アントニー・ギルバートの『灯火管制』を読む。著者は英国の本格系ミステリ作家。1920年代から’70年代の長きにわたって活躍し、九十冊以上の著書がある人気作家である。しかし、我が国ではこれが四作目の紹介という、ほぼ知られざる作家でもある。
ドイツ軍の爆撃に怯える戦時下のロンドン。弁護士クルックの住むアパートメントもその例外ではなく、近所に爆弾が落ちたこともあって、ほとんどの人が疎開している始末である。
そんなある日、クルックが帰宅すると、暗闇のなか自宅の扉の鍵を開けようとしている気配がある。もしや泥棒か? しかし数々の修羅場を経験したクルックにとって、それぐらいは動じることでもない。むしろどう展開するのか陰からしばらく様子を眺めてみたが、なかなか鍵は開きそうにない。呆れたクルックが「手伝おうか」と思わず声をかけると、その不審者は階下に住む老人であった。
部屋を間違えただけのことかと思いきや、老人の話す内容がどうにも雲を掴むような不思議な話。クルックも俄然、興味を持つが……。

まあ、先に知られざる作家なんて書いたものの、邦訳された四冊のうち三冊はいまだに現役本。内容もなかなかのものなので、知っている人は知っている作家といえるだろう。
過去に邦訳されたなかでは論創海外ミステリの
『つきまとう死』が特にいい作品だが、本作もそれに負けてはいない。
英国の本格黄金期の流れを汲んでいるといっていいのだろう。突出した特徴はないのだけれど、全体に作りが丁寧でそつがないタイプである。キャラクター造形、プロットの組み立て、ラストの意外性……多くの点で平均を上回る。
そのなかでもとりわけ優れた点を挙げるとすればプロットになるだろう。
物語がこの先どう進んでいくのか読者に読ませず、それを興味に繋げるのが上手い。本作の導入もその好例で、階下に住む老人の言動がのっけから奇妙で、正気なのか呆けているのか釈然としない。それを踏まえてさらに変な方向にストーリーが転がる、このフワフワした展開がいいのだ。オフビートというところまでは行かないけれど、様式美で勝負する英国のクラシックミステリとしてはなかなか珍しいタイプといえる。
思えば『つきまとう死』などもなかなか事件を発生させず、それでも面白く物語を引っ張っていけるのだから、やはりお話作りが達者な作家なのだろう。
ちなみに多くの戦争を体験した英米ミステリ作家がそうであるように、アントニー・ギルバートもまた戦時下の描き方が意外にカラッとしているのはさすがとしかいいようがない。しかも出版自体も1942年と、まさに戦時下。この感覚の違いというか文化の差というか。毎度のことながら本当に羨ましく感じるところである。