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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

多岐川恭『イブの時代』(ハヤカワ文庫)

 ええと、今回のブログは18禁かも(苦笑)。

 多岐川恭の『イブの時代』を読む。作品ごとに多彩な設定で楽しませてくれる多岐川作品なのだが、なかでも本作はとびきりの異色作。なんとSFミステリにして、フリーセックスをテーマにした作品というのだから、いやこれは驚いた。
 本作が刊行された1961年というのは、ほかにも『変人島風物誌』、『仮面と衣装』、『影あるロンド』『異郷の帆』、『人でなしの遍歴』、『お茶とプール』など代表作を含む十作以上の著書を発表した年でもあり、まさに油が乗っている頃。そんな時期に書かれたセックスがテーマの作品というのだから、これは期待するなというほうが無理である。いや、決してセックスがテーマだからというわけではないので念のため(笑)。

 イブの時代

 気になるストーリーだが、こんな話。
 2161年の東京。冷凍睡眠から二百年ぶりに目覚めようとしている男がいた。元検事の時雄である。
 目覚めた時雄を待っていたのは、二百年の間にすっかり変貌を遂げた人々の暮らしだった。世界中が科学文明の発達によって豊かになり、人々はあくせくと働く必要がなくなくなる。その結果、人々は争うことや感情を爆発させることも減少し、犯罪も激減した世界だった。
 そんなとき、あるテレビ番組中に人気ダンサーが殺害されるという事件が起こった。犯罪のほとんど起こらない世界では警察機能も縮小されている。そこでその経歴に目をつけられ、捜査に駆り出されたのが時雄だったのだ……。

 というのが発端で、なかなか面白そうな導入ではある。
 ただ、本作はいただけなかった。はっきりいって期待外れ。著者の今まで読んだなかでは一番退屈してしまった。

 最初に書いたように、本作のポイントはSFやミステリにあるのではなく、フリーセックスの部分なのだろう。
 実はこの世界、暴力沙汰も起こらないかわりに、羞恥とか嫉妬とか、けっこう人間の感情の根本的なところが欠落している世界でもあるのだ。この極端なモラルのなか、人々はちょっと気になる相手がいるとすぐに事を始めてしまう始末。人がそばにいようと気にしないし、そもそも普段から裸同然にして暮らしている。
 わざわざ、こういう突飛な設定にしたからには、それが事件に大きく関連してくると予想されるのだが、まあ、確かに関連はするものの融合するところまでには至らず、なんとも中途半端な出来映え。

 好意的に見るなら、SFミステリという部分は物語を転がすための仕掛けであって、見るべきところはそのテーマにあるといえる。セックスや恋愛が自由な未来において、旧来の倫理観をもった人間はどう生きるべきなのか、そもそもどちらが人間にとって幸せな生き方なのかを問うているのだろうが、正直そこまで深い感銘は受けられない。

 設定こそショッキングながら、いざ読んでみると全般的に薄味で、ミステリやSFとしてはもちろん官能小説としても物足りない一冊であった。多岐川作品でもこういうことあるんだねぇ。


多岐川恭『人でなしの遍歴』(東都ミステリー)

 先日に続き、またまた多岐川恭。本日は創元推理文庫版で『静かな教授』とカップリングされている『人でなしの遍歴』。『静かな教授』はちょっと変わったタイプの倒叙であったが、本作もまた少々ひねった設定のサスペンスとなっている。

 こんな話。出版社を営む篠原喬一郎は何者かによって命を狙われていた。このひと月の間に、三度も殺されかけたのだ。体調が悪く、家族とも不仲の状態が続いていたこともあり、篠原は殺すならさっさと殺してくれと思うようにまでなっていた。
 しかし、理由もわからぬまま殺されるのはスッキリしない。せめてその相手だけは知っておきたい。幸か不幸か、これまで非道な人生を送ってきた篠原だけに、思い当たる容疑者は山ほどいる。篠原は犯人を確かめるべく、その容疑者のもとへ巡礼の訪問を続けることにしたが……。

 人でなしの遍歴

 まあ、変なストーリーである。これまで散々悪事を働いてきた親父が、自分を殺そうとする可能性のある容疑者たちのもとを訪れ、その真偽を確かめる。容疑者は全部で六人おり、もちろん今でも篠原のことを恨んでいる。今でも殺したやりたいと告げる。それでも彼らには、いま守るべき生活があり、これからの人生もある。恨んではいるが自分はやってないとも話す。
 篠原はそんな容疑者の中から犯人を見つけ出そうとするが、正直、犯行は大したものではないし、犯人当ての興味も薄い。謎がどうこうというより、篠原が贖罪の行脚によって、どのように精神的に変わっていくかというのが興味の中心である。

 ただ、そもそも発端から主人公が生きる気力を失っているので、そこまで酷い男に思えず、“人でなしの遍歴”が切実に伝わってこないのが残念。その空気はラストまで変わらず、変にさわやかなイメージで締めくくられてしまう。まあ、それが奇妙な味といえないこともないので、おそらくこの味こそ著者の狙ったところなのだろうが。
 とはいえ個人的には、なんじゃこりゃ(苦笑)という感じで。真相も含め、これまで読んできた多岐川作品のなかでは落ちるほうか。主人公の改心がもう少し丁寧に描かれていれば、それこそ奇妙な味の傑作になった気もするが、残念ながらそこまでには至っていない。


多岐川恭『静かな教授』(河出書房新社)

 ワールドカップが始まったが、日本が下馬評を覆して初戦勝利。まあ、どういう形でも勝ちは勝ち。ワールドカップに関しては結果がすべてなので、とりあえず一勝できたのは大きい。しかも相手が南米コロンビアだし。
 というわけで管理人はこういうイベントや行事は決して嫌いではない。馬鹿騒ぎは嫌だが、季節の行事やイベントごとは生活のメリハリにもなっていいのである。しかも、その経済効果たるや。人々が楽しく豊かに暮らすためには、こういう一見無駄なことが必要なのである。あ、ミステリも同じだな。

 さて本日の読了本は、そんなスポーツとは遠く離れて学問の世界の住人を扱った一作。多岐川恭の『静かな教授』である。

 まずはストーリー。恩師の娘・克子と結婚した相良教授だったが、虚栄心の強い彼女との暮らしは相良教授の学究生活をいたくかき乱していた。そのイライラが頂点に達したとき、相良教授はついに彼女を排除しようと決意する。しかし、暴力沙汰が嫌いな相良教授は積極的な犯罪行為には気が乗らず、“可能性の犯罪”を試みる。
 そして試行錯誤のすえ、ついに克子の殺害に成功するが……。

 静かな教授

 多岐川恭の長編としては、先日読んだ『私の愛した悪党』に続く五作目にあたる。これまで本格をはじめとして歴史ミステリやユーモアミステリ、安楽椅子探偵、クライムミステリなどなど、さまざまな趣向&技巧を凝らした多岐川作品を読んできたが、本作は倒叙ミステリである。
 ただし、本作の場合、ミステリとしてはそれほど凝ったものではない。犯人自ら“可能性の犯罪”というように、できるだけ積極的な行動は慎み、過失や事故にもっていくというものなので、そのあたりの興味で読むとちょっとガッカリするかもしれない。

 では本作が面白くない作品なのかといえば、これがまた全然そんなことはなくて、けっこうな良作なのである。多岐川恭の優れたところはミステリの技巧的な面だけではない。もうひとつの武器である語りの巧さ、人物描写の巧さがあり、本作はそちらが十分に発揮された作品なのだ。
 特に光るのが、犯人である相良教授と被害者である克子、二人の描写だろう。
 タイトルに顕されているように、相良教授は“静かな教授”である。常に冷静で感情を表に出さず、一見穏やかな感じだが、実は自分の信念は決して曲げないタイプ。克子は克子で、一見、良妻に見えるのだがこちらは虚栄心の塊。この二人の本性が、刑事や探偵役のカップルの捜査により、少しずつ明らかになっていくのが読みどころ。
 実際に読んでいくと、実はこの本性というのが曲者で、わかったようでわからないところも多々残る。著者はそこに人間の心の面白さや怖さを暗示したかったのではないだろうか。後味もなかなか複雑で、相良教授についつい感情移入してしまうのではないだろうか。
 大したトリックはないし、いたって地味な内容ではあるが、これは好きな作品だ。

 ちなみに本作は河出書房新社、徳間文庫、創元推理文庫『人でなしの遍歴』所収の三種類で読めるが、いずれも絶版品切れ。とはいえネット古書店などでは比較的安価で、入手は容易である。


多岐川恭『私の愛した悪党』(講談社)

 多岐川恭の『私の愛した悪党』を読む。まずはストーリーから。

 昭和十四年のこと、ある人気作家・佐川の生後まもない女の子が誘拐されるという事件が起こる。身代金の受け渡しに失敗し、警察の捜査もむなしく犯人は誘拐した赤ん坊とともにその行方をくらませた。
 それから二十年、感動の再会を果たした佐川夫妻と娘の姿があった。彼女は無事に生きていたのだ。だが、彼らの会話の様子にはちょっと不思議なところがあった。親子はこれが二十年ぶりの再会だというのに、なぜか顔見知りのような雰囲気なのである。いったい再会の裏には、どんな出来事があったのか……。

 私の愛した悪党

 本作は著者四作目の長編でユーモアミステリに挑戦している。
 もちろん多岐川恭のことなので、ただのユーモアミステリで終わるはずもなく、構成に趣向を凝らしつつ、大きな二つの謎を提示してストーリーを引っ張っていくのがミソ。

 まずはその構成に驚かされる。本書はまずプロローグとして、未解決に終わった誘拐事件の顛末を紹介するのだが、その直後にいきなりエピローグをぶちこんでくる。
 しかもその内容というのが、誘拐事件が無事に解決したことを祝う集まりで、作家の家に帰ってきた娘、そして娘の友人たちも集まっての大団円というもの。
 先に結末を見せることで物語のポイントを誘導しているというか、続く本編の興味につなげようとするのが大きな狙いなのだろう。また、ユーモアミステリという性質上、ハッピーエンドを強調して安心して読んでもらいたいという著者の気持ちがあったのかもしれない。

 そしておもむろに幕をあける本編。
 こちらは下町の中華料理屋と下宿が一緒になった「珍来荘」を舞台に、店主の娘・ノユリを語り手として、下宿で起こった殺人事件を描く。こちらも殺人事件だけでは終わらせず、エピローグで示された“誘拐された娘は果たして誰か?”という興味でも展開してゆく。

 というように趣向を凝らした一作ではあるのだが、ぶっちゃけミステリとしては残念ながらいまひとつ。殺人事件もそれほど意外性があるわけではないし、娘探しに至ってはあまりにミエミエすぎて、多岐川恭にしては残念な出来である。
 まあ、そうはいっても本書の場合、殺人事件で彩りを添えてはいるが、キャラクターの面白さやほのぼのとしたドラマを楽しみほうが優先だろう。ミステリとして低調とかいうのは野暮な気もする。
 実際、トータルでは楽しく読めており、特に下宿人で画家の万代さんが繰り広げるケチな詐欺の手口の数々は面白かった。多岐川恭流の新喜劇、そんな一作である。

 なお、管理人は講談社の書下し長編推理小説シリーズで読んだが、講談社文庫版、さらには創元推理文庫版の『変人島風物誌』(表題作品とのカップリング)もある。どれも絶版で古書でしか入手はできないが、文庫だったらどれも比較的安価のようだ。


多岐川恭『変人島風物詩』(桃源社)

 久しぶりの多岐川恭作品である。ものは『変人島風物詩』。
 奇妙なタイトルがややあざとさを感じさせるが、中身もあざとさ満載の一作であった。まずはストーリーから。

 瀬戸内海に浮かぶ小さな孤島・米島。周囲約三キロほどしかなく、生活に必要な最低限の施設しかないその島に、六人の変人が住んでいた。強欲だが弱いものには過剰に世話を焼く地主、不気味な絵を描く洋画家、弾けなくなったピアニスト、執筆しなくなった小説家、元博徒、病弱な少年。
 そんな島であるとき銃声が起こり、強欲な地主が死体となって発見される。果たしてこれは自殺か事故か殺人か。小説家のもとで文章修行をしながら雑用をこなしている“私”は、駐在所の近藤巡査に協力して捜査に乗り出すが……。

 変人島風物詩

 テクニカルな作品の多い著者が真っ向から本格ミステリに挑んだ作品。
 一種の孤島ものというべきか、限定された条件での連続殺人を扱い、密室トリックにフーダニット、さらには登場人物たちの推理合戦など、ミステリにおけるゲーム性を全面的に打ち出している。密室トリックはまあこんなものかというレベルだけれど(苦笑)、容疑者がごく数人という状況のなか、巧みに伏線も織り込んだうえ、きちんと回収もなされている。

 読んでみると実にまっとうなミステリではあるのだが、面白いのは逆に何かあるのではと感じさせるその仕掛け。まあ、著者本人が意識してやっているのかどうかはわからないのだけれど、たとえば導入部の“私”の語りなどは実に胡散臭くて、それが逆にひねくれた読者の裏をかいているというか。登場人物の愛憎関係も人数の割には多すぎるのもなんだかわざとらしい。

 本作は普通に本格ミステリとして読んでもいいのだが、そういうミステリがもっている胡散臭さ=娯楽性を楽しむ作品といってもいいのかもしれない。傑作というには憚られるが、味付けもユーモラスでなかなか楽しい一冊でありました。

なお、管理人は桃源社版で読んだが、手軽に読めるのは創元推理文庫版。ただ、ネットをみると創元推理文庫版も現在は品切れ中のようで、古本であれば入手可能だ。


多岐川恭『的の男』(ケイブンシャ文庫)

 多岐川恭の『的の男』を読む。『お茶とプール』と合本された創元推理文庫もあるが、今回はケイブンシャ文庫版で。

 こんな話。
 貧乏な暮らしから腕一本で成りあがってきた男、鯉淵丈夫。今ではいくつもの会社を経営し、愛人を囲うなどする身分だが、その傲慢な性格と強引なやり方で多くの人の恨みを買い、公私にわたって周囲は敵だらけというありさまだった。
 そして遂に、その敵たちが、鯉淵をなき者にしようと殺害計画を企てる。だが、その企みはことごとく失敗してゆき……。

 的の男

 裏表紙の内容紹介を見ると長篇というふうに書かれてはいるが、これはどちらかといえば連作短編集に近い。ただ、連作短編集とひと口にいっても、そこは多岐川恭のこと、ありきたりの構成ではない。
 各話に必ず鯉淵を殺そうとする者が現れ、その犯罪者の視点で物語が展開するという、いわば倒叙形式。しかも犯罪者は毎回変わるのに被害者は常に同じというという趣向が面白い。そして当然のことながら、被害者が毎回同じということは毎回犯罪が失敗するということでもあり、犯行方法となぜ失敗したかという興味でまずは引っ張ってゆく。

 まあ、正直なところ犯罪方法がそれほどのものではなく、そりゃ失敗もするわなぁというところもあるのだが、そもそも同一被害者の連続殺人未遂事件という設定そのものがよく考えればあまりに非現実的。語り口はいたってシリアスだけれども、なんとなくシチュエーション・コメディっぽい雰囲気を醸し出しており、著者の意図したところなのかどうかは知らぬが、結果としてはいい味わいになっている。
 ……などと考えながら読んでいると、実は物語が半ばを過ぎるあたりから、様相が怪しくなってくる。このさまざまな犯罪の陰に、別の側面があることが示唆されていくのだ。本作が本当に面白くなるのは実はここからで、さらには終盤のダメ押しで「ああそうきたか」となる。

 まとめ。ロジカルな味にはやや乏しいが、倒叙ミステリのスタイルを借りつつも、多岐川恭の持ち味たるケレンの部分がよくでた一冊である。傑作とまではいかないが、十分おすすめには値するだろう。
 それにしても比較的後期の作品なのに、これまで読んだどの多岐川作品とも似ておらず、相変わらずいろいろとやってくれる作家である。


多岐川恭『お茶とプール』(角川小説新書)

 しばらく間が空いてしまったけれど、久々に多岐川恭。ものは『お茶とプール』。傑作『異郷の帆』と同じ1961年に刊行され、創元推理文庫の多岐川恭選集にも収録されているので、これは期待するなという方が無理だろう。

 まずはストーリー。
 週刊レディ社に勤める輝岡協子は同僚でもある友人、星加卯女子の家を訪れていた。その日は卯女子の兄、要の誕生日で、家族と幾人かの友人でちょっとしたパーティーを催していたのである。
 そこに現れたのが、やはり週刊レディ社に勤める協子の兄・輝岡亨。亨は妹とアパートでの二人暮しだが、玄関の鍵を失くしたといって、協子の鍵を借りにきたのだ。
 卯女子から勧められるままパーティーに加わった亨だが、その場には何やら微妙な空気が漂っていた。客のなかに要の恋人・まゆり、そして要と結婚すると広言して憚らない永井百々子が同席していたからである。しかも百々子の父親は銀行の頭取であり、要の父が経営する会社に融資をしていたことから、要の両親はぜひとも要には百々子と結婚してほしかったのである。
 微妙な空気の原因はそれだけではない。実はその百々子の性格がよろしくなく、政略結婚の相手としては認めつつも、家族の誰もが内心では彼女を嫌っていたのだ。
 そんななか事件は起きた。プールで溺れかけた百々子が体を温めるために飲んだココアで毒殺されてしまったのだ……。

 お茶とプール

 いやあ、ほんっとに作品ごとに手を変え品を変え、いろいろとやってくれる作家である。しかもそのアベレージが高い。まあ、それはこちらが代表作から読んでいることもあるのだろうけど、これだけさまざまなテーマを扱いながら、そのどれもがオリジナリティに富んでいるというのはどういうことか。
 本作もこれまで読んだどの多岐川作品とも似ていない。一応はクラシックな本格ミステリ風なのだが、いざ読み終えてみると、決して単なる本格ミステリでないのは明らか。実は最初、この違和感の理由がピンとこなかったのだが、カバーの折り返しに記載された「著者のことば」を読んでストンと落ちた。著者曰く「小ぢんまりしたサロン小説」、「主人公はジュリアン・ソレルの亜流」とも。
 なるほど。つまり本格の衣を被ってはいるが、その内面は『赤と黒』の主人公を意識した犯罪小説に仕上がっているのだ。

 詳しくは書けないが本作のキモはまさにそこにある。犯人の意外性もあるが、そちらの驚きは正直さほどではない。興味深いのは本格から犯罪小説に変質してゆく、その妙にあるといってよい。構成によって物語の性質が変わっていくといえばルメートルのあの作品を連想させるが、こちらはそれほどはっきりした形をとっているわけではないけれども、ラストで得られる感慨は断じて本格ミステリのそれではない。
 前半は確かにクラシックな本格ミステリ風である。家族や友人が一堂に会し、それぞれの人間関係やエピソードが語られ、同時に何かが起こるのではという不吉な空気を漂わせる。そして予想どおり発生する殺人事件。とまあここまでは普通だが、ここからがこちらの予想を裏切っていく。
 主人公の輝岡亨は星加一家の事件に巻き込まれるが、単なる探偵役や狂言回しではない。星加一家や卯女子とのつきあい、会社の女社長との情事などを通し、徐々に妙な立場に立たされてゆく。殺人の謎も気にはなるが、この主人公のドラマが巧みで、そして気づいてみれば最後にそれらが渾然一体となって、優れた犯罪小説を読んだという気にさせるのである。

 多岐川恭ならではの着想、そして描写力あればこその一冊。トリックの弱さなどもあるから他のトップクラスの作品に比べるとさすがに分は悪いが、決して読んで損はない。




多岐川恭『おやじに捧げる葬送曲』(講談社ノベルス)

 多岐川恭読破計画一歩前進。本日は『おやじに捧げる葬送曲』。
 ここ最近読んでいたものは初期の作品ばかりだったが、本作はほぼ時代物を中心に書いていた後期の作品である。

 こんな話。
 とある探偵社で働く「おれ」は、重病で入院している「おやじさん」を見舞いに、度々病院を訪れていた。「おやじさん」の病状は深刻で、手足を動かすことははおろか満足に話すこともできず、医師からも余名を宣告されている状態だった。
 そんな「おやじさん」の唯一の楽しみが、「おれ」から話を聞くことだ。娘の道子のことはもちろんだが、元刑事ということもあってか、気になるのはむしろ「おれ」が巻き込まれている宝石商殺害事件のようだ。
 「おやじさん」は静かに話を聞きながら、ときおり手や目を使って意思疎通を図り、いつしか事件の真相に迫っていった……。

 おやじに捧げる葬送曲

 うわあ、すごいわ、これ。評判どおりの傑作。
 ベッド・ディテクティヴ、いわゆる安楽椅子探偵ものなのだが、それはこの作品のほんのいち要素に過ぎない。
 全編「おれ」の一人語りという叙述形式、綿密なプロットと結末の意外性、そしてお得意の叙情性豊かなドラマ、さらにはそれらを支える確かな描写力とテクニックがある。どれが欠けてもここまで満足できる作品にはならなかったはずで、実に見事としかいいようがない。

 本書のポイントをさらに詳しく見ていくと、まずは探偵役の特異な設定である。探偵訳の「おやじさん」は寝たきり老人で、文字どおりのベッド・ディテクティヴ。
 ディーヴァーのリンカーン・ライムを彷彿とさせるが、あちらは口もきけるし、コンピュータも駆使したりと、意外に多彩な活動が可能である。だがこちらは死期が迫る重病人。最初のうちこそ指ぐらいは動かしているが、やがてそれすら不自由になり、終盤はほぼ目だけで会話するようになる。

 では「おやじさん」はどうやって事件を解決するのか。
 それを補うのがワトソン役とでもいうべき「おれ」の存在である。話すこともままならない「おやじさん」に「おれ」が事件を語ってきかせ、ときおり「おやじさん」の反応をうかがいながら話を進めることで物語は流れていく。「おやじさん」の反応は少ないけれど、頭の中は冴えわたっており、要所で「おれ」にカギとなる合図を与えてくれるのだ。

 そしてここで重要なのが、この物語がすべて「おれ」の一人称、いや、それどころか「おれ」のセリフだけで成り立っているところである。
 普通の一人称の小説と違い、すべてが実際に「おれ」が口にした言葉だけで成り立っているのがミソ。これは相手が「おやじさん」以外の場合でも同様というから徹底している。
 完全に話し言葉なので逆に読みにくい部分があったり、他愛ない部分もなきにしもあらずだが、セリフの中に事件のすべてが詰まっており、かつミステリとしての要件をできるだけフェアに満たしつつ、これを終始貫徹させるところは正に職人技といえるだろう。
 事件については、軸となる過去の因縁が少々作りすぎの嫌いはあるのだけれど、それもこれも集約させて、実はまったく無駄のない仕上がりにしているのも素晴らしい。このあたりはプロットやストーリー作りの巧さが光るところだ。

 ミステリ的な技巧だけではない。相変わらず人間描写が確かで、ドラマとしての質も高い。
 とりわけ注目したいのはやはり「おやじさん」のキャラクター造形。ほぼ動きのない「おやじさん」というキャラクターだが、「おれ」とのやりとりのなかで、だんだんそのイメージを浮かび上がらせていく技術はさすがの一言。
 また、徐々に衰弱していく「おやじさん」に対し、 「おれ」が想像力を働かせて何とか意思疎通を図ろうとするところは切ない場面なのにどこかユーモラスでもあり、この絶妙なブレンド感がたまらない。
 そしてラストは、例によって喪失感と希望が入り交じった味わい深いもので、これだけ技巧に走ったミステリなのに、最上の余韻も堪能できる。こんなミステリはそうそうお目にかかれないだろう。
 最後にもう一度書いておこう。これは傑作。

 ところで本作はここまで素晴らしい出来でありながら、いまひとつベスト本などで取り上げられることが少なのではないかと読後に気になり、当時の「週刊文春ミステリーベスト10」で何位にランクインしたか調べてみた。
 その結果はなんとベストテン圏外。
本書の奥付には1984年11月発行とあるので、該当するのは1985年度版だと思うのだが、念のため1984年版を見てもやはり題名はなし。ううむ、当時の投票した方々はいったい何を読んでいたのか。まあ、文春ベスト10の対象期間が確か11月〜10月のはずなので、どうしても11月や12月に刊行された作品ほど印象が薄くなってしまうのは致し方ないのだが、それにしても……。
 ちなみに1985年の「週刊文春ミステリーベスト10」はご覧のとおり。

1位:東野圭吾『放課後』
2位:石井竜生・井原まなみ『見返り美人を消せ』
2位:森雅裕『モーツァルトは子守唄を歌わない』
4位:島田荘司『北の夕鶴2/3の殺人』
5位:土井行夫『名なし鳥飛んだ』
6位:岡嶋二人『チョコレートゲーム』
7位:船戸与一『神話の果て』
7位:志水辰夫『背いて故郷』
9位:森詠『雨はいつまで降り続く』
10位:島田荘司『夏、19歳の肖像』

 こんな作品がなぜランクイン?というようなものも混じっていたり、逆にあの『北の夕鶴〜』が4位に甘んじていたり、当時の文春のベスト10はやはりちぐはぐな印象は否めない。というか単に話題作や有名作家の人気投票みたいになっている。この面子なら『おやじに捧げる葬送曲』は1位でもおかしくないと思うのだがなぁ(異論は認めます)。

 なお、管理人の所持しているのは講談社ノベルス版だが、創元推理文庫の多岐川恭選集『氷柱』でも読むことが可能である。まあ、どちらも版元品切れではあるが、ネット古書店なら比較的安価で入手できるので、興味ある方はぜひどうぞ。


多岐川恭『異郷の帆』(講談社文庫)

 ぼちぼち進めている多岐川恭読破計画の四冊目として、本日は『異郷の帆』を読む。著者の代表作というだけでなく、鎖国時代の長崎出島が舞台ということでも気になっていた一冊である。

 まずはストーリーから。
 時は元禄。鎖国政策をとる幕府によって、諸外国との交流は一切禁じられていたが、唯一の例外が長崎出島であった。その交易相手はオランダに限定され、しかも女性の同行は厳禁。また、オランダ人も出島以外への外出はすべて禁止されていた。さらに正規な交易品以外の持ち込みは認められず、武器の所持も一切禁止である。
 だが、そんな厳重な監督下においても裏はある。一部のオランダ人と出島の役人は結託し、不正な密輸入で私服を肥やしていた。
 その出島で通詞として働く浦恒助がいた。欲もなく世襲のままに淡々と職務をこなす浦だったが、オランダ商館に住むハーフのお幸には惹かれるものがあった。しかし、オランダ人甲比丹と日本の遊女のハーフという出自では、世間体を気にする母親の反対は間違いなく、しかも安定した職すら失いかねない。その先へ踏み出すことに浦の躊躇は大きかった。
 そんなある日のこと。オランダ商館のヘトルが刺殺されるという事件が起こる。もともと黒い噂のある人物だったが、犯人は特定できず、凶器すら発見できなかった。奉行が警戒にあたるなか、今度は通詞の一人が殺害される……。

 異郷の帆

 いやあ素晴らしい。まあ、代表作ばかりを読んでいるのだから当たり前っちゃ当たり前だが、多岐川恭に今のところ外れなし。
 ミステリの部分ばかりではなく、それ以上にしっかりした人間ドラマも堪能させてくれるところが多岐川作品の魅力だけれど、本作では日本の歴史上でもとびきり特殊な出島という舞台設定もあって、それがいっそう花開いている印象である。

 まずはミステリとしての部分。
 出入りが徹底的に制限されたこの狭小空間は、いうなれば大きな密室。あるいは嵐の山荘である。部外者の犯行はあり得ず、すべての人間が顔見知りというなかで凶器はどのように消え失せ、アリバイはどのように構築されたのか。
 謎の導入としては申し分なく、出島という地を活かした仕掛けもまたよし。正直、トリックはそれほど大したものではないけれど、真相はかなり意外であり、出島でなければ成立しないミステリを楽しめる。

 また、出島ならではの人間模様が物語に奥行きを与えている。
 とにかく登場人物が多彩である。主人公の通詞、浦恒助は周囲からは覇気に欠けるように見られているが、実は海外への憧れを秘めた青年。お幸は美人で気立ても良いが、合いの子と蔑まされ、その出自から出島から出ることもできない悲しい身である。
 さらには日本人やオランダ人からも疎まれている、転びキリシタンのポルトガル人通詞。植民地から奴隷として連れてこられた現地民、隠れキリシタンの遊女、色狂いで吝嗇の通詞、暗躍する大工、貿易の実権を握るひと癖ありそう商人などなど。
 まさに出島でなければ登場できない人物たちばかり。本作ではそんな人々の生活、そして生き様が実に丁寧に描かれており、それだけでも楽しく読めるほどだ。

 最後に出島そのものがもつ負の魅力という側面。海外への唯一の門となる出島だが、その華やかなイメージとは裏腹に本質は閉鎖的であり、暗黒面もまた多い。そのため出島で暮らす人々の間には、どこか閉塞感や厭世観に似たものが漂っている。
 人々はその中でそれぞれの宿命を抱えて生きている。そして各人の思惑が出島という空間と相容れなくなったとき、悲劇が起こる。多岐川恭はその絡め方がとてつもなく巧いのである。ひとつの事件を通して、当時の出島が抱えていた問題が次々と明らかになる展開はまさに職人技である。
 真相が明かされ、ラストへとつながるくだりに至ってはもう圧巻。ほろ苦さと希望がないまぜになり、言いようのない感動を味わえるだろう。

 ※蛇足
 本作を読むにあたっては出島についての予備知識が多少あると、スムーズに物語世界に入り込めてよろしいかと。
 通詞=通訳を主とする役人、甲比丹(カピタン)=オランダ商館長、ヘトル=オランダ次席商館長、乙名=出島の交易にあたった役人、といった具合に固有の用語が多いし、出島の地図や制度まで頭に入っているとかなり入りやすい。
 管理人などは20〜30ページほど読んだあたりでこりゃまずいと、恥ずかしながら以下のページで少し学生時代の復習をしたほどである(苦笑)。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/dejima/


多岐川恭『落ちる』(創元推理文庫)

 すっかりマイブームになりつつある多岐川恭だが、本日は短編集『落ちる』をご紹介。管理人が読んだのは創元推理文庫版で、直木賞を受賞した河出書房新社版『落ちる』に初期の秀作三編を加えた、いってみれば多岐川初期短編の決定版である。
 収録作は以下のとおり。

「落ちる」
「猫」
「ヒーローの死」
「ある脅迫」
「笑う男」
「私は死んでいる」
「かわいい女」
「みかん山」
「黒い木の葉」
「二夜の女」

 落ちる

 おお、長篇だけでなく短篇も相当のレベルで満足度は高い。男女の愛憎や痴情のもつれがテーマになっている作品が多く、ともすれば二時間ドラマの素材的な安っぽい感じにもなったりするのだが、多岐川恭はものが違う。それらの材料をときにはシリアス、ときにはコミカル、さらには奇妙な味にも落とし込んだりと、バラエティ豊かに味付けして飽きさせない。
 そもそも心理描写が細やかなので、どういうテーマを扱おうが、小説としてしっかり成立させてしまう力がある。著者自身も謎解きやトリック以前に小説であることを強く意識していたことを公言しているが、もちろんミステリとして物足りなければあえて読む必要もないわけで、多岐川恭もそう言いながらきちんとミステリとして両立させることには抜かりがなかった。
 文学性とミステリの両立といえば連城三紀彦あたりがすぐに思い浮かぶが、あそこまで狙いすましたものではなく、ごく自然にわかりやすい形でまとめているのが多岐川恭のポイントだろう。比較するのもなんだが、この時代のミステリ作家は単純に作家としてのレベルが高くてよい。

 以下、各作品の感想など。
 表題作の 「落ちる」は自己破壊衝動に駆られる男の物語。妻に対する愛情が崩れ、猜疑心が一線を超えたとき……。ノイローゼの主人公というキャラクターが意外に魅力的で、生まれ変わるとまではいかないけれど、ラストで主人公の心境が一変するところは思わず拍手である。

 「猫」は謎解きものとして見ればまあまあだが、サイコ的な犯人像が秀逸で、サスペンスとしては力作。犯人に狙われる女性主人公も飾り物のステレオタイプでなく、複雑な女性心理を打ち出しているところがお見事。

 「ヒーローの死」は密室を扱った作品で出来はそれほど悪くないのだが、いかんせん他の作品に比べるとやや弱い。

 個人的に本書中のベストといえるのが「ある脅迫」。なんというか、この設定の妙。小心者で冴えない銀行員が宿直の夜、強盗に襲われる。だが、その強盗が実は……。未読の方にはぜひオススメしたい奇妙な味の傑作。これ読まないのはもったいない。

 「笑う男」も奇妙な味の部類に入るか。主人公は収賄事件の発覚を防ぐため、とうとう殺人まで犯した男である。犯罪隠蔽からの帰りの電車内、主人公はたまたま隣り合わせた男に、自分の犯した事件の推理を聞かされるはめになる。推理を聞かされながら一喜一憂する主人公が、物悲しいけれどどこかユーモラス。

 殺されるのを待つだけの老人が主人公の「私は死んでいる」。甥夫婦とのやりとり、亡き妻との仮想会話シーンなど軽妙なやりとりが楽しいユーモアミステリである。

 「かわいい女」は悪女もの。この作品に限らず、多岐川恭はこういうテーマが得意というかお好みというか。当時はこういう作品の需要も高かったのだろう。物語のもつサスペンスよりキャラクターありきといえる。

 「みかん山」は再読だが、今あらためて読むとこれはバカミスの一種なのか。ミステリとしての評価は落ちるが、インパクトはなかなかである(笑)。

 「黒い木の葉」は技巧とドラマががっぷり四つに組み合った好編。導入部の少年少女の淡い恋愛模様、その恋愛に反対する母親の物語に引き込まれていると、あっという間に少女が殺害され、今度は一転して関係者の事情聴取というスタイル。巧い。

 「二夜の女」は温泉宿で出会ったある男女の恋愛と犯罪の物語。絵に描いたような二時間サスペンスドラマ調、といえば聞こえは悪いが、もうすべての放送作家が見習ってもいいぐらいお手本のような作品。先が読むやすいのが欠点だが、いや、むしろ先の読みやすさを含めてこその逸品である。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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