論創ミステリ叢書から『林不忘探偵小説選』を読む。
著者の本名は長谷川海太郎。三十五歳にして急逝したため活躍した時期は十年あまりと短いが、林不忘の他にも牧逸馬、谷譲次のペンネームで小説を量産した昭和初期の作家である。
林不忘の名前では時代物、牧逸馬では犯罪実話小説、谷譲次では米国体験記というふうに、作品によってペンネームを使い分けていたが、最も知られているのは林不忘名義で残した”丹下左膳”のシリーズであろう。
本書ではそんな林不忘名義で書かれた二つの捕物帖が収められている。ひとつは「釘抜藤吉捕物覚書」、もうひとつは「早耳三次捕物聞書」である。

『釘抜藤吉捕物覚書』
「のの字の刀痕」
「宇治の茶箱」
「怪談抜地獄」
「梅雨に咲く花」
「三つの足跡」
「槍祭夏の夜話」
「お茶漬音頭」
「巷説蒲鉾供養」
「怨霊首人形」
「無明の夜」
「宙に浮く屍骸」
「雪の初午」
「悲願百両」
「影人形」
『早耳三次捕物聞書』
「霙橋辻斬夜話」
「うし紅珊瑚」
「浮世芝居女看板」
「海へ帰る女」
収録作は以上。牧逸馬名義の犯罪実話小説は現代教養文庫版で読んでいるが、林不忘名義の作品は短篇をいくつか読んだ程度で、まとめて読むのはこれが初めて。
まあ時代小説は元からそんなに読む方ではなく、人形佐七とか若さま侍とか、ミステリ畑の作者が書いた捕物帖ぐらいでないと食指が動かない。一応、本書も帯には「丹下左膳の原作者による時代探偵小説」とあるのが心強い。
さて実際に読んだ感想となると、ううむ、悪くはないが個人的にはあまり入り込めなかった。
時代探偵小説という言葉に嘘はない。人情ものに偏ることなく、フェアとまではいかないがきちんと手がかりなども散りばめており、まずまず探偵小説としての要件は備えている。ミステリ成分は若さま侍あたりと比べても遜色ないといえるだろう。
中にはどうみて怪談先行的な作品もあってジャンル統一感の無さは目立つけれども、若さま侍シリーズでも同様に本格探偵小説的作品と伝奇小説的作品が混ざっていたりするわけで、当時はこういうところが大らかというかルーズである。
むしろ気になったのは、主人公キャラクターの造型の弱さ。釘抜藤吉、早耳三次ともにいまひとつ個性に欠け、印象が薄い。物語の出来そのものが他の捕物帖に比べて水を空けられているわけではないので、このキャラクターの弱さは惜しい。他の捕物帖のように現代まで読み継がれていないのは、正にこの点に原因があるのではないか。
あと、これは個人的な好みになるけれども、文体がいかにも時代劇といった名調子のため、逆に物語に入っていけないのが困った。普通の文体ならもっと素直に読めるのだろうが、何かこう作りすぎる感じがして受けつけないのである。
もちろん著者にすれば雰囲気作りに工夫した結果だろうから、筋違いっちゃ筋違いの文句ではある(笑)。
というわけで少々ネガティヴな感想にはなってしまったが、出来そのものは決して悪くないし、捕物帖ファンなら押さえておくべき一冊とは言えるだろう。