多岐川恭読破計画一歩前進。本日は『おやじに捧げる葬送曲』。
ここ最近読んでいたものは初期の作品ばかりだったが、本作はほぼ時代物を中心に書いていた後期の作品である。
こんな話。
とある探偵社で働く「おれ」は、重病で入院している「おやじさん」を見舞いに、度々病院を訪れていた。「おやじさん」の病状は深刻で、手足を動かすことははおろか満足に話すこともできず、医師からも余名を宣告されている状態だった。
そんな「おやじさん」の唯一の楽しみが、「おれ」から話を聞くことだ。娘の道子のことはもちろんだが、元刑事ということもあってか、気になるのはむしろ「おれ」が巻き込まれている宝石商殺害事件のようだ。
「おやじさん」は静かに話を聞きながら、ときおり手や目を使って意思疎通を図り、いつしか事件の真相に迫っていった……。

うわあ、すごいわ、これ。評判どおりの傑作。
ベッド・ディテクティヴ、いわゆる安楽椅子探偵ものなのだが、それはこの作品のほんのいち要素に過ぎない。
全編「おれ」の一人語りという叙述形式、綿密なプロットと結末の意外性、そしてお得意の叙情性豊かなドラマ、さらにはそれらを支える確かな描写力とテクニックがある。どれが欠けてもここまで満足できる作品にはならなかったはずで、実に見事としかいいようがない。
本書のポイントをさらに詳しく見ていくと、まずは探偵役の特異な設定である。探偵訳の「おやじさん」は寝たきり老人で、文字どおりのベッド・ディテクティヴ。
ディーヴァーのリンカーン・ライムを彷彿とさせるが、あちらは口もきけるし、コンピュータも駆使したりと、意外に多彩な活動が可能である。だがこちらは死期が迫る重病人。最初のうちこそ指ぐらいは動かしているが、やがてそれすら不自由になり、終盤はほぼ目だけで会話するようになる。
では「おやじさん」はどうやって事件を解決するのか。
それを補うのがワトソン役とでもいうべき「おれ」の存在である。話すこともままならない「おやじさん」に「おれ」が事件を語ってきかせ、ときおり「おやじさん」の反応をうかがいながら話を進めることで物語は流れていく。「おやじさん」の反応は少ないけれど、頭の中は冴えわたっており、要所で「おれ」にカギとなる合図を与えてくれるのだ。
そしてここで重要なのが、この物語がすべて「おれ」の一人称、いや、それどころか「おれ」のセリフだけで成り立っているところである。
普通の一人称の小説と違い、すべてが実際に「おれ」が口にした言葉だけで成り立っているのがミソ。これは相手が「おやじさん」以外の場合でも同様というから徹底している。
完全に話し言葉なので逆に読みにくい部分があったり、他愛ない部分もなきにしもあらずだが、セリフの中に事件のすべてが詰まっており、かつミステリとしての要件をできるだけフェアに満たしつつ、これを終始貫徹させるところは正に職人技といえるだろう。
事件については、軸となる過去の因縁が少々作りすぎの嫌いはあるのだけれど、それもこれも集約させて、実はまったく無駄のない仕上がりにしているのも素晴らしい。このあたりはプロットやストーリー作りの巧さが光るところだ。
ミステリ的な技巧だけではない。相変わらず人間描写が確かで、ドラマとしての質も高い。
とりわけ注目したいのはやはり「おやじさん」のキャラクター造形。ほぼ動きのない「おやじさん」というキャラクターだが、「おれ」とのやりとりのなかで、だんだんそのイメージを浮かび上がらせていく技術はさすがの一言。
また、徐々に衰弱していく「おやじさん」に対し、 「おれ」が想像力を働かせて何とか意思疎通を図ろうとするところは切ない場面なのにどこかユーモラスでもあり、この絶妙なブレンド感がたまらない。
そしてラストは、例によって喪失感と希望が入り交じった味わい深いもので、これだけ技巧に走ったミステリなのに、最上の余韻も堪能できる。こんなミステリはそうそうお目にかかれないだろう。
最後にもう一度書いておこう。これは傑作。
ところで本作はここまで素晴らしい出来でありながら、いまひとつベスト本などで取り上げられることが少なのではないかと読後に気になり、当時の「週刊文春ミステリーベスト10」で何位にランクインしたか調べてみた。
その結果はなんとベストテン圏外。
本書の奥付には1984年11月発行とあるので、該当するのは1985年度版だと思うのだが、念のため1984年版を見てもやはり題名はなし。ううむ、当時の投票した方々はいったい何を読んでいたのか。まあ、文春ベスト10の対象期間が確か11月〜10月のはずなので、どうしても11月や12月に刊行された作品ほど印象が薄くなってしまうのは致し方ないのだが、それにしても……。
ちなみに1985年の「週刊文春ミステリーベスト10」はご覧のとおり。
1位:東野圭吾『放課後』
2位:石井竜生・井原まなみ『見返り美人を消せ』
2位:森雅裕『モーツァルトは子守唄を歌わない』
4位:島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』
5位:土井行夫『名なし鳥飛んだ』
6位:岡嶋二人『チョコレートゲーム』
7位:船戸与一『神話の果て』
7位:志水辰夫『背いて故郷』
9位:森詠『雨はいつまで降り続く』
10位:島田荘司『夏、19歳の肖像』
こんな作品がなぜランクイン?というようなものも混じっていたり、逆にあの『北の夕鶴〜』が4位に甘んじていたり、当時の文春のベスト10はやはりちぐはぐな印象は否めない。というか単に話題作や有名作家の人気投票みたいになっている。この面子なら『おやじに捧げる葬送曲』は1位でもおかしくないと思うのだがなぁ(異論は認めます)。
なお、管理人の所持しているのは講談社ノベルス版だが、創元推理文庫の多岐川恭選集『氷柱』でも読むことが可能である。まあ、どちらも版元品切れではあるが、ネット古書店なら比較的安価で入手できるので、興味ある方はぜひどうぞ。