論創ミステリ叢書から『蒼井雄探偵小説選』を読む。
蒼井雄は戦前には珍しい本格派、しかもクロフツ流のアリバイ崩しなどを得意としたリアリズム志向の作家である。ただ、本業を別にもつ勤め人だったため、残念ながら作品数はそれほど多くない。長篇が三作、短編も十作あまりしかなく、本書はその短編すべてをまとめたものである。

「狂燥曲殺人事件」
「執念」
「最後の審判」
「蛆虫」
「霧しぶく山」
「黒潮殺人事件」
「第三者の殺人」
「三つめの棺」
「犯罪者の心理」
「感情の動き」
「ソル・グルクハイマー殺人事件」(京都探偵倶楽部による連作)
収録作は以上。「狂燥曲殺人事件」や「執念」「霧しぶく山」「黒潮殺人事件」「三つめの棺」など、他のアンソロジー等で読めるものが意外に多く、いつもの論創ミステリよりは若干レア度が落ちるけれど、やはりこうして一冊にまとめてもらえるのは非常にありがたい。
また、内容の方も予想以上に古びていないのは嬉しい誤算。
当時の探偵小説は変格の方が主流だったこともあって、ある種のファンタジー性とでもいおうか、時代を気にせずに読めるような雰囲気も強いのだが、蒼井雄の場合は本格志向、リアリズム志向ということで、まとめて読むとどうしても劣化が目立つのでははないかという心配があった。それが予想に反し、なかなかいいのである。まあ、古びていようがいまいが、どうせ管理人などは気にせず読むわけだが(苦笑)。
まずはデビュー作の「狂燥曲殺人事件」。のっけから犯罪談義を繰り広げる登場人物、そしてその目前で起こる殺人事件。少々詰め込みすぎてごたごたしているが、本格たらんとする著者の真面目さがよく出ていて、その気持ちを買いたい一作。
ラストがなかなか効いている「執念」は、分量に余裕があれば、もっと面白く書けたはず。もったいない。
「最後の審判」は南波ものの一作。そんなに凝ったものではないが、アイディアは悪くない。
「蛆虫」はオチが読めたけれど、まあ、面白いといえば面白い。問題は犯人の設定やら動機やらがあまりに説明不足で消化不良なこと。コントのような作品と思えばいいのかしら?
「霧しぶく山」は久々に読んだが、これはやはり力作である。作者には珍しい山岳を舞台にした作品、しかも変格仕立てのサイコもの。鮎川哲也はこれに否定的だったというけれど、それは数少ない本格志向の蒼井雄がこういうものを書いたからガッカリしたのであって、その出来自体は悪くない。
例によって読みにくい文章と、変に凝った構成で損をしているが、この異様な設定と迫力は捨てがたい。ラストで明かされるトリックで、やはり蒼井雄が本格志向であったことを思い出させるのも個人的には微笑ましい。
「黒潮殺人事件」はおそらく最も知られている著者の短編。導入の不可思議さ、海上でのアリバイ崩しというのが、日本のクロフツの面目躍如というところ。これもおすすめ。
ちなみに本作の竹崎は、以下の「第三者の殺人」「三つめの棺」「犯罪者の心理」にも登場するシリーズ探偵。特高に所属していたため、戦後は警察を退かざるを得なくなったという設定は魅力的だが、肝心の人柄がいまひとつ伝わってこないのが残念。もう少し育ててもらいたかったキャラクターではある。
労働組合の事件を描いた「感情の動き」は最初は退屈な展開なのだが、終盤の劇的な展開に引き込まれる。まずまず。
京都探偵倶楽部の合作「ソル・グルクハイマー殺人事件」は、あらかじめ担当や内容を固めた上で書かれたらしいが、個々の文章力に差があり、ちょっと厳しい。これはあくまで付録レベルか。
というわけで、全体的には予想以上に楽しめる一冊であった。蒼井雄といえばどうしてもクロフツ云々という話になるが、まとめて読めばそこまでガチガチという感じでもなく、著者がいろいろと模索をしていたことも伺える。
ただ、相変わらず読みにくい文章という印象だけは変わらなかった。もともと説明的な文章が多いことにも関係あるのだろうが、短い作品ではとりわけ詰め込んでおり、リズムもよろしくない。やはり長めの「狂燥曲殺人事件」「黒潮殺人事件」「霧しぶく山」あたりがオススメとなるが、ううむ、当たり前の結果ですまん。