先日読んだ『風花島殺人事件』がきっかけで、それが取り上げられていた「必読本格推理三十編」を眺めていると、 読んでいない作品がまだいくつかあることに気づく。
だいたいが1960〜1980年頃の作品で、要するに『本格ミステリフラッシュバック』の時期である。まあ、このあたりの作家はもともとそんなに読んでいなくて、ここ数年でぼちぼち埋めていこうとは思っていたところなのだが、ううむ、それにしても取りこぼしが多くて我ながらガックリ。ン十年ミステリ読み続けてもこの程度かってなもんである。
というわけで本日は「必読本格推理三十編」にも選ばれている陳舜臣の長篇第三作『弓の部屋』を読む。ちなみにシリーズ探偵の陶展文は登場しないノンシリーズ作品。
こんな話。主人公はイギリス人貿易商の事務所で働くタイピスト桐村道子。今では真面目に働き、大学助教授・渋沢という恋人もいる彼女だが、放任主義の叔父に育てられたため、かつてはぐれた過去を持つ女性である。
そんな彼女に雇い主のラム婦人から、幼い頃に屋敷で働いていた福住ハルという女性を捜してくれるよう依頼される。無理難題かと思いきや、実は道子の叔父が若い頃に思いを寄せていた女性であることがわかり、ラム婦人は無事ハルと再会。しかもハルは、幼い頃に養女に出されたという道子の親友・時子の、実の母親であることがわかり、皆で再会を喜ぶのだった。
そんな折り、ラム夫人は自宅の屋敷で神戸港の花火見物をしようと提案する。当日参加したのは使用人の山中夫妻を含めた九人。一同は見晴らしの良い〈弓の部屋〉へ集まり、花火を見るために灯りを消すが、その直後に悲劇が起こる。グラスのコーラを飲んだ山中が毒殺されたのだ……。

『枯草の根』と同じ神戸が舞台の物語ではあるが、本作では主人公が活発な若い女性であり、中国ネタもほとんどないので、その印象はずいぶん異なっている。風俗描写がふんだんに取り入れられ、展開もテンポ良く、当時としてはかなり現代的でスマートな作品に仕上がっている印象だ。
風俗描写が多い分、いま読むと逆に古さを感じるところもないではないが、個人的にはこういう部分がむしろ味として楽しめるのでノープロブレム。
キャラクターの造型もうまい。やや暗い過去があり、ときに内省的にもなったりする主人公だが、基本的には活発で前向き。この明るさが作品全体の雰囲気をも明るく照らす。
その他のキャラクターも同様。画家の叔父、恋人の渋沢、時子やハルにいたるまで、みなそれなりに欠点や過去の傷はあるのだが、基本的には善人たちの物語という感じで、これが非常に読み心地をよくしてくれる。
実は真相はそれなりにダークで、犯人の持つ闇は登場人物のなかで最も深いのだけれど、作品全体としては希望に満ちた読後感を与えてくれる。
肝心のミステリとしては手堅くまとめた印象。きちんと伏線を回収し、さりげないエピソードも真相にきちんとつなげている。また、終盤の次々と容疑者が自首してくる展開、それを探偵役が次々と論破していく構図は本作の大きな見せ場のひとつだ。
唯一、残念なのはメイントリックの弱さ。あまりに危ういレベルで、ここが一段上のレベルであれば、けっこうな傑作になったと思われるだけに非常に惜しい。