数日前に突然、瞼の裏側にゴロゴロした痛みと異物感が出た。最初はまつ毛でも入ったかと思っていたのだが、眼を洗っても、一日過ぎても一向に改善しない。我慢できる痛みではあるが、とても落ち着いて本を読めるような状態ではなく、仕方なく眼科にかかる。
結果はなんと結膜結石との診断。石といってもカルシウムや脂質が固まったもので、これを取ったら嘘のように痛みは引いて、とりあえずはひと安心。しかし傷が付いているとのことで、しばらくは点眼液と眼軟膏をつける羽目になってしまった。
これがまた厄介で、点眼液はともかく、眼軟膏の方はつけた後、視界が濁ってまったく読書にならないのである。まあ、一週間ほどの我慢でなんとかなるそうだが、目の大切さを改めて感じた次第である。読書家の皆様、くれぐれもご自愛ください。
そんな状態なので読書ペースがガタッと落ちてしまったが、何とかダニエル・フリードマンの『もう耳は貸さない』を読了。
こんな話。引退して数十年になる八十九歳の元刑事バック・シャッツ。心身ともに弱り、妻のローズも大病を煩い、今後についての選択を迫られていた。しかし、シャッツの信念が周囲との軋轢を生み、カウンセリングを受ける羽目になる。
そんな時、ラジオ番組のプロデューサーからシャッツにインタビューの申し込みがあった。シャッツが過去に逮捕し、まもなく死刑を執行されようとしている男が、暴力的に自白を強要されたと主張しているというのだ……。

八十九歳の殺人課元刑事、バック・シャッツを主人公にしたシリーズの三作目である。
正義を執行するという信念に燃え、若い頃はその荒っぽい捜査方法が非難の的にもなったシャッツだが、確かな結果を残し、周囲からは一目置かれる存在であった。八十九歳の今ではすっかり衰えたものの、それでも精神だけは変わらず、老いた体に鞭打って事件を解決したのが、一作目『もう年はとれない』、二作目『もう過去はいらない』である。
もちろん“老い”というテーマはあるが、あくまでエンターテインメントとしての印象が強く、むしろハードボイルドのパロディという側面も強かったように思う。
しかし、三作目となる本作ではかなりシリアスな路線に舵を切った。
シャッツは認知症まで始まり、妻のローズにも大病が降りかかる。この先二人はどう生きていくべきか、現実を直視するどころか周囲と対立してしまうシャッツに、“老い”という問題の難しさを感じるが、問題はそれだけではない。
シャッツがかつて捕らえた死刑囚が、シャッツの暴力的な捜査によって虚偽の自白をしたと主張し、それがラジオ番組で流されているのだ。こちらは死刑制度の問題についてクローズアップされており、シャッツの現状を重ね合わせることで、“正義とは何か”というより大きなテーマに踏み込んでいる。
ストーリーはシャッツの現状と過去の事件の再現、ラジオ番組という三つのシーンで構成されており、これがまた理解を助ける意味で実に効果的。テーマが大きすぎることで明確な答えを導き出せていない恨みはあるが、非常に読み応えがあった。
惜しむらくはミステリとしてはまったく弱いことだが、三作目にして単なるエンタメから脱却したことで、個人的には忘れられない作品になった。二作目から五年後に書かれた本作だが、著者も相当考えたのではないだろうか。
ただ、ここまでくると次作はいよいよ最終作になる可能性も高くなり、できればこのまま終わってもらいたい気もするわけで悩ましいところである。