論創ミステリ叢書から『菊池幽芳探偵小説選』を読む。
菊池幽芳は明治中頃から昭和の戦前あたりにかけて活躍した作家。大阪毎日新聞社に勤めながら執筆活動を行い、名声を博してからは同紙を中心に作品を発表、家庭小説というジャンルで人気を博した。
この時代の探偵小説は黒岩涙香以外ほぼ読めないこともあって、まずはこうして一冊の本としてまとめられたことがありがたい。いや、実際、かなり貴重な一冊なのだ。
収録作は以下のとおり。
『秘中の秘』
『探偵叢話』
「はしがき」
「犯人追躡(はんにんついじょう)の失敗」
「郵便切手の秘密」
「富豪の誘拐(かどわかし)」
「異様の腕」
「二千三百四十三」
「暗殺倶楽部?」
「少寡婦」
「試金室の秘密」

家庭小説というのはあまり聞きなれない言葉だが、当時の近代文学が人間や社会の暗黒面ばかりをとりあげた観念小説中心であることの反動として生まれたジャンルらしい。したがって普通小説や大衆小説とは似ているけれど、その精神があくまで道徳に根ざしているところが大きな特徴と言えるだろう。
解説によると幽芳はその家庭小説の代表格ということだが、彼は新聞社の社員として働きながら新聞小説を書いていたこともあって、新聞小説の使命というものには相当な信念があったらしい。
ただ、家庭にあっても安心して読める健全さ、そういうものが読み物として本当に面白いかどうか。
重要なのは正にその点だが、本作に収録されている長編『秘中の秘』は、あの江戸川乱歩が小学生の頃に母親から読み聞かせてもらい、探偵小説の面白さに目覚めた作品。翻案ものということもあり、あまり家庭小説云々は意識せずともOKである。
実際のところ、本当に道徳とか意識していたのかというぐらい内容はハデハデ。当時の読者には異国情緒で惹かれるところもあったのだろうが、冒頭から幽霊船が出てきて、その中からは生き残りの怪老人が出る、財宝は出る、暗号は出るで、まあなんとも激しい展開である。原作が何かは不明なのだが、新聞連載のせいか読者を引っ張るためにかなりのアレンジを加えているのかもしれない。
だが、残念ながらそれを収斂させるほどのテクニックはなかったようで、後半はかなり適当になってくるのが惜しまれる。
文語体ゆえ読みにくさはあるが、やはり読めてよかったというのが一番。内容はこの際置いといて、戦前探偵小説好きは一度は読んでおくべきかと。