ジョルジョ・シェルバネンコの『傷ついた女神』を読む。おなじみ論創海外ミステリの一冊だが、今回はちょっと変わり種。イタリアの作家によるミステリである。
まあ、ちょっと変わり種といっても、それは日本で知られていないだけのこと。本国ではイタリア・ミステリの父と呼ばれるほど活躍した作家である。1930年代の半ばから小説を発表し始め、40年代からミステリにも着手した。
だが当時のイタリアはファシストの政権下。ミステリを書くにも様々な制限があったようで(例えば犯人は外国人であること、とか)、ついにはミステリそのものが発禁となってしまう。結局、シェルバネンコはスイスに亡命し、ミステリで本領を発揮するのは戦後、亡命から戻って以後のこととなった。ううむ、同盟国側のミステリ事情はどこも似たようなものだったようで。
それはともかく、まずはストーリー。
かつて患者を安楽死させ、三年の実刑を受けた元医師のドゥーカ・ランベルティ。ようやく刑期を終え、釈放された彼のもとへ、仕事の依頼が舞い込んでくる。それはアル中の息子ダヴィデを立ち直らせてほしいという、ある高名な資産家からの切実な相談だった。
自らの置かれた立場もあるため、ドゥーカはその仕事を引き受け受けることにし、ダヴィデとの共同生活が始まった。
ドゥーカは段階的に酒量を減らすプログラムを進めつつ、同時にダヴィデがなぜアル中となったのか原因を聞き出そうとするが、そこである事件の存在に気づく……。

おお、これはいいじゃないか。イタリアンの古いミステリなんてほとんど期待していなかったのだが、いやあ、この出来栄えはちょっとした驚きである。まあ期待していなかった分、逆に評価が甘くなっている嫌いはあるけれど、それにしても。
作風としてはイタリアン・ノワールと言われるように、謎解きメインではなく犯罪小説寄り。ただ、読んだ感じではノワールや犯罪小説というより、むしろハードボイルドにより近い印象である。
心に傷を持つ主人公が、やまれぬ理由から事件を引き受け、いつしか事件と自己の傷を同化させつつ、真実から何かしらを得て回復してゆくという構図。そう、これは紛れもなく70年代から始まったネオ・ハードボイルドの世界なのだ。
主人公ドゥーカが安楽死に手を出して実刑判決を受けた元医師というだけで、設定としてはそれだけで相当に魅力的なのだが、おまけに亡くなった父親が警察官だったとか、シングルマザーの妹の存在だとかが加わり、それぞれは詳しく語られないものの、メインストーリーの合間に断片が描かれ、うまく事件とシンクロする。この加減が絶妙。シェルバネンコはドゥーカの心象を通し、命や正義といった、実にストレートなテーマについて語ってくるのである。
事件そのものは、ダヴィデのアル中に転落するきっかけになったある事件の背景に、組織的な犯罪が隠されていたという按配。これ自体のアイディアは悪くない。
ただ、前半ではあくまでダヴィデを中心に物語が展開し、実際ダヴィデの存在感、キャラクターの面白さがあったのだが、それが後半、事件に押し出されるような形でその輝きが薄れていくのはもったいない。
ぶっちゃけ、中盤以降、事件はダヴィデのものではなく、ドゥーカとヒロインのものになっていく。ここの比重を上げるのはかまわないのだけれど、ダヴィデの問題は真相と別のところでもっとしっかり処理してほしかった。
ということで惜しいところもあるのだが、本作についてはまさしく拾い物という感じで非常に満足。イタリア・ミステリの父らしいので、拾い物という表現は失礼なのかもしれないが(苦笑)。
ちなみに今月、論創社からシェルバネンコ第二弾の『虐殺の少年たち』が出ているようなので、これも早く入手せねば。