうふうに関係するのか。中盤以降で材料が揃ってくると、ある程度読めたかなと思いきや、繰り出される二ノ手三の手によって、またもや「あれれ?」となる。
前半がとっちらかっているとは書いたが、事件の背後に隠された秘密が次々と明らかになる中盤以降はもう一気。新たな殺人、新たな疑問が加わり、前半の伏線をしっかり回収する。純粋な本格とは違うし、ロジック云々は少々弱いのだけれど、事件の全貌が明かされるラストはなかなかの快感だ。
戦争犯罪を扱っていると聞くとやや重たい感じもあるのだが、そういったテーマを打ち出しつつも社会派的なイメージは薄く、主役はあくまでミステリ的興味である(個人的な印象ではあるけれど)。
なお、西東登の作品には動物ネタが多いことで知られているが、代表作の本書も例外ではない。死体がクマに襲われたのかどうかが最初の謎として提示されるが、実は題名に使われている「蟻」が、より重要なポイントとして用いられている。
お楽しみを奪うといけないのでここでは伏せるが、インパクトは相当なものだ。長い乱歩賞の歴史の中でもこの類の興奮はなかなか味わえないことは保証する。
ちなみに管理人が読んだのは講談社文庫版だが、とっくに絶版なので、興味が湧いた方は同じ講談社文庫でも、現役の『江戸川乱歩賞全集(5)孤独なアスファルト 蟻の木の下で』でどうぞ。
今では忘れられた作家になりつつある西東登だが、とりあえず本作は読んでおいて損はない。おすすめ。