震災の影響はまだまだ残っているし、復興もこれからである。だが喉もと過ぎれば何とやらで、既にくだらない言動がテレビやネット上でいろいろ目につくようになってきた。それが間違ったことでなくても、自分の言動がどういうふうに相手や周囲に届いているのか、想像できない人が多いことに悲しくなる。変な自粛はどうかと思うし、連帯感の押しつけも違うんじゃないかと思う。また、そういう考えを逆手に取ったただの悪ふざけにも腹が立つ。個々でできることは限られているが、できるだけのことは協力したいし、最低でも思いやりや労りの心だけは忘れずに生きていたい。もちろん自戒も込めて。
さて、気持ちを切り替えて。
本日の読了本はマイケル・ギルバートの『十二夜殺人事件』。マイケル・ギルバートといえば『捕虜収容所の死』で話題を呼んだのがもう八年も前のこと。それをきっかけに、そこそこ復刊や新刊が出たものだが、この集英社文庫の『十二夜殺人事件』は結局復刊されず、もう三十年近く絶版という一冊である。
舞台はイギリスの田舎町にある全寮制のプレップ・スクール。プレップ・スクールは学年的には日本の中学にあたり、有名校へ進学するためのいわゆる受験校だと考えればよいだろう。ここからパブリック・スクールという付属高校へ進学し、あとはエスカレーター式で有名大学へ、というルートのようだ(若干適当)。授業料も高く、当然ながら入学できるのはほぼ特権階級に限られる。
最初から話が逸れてしまったが、このプレップ・スクールの周囲で、こともあろうに連続殺人事件が発生する。しかも被害者は少年たち。暴行の痕跡もうかがえることから、警察は異常性格者の犯行とみて捜査を開始するが……。
その頃、ロンドンではイスラエル大使館をテロリストが襲撃するという事件が起こる。やがて事件は解決するものの、数名が逃走に成功、再襲撃の可能性も危惧された。さっそくイスラエル大使の身辺警護が強化され、それはプレップ・スクールで学ぶ大使の息子にも及ぶが……。

マイケル・ギルバートはイギリスを代表する本格ミステリの書き手。いわゆるシリーズ探偵などは作らず、一作ごとに趣向どころか作風までを捏ねくり回すタイプである。比較的、出来は安定しているものの、時にはアレッ?というものもあったりして、個人的にはそれが面白かったりもするのだが、本作でもいろいろやってくれている。
上でも簡単に紹介したように、本作のストーリーは連続殺人事件とテロ事件を中心にして流れていくわけだが、要素としてみれば、学園小説的な部分を外すわけにはいかない。
学園小説とは、文字通り学校を舞台に生徒同士や教師との人間関係を描くジャンルだ。ここでは全寮制の男子校という、さらに特殊な環境を設け、その枠組みや人間関係を、ミステリに奉仕する材料として用いている。つまり連続殺人もテロ事件も、この学園小説の部分があるからこそ活きてくるという趣向なのである。
ちなみに本書の解説では、これを学園小説のパロディとして解釈している。ジャンル小説の特性を利用するという点では頷けないこともないが、風刺や批判するといった視点まではないので、パロディと言い切るのはちょっと無理がある。ただし、プレップ・スクールの在り方については作中でもいろいろと言及されている(ただし、これも批判的ではない)。
かように本作は、基本的にミステリではあるけれども、学園小説のテイストを最大限に採り入れた、いわば融合をめざしたものと捉えたい。ただ、そこまではいいのだが、本作のミステリ部分が問題である。要は連続殺人事件とテロ事件のふたつも用意しなくてよかったんじゃないかということ。ぶっちゃけ、この二つのほうがよっぽど融合しておらず、そのせいで構成も展開も妙なバランスの上に成立してしまった。
連続殺人の方はサイコ・サスペンスの雰囲気もあり、真相はそれなりに意外なものなので、そちらだけでまとめた方が良かったのではないか。キャラクターも立っているし、それなりに面白くは読めるので……惜しいなぁ、というのが率直な感想。
なお、タイトルにある「十二夜」はシェイクスピアの同題作品からとったもの。作中で生徒たちが演じる期末の一大イベントの題目がこの「十二夜」なのである。「十二夜」の内容がいろいろと意味深なため、それを閉鎖的な全寮制男子校の人間関係、さらには連続殺人の真相に、イメージを被せているのだろう。
とはいえ「十二夜」を読んでいなくとも大きな支障はないので、未読の方もご安心を。