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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

『獄門島』(NHK BSプレミアム)

 先日、NHKのBS-プレミアムで横溝正史原作の『獄門島』が放送されたけれども、これがなかなか面白かった。
 『獄門島』は横溝正史のベストともいわれるほど有名な作品だし、今までにも何度も映像化されてきた作品でもある。もはや新味を出すことは難しいのではないかと思っていたのだが、今をときめく長谷川博己を金田一耕助役に起用し、新しい金田一像にチャレンジしていたのが嬉しい驚きであった。

 金田一耕助役といえば、定番はやはり石坂浩二や古谷一行。気持ち石坂浩二の方が知的、古谷一行がとぼけた味わいが強かったように思うが、どちらも原作に忠実で、飄々とした雰囲気というのをうまく醸し出していた。
 対して長谷川博己演じる金田一は、基本的には両先輩の路線をなぞっているのだが、ひとつ大きな違いがある。それは戦争でのトラウマを引きずっているところ。戦争での凄惨な体験や多くの死を目の当たりにしてきたことが、彼の心に大きな空洞というか闇を生んでいる。そのイメージは事件の依頼主でもある死亡した戦友の姿となって、繰り返し彼の前に現れ、心を苛んでいく。
 金田一耕助はその空洞を打ち消すべく事件にのめり込んでゆく。
 これまでの金田一耕助があくまで第三者的に事件に関与していくのに比べ、本作での金田一は積極的に事件に入っていく印象だ。自分自身を失わないために事件を解決せざるを得ない状況に自分を追い込んでゆくのである。

 そして衝撃のラストの謎解きシーン。積もり積もったものが一気に爆発する。
 犯人と対峙する金田一はとてつもなくエキセントリックで、正に狂気と紙一重。従来の金田一像とあまりにかけ離れたイメージに否定的な見方があるかと思いきや、ネット上ではけっこう肯定派も多いようで、個人的にもこの方向性はありだと思った。
 一見、人間臭い金田一だが、彼は常に客観的に事件を見ている。もちろん被害者に対して同情はするし、凶悪な犯人には怒りも覚えるが、どこか醒めたところがある。それを隠しているのが飄々としたポーズなのかとも考えるのだが、本作ではそのポーズの下にある苦悩する金田一を出して見せたのが新しい。ありそうでなかった金田一耕助なのである。

 ちなみに脚本は喜安浩平。この方、役者さんでもあるのだが演出や脚本もやるという才人で、脚本では『桐島、部活やめるってよ』あたりも有名どころ。金田一耕助の設定に関してどこまで裁量があったのかは不明だが、ひとまず喜安浩平のチャレンジ精神にも拍手である。
 長谷川金田一、もしこのままシリーズ化されるのであれば、石坂金田一や古谷金田一にも匹敵するのではないか。ぜひとも期待したい。

斎藤光正『悪魔が来りて笛を吹く』

 1979年に東映系列で封切りされた映画『悪魔が来りて笛を吹く』をDVDで視聴。原作はもちろん横溝正史の同題作品。監督は『戦国自衛隊』や『伊賀忍法帖』でもメガホンをとった斎藤光正である。

 銀座の天銀堂という宝石店で、店員複数が毒殺され、多額の宝石が奪われるという事件が起こった。犯人と目されたのはあろうことか元子爵の椿英輔。アリバイがあるため釈放はされたが、その不名誉を恥じた英輔は娘の美禰子に遺書を残して自殺する。
  しかし、死んだはずの英輔が目撃される出来事が相次ぎ、その消息を確かめるため椿家で砂占いが行われることになった。美禰子は探偵の金田一耕助に同席を依頼するが、占いのさなかにフルートの音色が鳴り響く……。

 悪魔が来りて笛を吹く

 実は本作を観る前に一番危惧していたのが西田敏行演じる金田一耕助である。とにかくビジュアル的にコミカルさが先に立ち過ぎていて、別に耕助が二枚目である必要はないのだが、いくらなんでも西田敏行はないだろうと思っていたのである。
 ところが予想に反してこれがなかなか悪くなかった。石坂浩二や古谷一行の飄々とした金田一に対し、西田金田一は人懐っこさという武器があり、この因業な事件において非常にいい緩衝材となっている印象だ。ところどころ金田一らしからぬ荒さを感じさせる面もあってそこはいただけなかったが、個人的には概ね満足できる金田一耕助だった。

 ただ、褒めるべき点はそこぐらいか。そもそも原作自体も横溝の一級品に比べるとやや落ちる出来ではあるのだが、どうやら映画の方もそれに比例するようだ。映画としての小粒感はあまり言いたくないところだが、テレビドラマレベルのセットの安っぽさ、悪魔人形の用い方、終盤の濡れ場をはじめとした演出のチープ感はこちらの予想を下回るレベルでどうにもいただけない。
 また、フルートのネタや人間関係の描き方など、明らかな説明不足の箇所も少なくない。特に登場人物の描き方に差がありすぎるのは問題で、そのために椿家が抱える闇があまり浮かび上がってこない。横溝作品では血の抱える問題が事件の鍵を握ることが多いけれども、本作などはその最たるものなので、これは致命的とすら思える。
 駄作とまではいかないが、西田金田一が悪くないだけに残念な一本であった。


市川崑『病院坂の首縊りの家』

 市川崑、石坂浩二コンビによる金田一シリーズ最終作『病院坂の首縊りの家』を視聴。

 渡米を考えていた金田一耕助は、その報告のため先生(横溝正史)のいる吉野市を訪れていた。ついでにパスポートの写真を撮るために立ち寄った写真館で、店の主人・本條徳兵衛から奇妙な依頼をされる。何者かに殺されそうになったので、その調査をしてほしいというのだ。
 同じ日、写真館に一人の女性が訪れる。結婚写真を撮りたいので、迎えの者をやるから一緒にきてほしいという。その夜、若主人の本條直吉が迎えの男とともに向かった先は、地元で病院坂と呼ばれるところにある今は空き家の家であった。新郎新婦らしき男女の様子がおかしいものの、とりあえず仕事をこなす直吉。だが、後日、写真を届けにいった直吉は、新郎だった男の生首が風鈴のようにぶらさがっているのを発見する……。

 病院坂の首縊りの家

 正直、原作の内容をほとんど覚えていないのだけれど(苦笑)、それが逆によかったのか、けっこう楽しめた。
 シリーズの他の作品よりは評価が落ちるようだけれども、おそらくこれは作品をイメージづける印象的なシーンが弱いことが大きいのではないか。また、原作がもともと長大で複雑なのだが、それを映像化するにあたってどうしても脚本に無理が出てきてしまったこともあるだろう(といっても140分近くあるのだが)。
 とはいえ、それらはシリーズの他の作品に比べるからで、この作品を独立したミステリ映画とみるなら、決してまずい作品ではない。例によってテーマとなるのは古い因習や家、血にしばられた悲しき宿命である。とりわけ本作はわかりにくい設定ではあるのだが、ここまで再現してくれれば何とか合格点だろう。特に謎解きシーンではかなりの時間を費やし、事件の全容を示すとともに、ドラマとしての盛り上げ方も悪くない。

 キャストでは佐久間良子や桜田淳子、草刈正雄の熱演も印象的、桜田淳子の演技も予想以上によかったが、やはり佐久間良子の存在感は圧倒的。こういうウェットな役柄は実に見事である。
 なお、原作は金田一耕助の最後の事件として知られているが、映画のほうもこれで打ち止め感を強く出していて、所縁の俳優さんが多く登場しているのが感慨深い。小林昭二や三木のり平、大滝秀治、草笛光子、あおい輝彦、ピーター、中井貴惠等々。おまけに横溝正史までがけっこうな役どころである。

 ま、そんなわけで個人的には全然OKの一作でありました。


市川崑『女王蜂』

 1978年、市川崑監督によって映画化された横溝正史原作の『女王蜂』をDVDで視聴。金田一役はもちろん石坂浩二。

 こんな話。
 昭和七年のこと、伊豆は月琴の里を訪ねてきた二人の学生、銀三と仁志。仁志はそこで知り合った大道寺琴絵という女性を愛し、やがて琴絵は妊娠してしまう。しかし仁志は母に結婚を反対され、琴絵と蔵のなかで言い合いとなる。その直後、蔵の中で頭を殴打されて殺害された仁志と、その傍らでと呆然と立ち尽くす琴絵が発見された。琴絵の仕業と思った周囲の者は、仁志が崖から転落したように偽装し、一件は事故として処理されたのだった。
 その四年後。仁志との間にできた智子とともに暮らす琴絵のもとに銀三が現れ、求婚する。かつては仁志に譲ったものの、彼もまた琴絵を深く愛していたのだった。
 月日は流れ、昭和二十七年。琴絵は若くして亡くなったが、一人娘智子は美しく育ち、今や三人の求婚者が現れるほどであった。彼らは激しくライバル心を燃やし、不穏な空気が関係者を包んでいる。やがて智子をめぐり新たな惨劇が幕をあけた……。

 女王蜂

 舞台となる場所や人名、時間軸あたりが変更されているが、まずまず原作のツボは押さえており、トータルではなかなかよくできた作品になっているのではなかろうか。
 そもそも原作がミステリとしてそこまでの傑作というわけではないのだが、それを補ってあまりあるのが動機から連なる愛憎のドラマ。ミステリゆえ完全な心理描写はご法度だが、幾人かの主要な登場人物の心情については、思わせぶり、かつ魅力的な映像で表現し、思わず引き込まれるシーンも多い。
 シリーズの他作品に比べておどろおどろした雰囲気が少ない内容だけれど、その分、現代的というか、テンポのよい構成に仕立てたのも効果的であるように思う。

 ただ、本作はファンの間ではやや評価が落ちる作品らしい。ミステリとしても犬神家、手毬唄あたりに比べれば落ちる作品なので、基本的には致し方ないところ。ただ、評価が落ちる最も大きな理由は実はそういうところではなく、タイトルの女王蜂というイメージが作品から感じ取れない部分にあるようだ。
 だいたいが女王蜂=悪女というイメージだとは思うが、本作ではそこまで強いものではなく、せいぜい男が群がる女という程度しかないところに、これを演じるのが新人の中井貴恵というのがまずかった。絶世の美女という智子のイメージに合わないばかりか、肝心の演技が実に残念。
 とはいえ、これも中井貴恵一人のせいにするのは可哀想で、そもそも脇のキャストが豪華すぎた。かつてシリーズに参加した大御所の女優陣、高峰三枝子&岸惠子&司葉子に加え、仲代達矢という大物、加えて達者な演技力を誇る草笛光子、坂口良子、加藤武、小林昭二、大滝秀治といったレギュラー陣、おまけに佐々木剛、石田信之、高野浩之という特撮ドラマのヒーロー・クラスまで顔をそろえる豪華さである。中井喜恵のまずさを差し引いても十分におつりがくるわけで、まあヒロインというところで許せない人が多いのかも知らないが、個人的には十分許容範囲である。

 ということで世評に惑わされず、ぜひお試しを、の一本。


野村芳太郎『八つ墓村』

 最近、横溝映画をぼちぼちと消化しているが、本日はおなじみ市川崑作品から少し離れ、松竹から野村芳太郎監督の『八つ墓村』を視聴。1977年の公開で、当時は「たたりじゃ~」のテレビCMや金田一を渥美清が演じたことでも話題になった作品である。

 空港で働く寺田辰弥は、ある日の新聞で自分を探す尋ね人広告を目にする。これまで自分の出自について詳しいことを知らなかった辰弥は、さっそく大阪の法律事務所を訪れるが、そこで初めて会った母方の祖父・井川丑松が突然、苦しんで死亡してしまう。
 状況もはっきりしないまま、辰弥は父方の親戚の未亡人・森美也子の案内で生れ故郷の八つ墓村に向かったが……。

 八つ墓村

 本作を語るときに忘れてはいけないことが二つある。
 ひとつは作品の世界観というか全体的なテイストの部分。
 横溝正史の作品でもトップクラスの知名度を誇る『八つ墓村』だが、『本陣殺人事件』や『獄門島』といった他のメジャー作品とはやや趣向が異なっている。金田一耕助も登場するけれど、主人公はあくまで寺田辰弥であり、そのテイストは本格謎解きものというより、巻き込まれ型のスリラーといった趣なのだ。
 そしてこの野村芳太郎版『八つ墓村』では、事件の元になる落ち武者の伝説、その祟りともいわれたかつて村を襲った連続殺人事件をフィーチャーし、スリラーを超えてホラーやオカルト映画レベルにまでもっていってしまった。もちろん本筋に関わる部分に超自然的要素を盛り込んでいるわけではなく、あくまで一部のビジュアルをホラー的に演出しているレベルではあるが、野村芳太郎版『八つ墓村』はこれがあるからこそ要注目なのだ。
 もちろん野村監督のこと、ただ安易にホラー趣味を持ち出しているのではない。それが現代につながる因縁や人間の業を表現するための手段であることは容易に推察できるし、だからこそ許されるところではあるのだが。

 もうひとつは金田一耕助のキャスティング。なんせ当時はほぼ寅さん一本槍の渥美清。このイメージのまま金田一耕助といってもなかなか厳しい。
 映画やテレビではすでに石坂金田一や古谷金田一が活躍しており、ここに殴り込みをかけるということで、松竹も相当気合が入っていたはず。生半可なキャスティングではだめだろうと国民的スターを担ぎ出したのだろう。とはいえ寅さんは寅さんなのだが(笑)。
 実際のところ、管理人も当時は受け入れられなかったのだが、不思議なもので年をとるとなぜか馴染んできてしまい、今ではこれはこれでありかなという心情である。まあ、寅さんのイメージがあるだけで、渥美清自体の演技はしっかりしているし、オカルト風味を渥美清のキャラクターが中和しているのも結果的にはいい按配となっている。
 ちなみにその他の俳優陣もかなり豪華で、演技としては全体的に見応えがある。ただ、双子のばあさんはもっと怖い方がよかったが。市原悦子にしては不気味さが足りない。

 結局、問題があるとすれば、上で挙げたホラー風味の部分や渥美金田一などではなく、実は原作の改変度合いが大きすぎるシナリオだろう。本格でなくともよいけれど、やはりミステリ映画として押さえるところは押さえてもらわないと。それが最大の不満である。
 雰囲気や豪華キャストの妙を楽しむならおすすめ。ミステリ映画としてならいまひとつ。まとめとしては緩いけれど、これでご容赦のほどを。


市川崑『獄門島』

 市川崑監督の『獄門島』(1977年)をDVDで視聴。ミステリの国内オールタイムベストをやれば、まずベスト3は間違いない名作中の名作、それを市川崑&石坂浩二のゴールデンコンビで映画化した作品。

 終戦から1年後、瀬戸内海に浮かぶ獄門島へ向かう船の中に金田一耕助の姿があった。知人の雨宮が引き揚げ船で最後を看取った鬼頭千万太の死を伝えるためだった。表向きは体調を崩した雨宮の代理だったが、実は千万太の最後の一言、「俺が生きて帰らなければ、3人の妹たちが殺される……」という言葉に不安を感じた雨宮が、金田一に調査を依頼したのだ。
 島にある千光寺の了然和尚を訪ねた金田一は、島の網元である鬼頭家が、本鬼頭と分鬼頭に分かれて対立しており、その跡目をめぐって緊迫した状況にあることを知る。そしてその夜、早くも惨劇は起こった。本鬼頭家の異母妹の一人、花子が殺されたのだ。
 奇怪にもその死体は千光寺の庭にある梅の木から逆さまにぶら下げられていた。金田一はそのとき和尚が「きちがいじゃが仕方がない」とつぶやくのを耳にする……。

 獄門島

 まあ、原作がいいせいもあるけれど、やはりこのシリーズは出来がいい。トリックがどうだとか意外な真相がどうだとかミステリとして注目すべき点はもちろんあるのだが、映画ではそれ以上に、古い封建的な日本が抱える問題や、人間の悲しい業といった部分をクローズアップし、総合的な娯楽作品として成立させてくれるのが素晴らしい。
 それを再現してくれる俳優陣も豪華で、本作でも大原麗子、太地喜和子、司葉子、草笛光子、佐分利信、東野英治郎あたりが入魂の演技。
 ちなみに若手にも池田秀一、浅野ゆう子、荻野目慶子など、へえと思う人が出演している。

 ただ、残念ながら本作には大きな疵がある。ご存知のように犯人が原作と異なっているのである。まるっきり違うわけではなくアレンジレベルではあるが、やはりこの影響で真相がややぼやけてしまうのがもったいない。
 理由については先行していたテレビ版の影響が大きいとされているが、絵的に一作目、二作目と合わせたかったのではないかという気もする。どちらにしてもそこに原作変更の必然性はなく、残念なかぎりだ。 むしろ普通に撮ってくれていれば、犬神家や手毬唄に匹敵する出来になったはずなのだが。


市川崑『悪魔の手毬唄』

 最近、横溝正史原作の映画を観ているのだが、まあ三連休ぐらいは映画館と思って近所のシネコンに行く。ところがこれがまあみな考えることが同じというか、恐ろしいくらい激コミである。お目当は『ターミネーター:新起動/ジェニシス』だったのだが、あっさり後日に予定変更。結局、自宅で金田一映画を見ることにする。

 というわけで1977年公開の市川崑監督『悪魔の手毬唄』を視聴。原作は横溝正史屈指の傑作だが、映画もまた十分な出来栄えである。

 こんな話。私立探偵の金田一耕助は友人でもある磯川警部に招待され、岡山と兵庫の県境にある鬼首村の温泉宿「亀の湯」を訪れた。なんと磯川は耕助に個人的な捜査依頼をしたいのだという。実は亀の湯の女主人、青池リカの夫は、二十三年前、詐欺師の恩田によって殺害され、事件は迷宮入りになっていたのだ、
 折しも村ではいくつかの不穏な動きが持ち上がっていた。村の二大勢力である由良家と仁礼家の確執。それに絡む青池家を巻き込んだ結婚騒動。恩田がかつて村の娘に産ませた子・千恵の人気歌手となっての帰郷……。
 そんなある日。耕助は村の世捨て人・放庵から別れた妻のおはん(原作ではおりん)へ復縁を了承する手紙の代筆を頼まれる。それから数日経ち、耕助は調査で隣町へ出かけるが、その途中の山道でおはんと名乗る老婆とすれ違う。ところが隣町では、なんとおはんが昨年死亡していることが発覚。耕助は磯川とともに放庵のもとへ急ぐが、そこには二人分の食事の残りと吐血の痕が残されているだけだった。
 やがて千恵の歓迎会が行われた夜、惨劇の幕が開く……。

 悪魔の手毬唄

 横溝正史の長編はとにかく人間関係や血縁関係が複雑である。映画ではまずその事実をどうやって伝えていくか、また、その血縁関係からくるどろどろの世界観をどの程度表現できるかが、作品の出来を左右する。
 市川崑も前者には相当苦労したと思うが、後者はさすがである。忌まわしい過去の事件、それが今の村人に落とす影をきちんと見せてくれるのがいい。これはもちろんキャストの演技力によるところも大きい。岸恵子や若山富三郎の重厚ながら軽やかな演技なくしては本作は成立しないといっても過言ではないだろう。
 また、苦労はしているが人間関係の説明、事件の謎解きも無理のない範囲で省略し、なかなか理解しやすくできている。ただ、個人的にはラストの診療所と亀の湯の場面は、どちらか一方に全員をまとめてくれた方がより盛り上がったような気がする。やや間延びしているのが惜しい。

 ともあれ本作は間違いなく傑作。映画としての本作を語る場合、どうしても叙情性に焦点が当てられることが多いのだが、ミステリ映画としても抜群なのである。うむ、原作も読み直したくなってきたなぁ。


市川崑『犬神家の一族』(2006年)

 ぼちぼち溜まってきた未視聴DVDを消化すべく、市川崑監督の『犬神家の一族』を視聴する。1976年公開のオリジナル版はもう何回か観ているので、今回は初見の2006年版。
 
 ストーリーはさすがに今更という気もするが、一応書いておくと。
 那須湖畔に本宅を構える信州財閥の大物、犬神佐兵衛が他界した。遺言状には遺産の相続について厳格な記述があったが、それは相続する権利を有する者すべてが揃わなければ公開されない決まりとなっていた。ほとんどの者はすでに犬神家本宅に集まり、残すは長女松子の息子、佐清の復員からの帰りを待つだけであった。
 そんなとき金田一耕助は、犬神家の顧問弁護士を務める古舘恭三の事務所に勤務する若林から一通の手紙を受け取る。犬神家に容易ならざる事態が起こりそうなので、調査を依頼したいというのだ。しかし、訪れた金田一耕助の眼前で、若林は何者かによって毒殺されてしまう……。

 犬神家の一族完全版

 1976年版と2006年版の違いについては、いろいろなところで語られているのでここでは言及しないが、個人的にはこの2006年版でもまずまず楽しめた。
 ただ、1976年版と同じレベルで楽しめたかというと、さすがにそれは難しい。やはり1976年版はオリジナルという意味だけでなく、ミステリ的にもよくできている。言ってみれば2006年版は珠世と佐清のロマンス重視、1976年版はミステリ要素重視(謎解き+ホラー風味)という印象である。

 特に横溝正史や金田一耕助、市川崑に対する思い入れがなければ2006年版でもなんら問題はないと思うが、最大の問題は、なぜ市川崑が新作の金田一ものにせず、あえてリテイク版を撮ったのかだろう。
 2006年版はセットや1976年版との比較など、下手をすると1976年版以上に手間がかかったはず。巨匠の狙いなど理解できるところではないが、いちファンとしては単純に別の金田一ものを撮って欲しかったわけで、ただただもったいないと思うのみである。


高林陽一『本陣殺人事件』

 横溝正史の生んだ名探偵、金田一耕助を演じた俳優は数多いが、まずは石坂浩二をあげる人も多いだろう。1976年に角川映画の第一弾、市川崑監督の手で製作された『犬神家の一族』は当時大人気となり、その後も石坂金田一で『獄門島』や『悪魔の手毬唄』、『女王蜂』などが続々とシリーズ化されていった。
 そんな石坂金田一と同時代に公開されながら、今ではあまり語られることのない金田一映画がある。それが『犬神家の一族』の一年ほど前に公開された『本陣殺人事件』。公開は1975年、監督は高林陽一。金田一耕助を中尾彬が演じた。
 こちらは残念ながらシリーズ化されることもなかったのだが、出来自体はまったく悪くない。どころか管理人的には市川・石坂コンビに勝るとも劣らない出来栄えだと思っている。

 本陣殺人事件

 本作の最大の魅力は、全体を包む耽美的な雰囲気にある。市川崑作品のような派手さはないが、原作にできるだけ忠実に、横溝正史の妖しい世界観を実にうまく再現している。
 惨劇を連想させる赤と寂寥感を感じさせるモノトーンを強調した映像、琴の音色や水車の回る音も実に効果的だし、物悲しい音楽(なんと大林宣彦)も実にマッチしている。それを支える各キャストの重厚で出過ぎない演技もよい。

 ときとして本作の欠点というか違和感としてあげられるのは、時代設定を現代に置き換えていることだろう。結果として中尾彬演じる金田一耕助はアメリカ帰りのヒッピーのような風体で描かれている。今ではこのヒッピースタイルそのものがピンとこない人も多いだろうが、当時はジーパンを履いている金田一なんて、と毛嫌いするファンも多かったという。
 ただ、それから時代がさらに変わっているせいか、いま見るとそれほどの違和感はない。むしろ現代的な金田一が風習やしきたりに縛られた田舎の旧家と絡むことで、より対比が効いている印象である。
 まあ、中尾金田一が本当のヒッピー的なイメージで演じられてしまっては確かに厳しかったかもしれないが、ジーパン姿であってもその性格は実に金田一的で、個人的にはまったく違和感がなかった。

 終盤の謎解き部分がイメージでつないでいくような形なので、いわゆるミステリドラマの爽快感にはやや欠けるところはあるとは思うが、それを差し引いても傑作。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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