論創ミステリ叢書から本日は『北洋探偵小説選』。
北洋という名前は知っていたが、読んだことがあるのはアンソロジーで短編を一つ二つという程度。しかし「写真解読者」は香山滋を彷彿とさせる作風で強く印象には残っており、本書で著者の全探偵小説が読めるようになったのは嬉しいかぎり。いつものことながら編者、版元には感謝感謝である。
収録作は以下のとおり。ミステリとしての全作品が収録され、これに児童向けの中編「アトム君の冒険」、科学関連のエッセイが二作採られている。
「写真解読者」
「ルシタニア号事件」
「失楽園(パラダイス・ロースト)」
「無意識殺人(アンコンシャス・マーダー)」
「天使との争ひ」
「死の協和音(ハーモニックス)」
「異形の妖精」
「こがね虫の証人」
「清滝川の惨劇」
「展覧会の怪画」
「砂漠に咲く花―新世界物語」
「盗まれた手」
「アトム君の冒険」(ジュヴナイル)
「首をふる鳥」(物語風エッセイ)
「自然は力学を行う」(エッセイ)

北洋は戦後間もない頃から探偵雑誌『ロック』を中心に活躍した作家である。”活躍した”といっても、宿痾の喘息がもとで三十一歳という若さで亡くなったため、その期間は五年ほどと短く、大人向けの作品数はわずか十二作という少なさである。
作品数の少なさは北洋が兼業作家だったことも理由のひとつだ。その本業はなんと物理学者。しかも京都大学大学院ではあの湯川秀樹氏に師事し、専門書では氏との共著もあるというから恐れ入る。
ただ、だからといって理系一直線だったわけでもないようで、高校時代からは同時に文学にも目覚め、特にドストエフスキーやリラダンに傾倒したという。ドストエフスキーはともかくリラダンというキーワードには要注目。なんせリラダンといえばピグマリオン(人形偏愛症)テーマで知られる幻想系の作家である。理想の女性を追い求めるあまり、ついには自ら理想の女性を創り出すというテーマは、科学者であっても惹かれるのか、あるいは科学者だからこそ惹かれるのか。
そして北洋の作品は、正にこの物理学とピグマリオンという、北洋の嗜好する二つの要素がふんだんに盛り込まれているのが特長だ。もちろん全部が全部ピグマリオンテーマというわけではない。要は物理学という科学的かつ論理的なスタイルと、ピグマリオンをはじめとする幻想的なテーマの融合が特長的なのである。
もともと探偵小説は、不可思議かつ怪奇な事件によって起こる謎や恐怖を、論理によって鎮めるというスタイルで始まった。そういう意味ではその構成要件を最大限に生かしているが北洋の作風といってもよい。ただ、北洋の作品は謎や恐怖を論理で鎮めるのではなく、論理だけでは鎮まりきらない恐怖や謎を楽しむ、といったほうが適切だろう。事件は一応の決着を見せるが、それだけでは割り切れない真実の不思議、人の不思議さが浮かび上がるところに味わいがある。
そういう意味で管理人の好みは、「失楽園(パラダイス・ロースト)」「天使との争ひ」「異形の妖精」あたりで、どれも見事にピグマリオンテーマである(苦笑)。
正直、探偵小説としては全体的にはバランスが微妙であり、これは傑作というほどのものはない。ただ、上で書いたように北洋ならではのオリジナリティがたいへん感じられ、読んでいる間はまったく退屈しない。
ちょっと変わった探偵小説が読みたい人はお試しを。