ジョージェット・ヘイヤーの『マシューズ家の毒』を読む。
少し前に読んだ一作目『紳士と月夜の晒し台』は、感情移入しにくいタイプの登場人物が繰り広げる会話がとにかく印象に残ったものの、ミステリとしては重要なポイントでミスをするなど、全体の出来としてはいまひとつといったところだった。
セイヤーズもその実力を認めた実力派とは帯の謳い文句だが、結局は創元推理文庫でもここで翻訳が止まっているだけに、ちょっと嫌な予感もしたのだが、まあ、とりあえずこの時代の作家は自分的には必読なので、とりあえず読むことにする。
まずはストーリー。実業家のグレゴリー・マシューズは一族を牛耳る暴君。一筋縄ではいかない兄弟甥姪を圧倒的な存在感で仕切っていたが、ある朝、ベッドで死亡しているところをメイドに発見される。遺産の相続やら何やらでたちまちてんやわんやとなる親族だったが、死因がニコチン中毒で、おまけに他殺が判明した。
さっそくハナサイド警視が捜査に派遣されるが、証拠物や故人の部屋はすでに掃除されたあとだった。動機や恨みを持つものは山ほどいるが、例によって決め手がまったくなく……。

お、悪くない。シリーズ一作目の特徴はそのままに、全体的にレベルアップした感じとでもいおうか。前作で気になったミステリ的な粗も本作では目立たず、驚くようなトリックとかはないけれども十分に水準に達した印象である。
読みどころはやはり登場人物たちのハチャメチャな会話になるのだろう。登場人物のほとんどが感情移入しにくい、要はうざい連中ばかりで、その連中がまた相手構わず毒舌を吐きまくるのは前作同様、いやそれどころかこちらもパワーアップしている印象だ。表面的なやりとりだけ追っていっても面白いのだが、このやりとりの中に真実や虚構が入り混じるから、作者もなかなか巧みになっている。
こういった会話の妙に加えて、もうひとつ作者の武器となるのがロマンスの要素。ミステリに恋愛要素などは不用だといったのは誰だったか。本作が書かれたのは1936年だが、この時点ですでにその考え方が誤りだったことが証明されているといっても過言ではないだろう。
なんといっても本作においては(前作もだが)、この恋愛要素がただの飾りではなく、プロットに密接に取り込まれている点が見事だ。
(以下、ネタバレ含むのでご注意)
特に感心したのは、この恋愛のご当人(厳密には男性の方)が、実は本作の探偵役であること。
前作も本作も、一応はハナサイド警視とヘミングウェイ刑事のシリーズ作品。一見すると警官を主人公にしたオーソドックスな本格タイプなのだが、本質としては、事件関係者の一人がヒロインと恋仲になり、事件も解決してみせるという、いわば巻き込まれ型に近いスタイルなのである。
これはヘイヤーが本来書いていた歴史ロマンスの骨格を、本格ミステリと融合させたスタイルということもできる。結果として登場人物たちが単なるパズルのコマではなく、生き生きとした存在感のあるキャラクターになったように思うし、犯人役と探偵役を同時に探す楽しみも増える。
最初はハナサイド警視が地味だとか、脇役に回ることに違和感があったのだが、むしろこれが作者の狙いなのかなと考えるとスッキリする。単品ならともかく、この形をシリーズ化したのが素晴らしい。
といっても二作読んだだけなので、果たしてこのままのスタイルでこの後の作品を書いたかどうかは不明(笑)。残る論創海外ミステリの『グレイストーンズ屋敷殺人事件』を読めば、このあたりももっと判明しそうだ。