ずいぶん懐かしい名前だなぁと思いながら読みはじめたのが、チャールズ・ウィルフォードの『拾った女』である。
いつのまにかノワールや犯罪小説の巨匠的扱いで紹介されているようだが、管理人が初めてウィルフォードの作品を読んだのは、ホウク刑事を主人公としたマイアミ・ポリス・シリーズである。コミカルだが意外にまっとうな警察小説で、けっこう楽しめた記憶はあるのだが、その頃はさすがに巨匠というイメージはなくて、むしろ刑事ドラマ的な作品を大量生産するようなB級作家だと思っていた。
そんなイメージを変えたのが、その後に刊行されたノン・シリーズの『危険なやつら』。こちらは未読なのだが、話によると相当に尖った作品だそうで、これを機にウィルフォードという作家の本質、本領が見直されることになったようだ。
『拾った女』はそんな著者の初期作品。英文学者の若島正氏によると、ウィルフォードが文学に耽溺していた時代の作品ということで、これは確かに気になる。
さて、まずはストーリー。
若い頃に絵画の道を志していたハリーだが、夢は破れ、今では安食堂で食い扶持を稼ぎながら酒に溺れる毎日を送っていた。そんな彼の前に現れたアル中の女、ヘレン。ハンドバッグを無くし、文無しだと話すヘレンに、ハリーはその夜の宿を用意してやる。
翌日、金を返しに現れたヘレンを見たハリーは、衝動的に仕事を辞め、そのまま彼女と同棲生活に入る。しかし、金もなく、酒に溺れる二人の前に希望は見えず、二人はいつしか心中へと駆り立てられてゆく……。

おおお、なるほど。そうきたか。これはいいぞ。
破滅へと進む男女の姿を描いた作品は決して少なくない。それこそノワールのひとつのパターンといってもよいぐらいだ。そういういかにも類型的、パルプ小説的なストーリーながら、語り口の巧さによってジャンルを超えた高みにまで昇華している好例が本作である。例えればジェイムズ・M・ケインとかジム・トンプスンの雰囲気やレベルをイメージしてもらえればよい。
一見、凡庸な展開ながら、ハリーとヘレン二人の圧縮された蜜月と絶望の日々には、心の闇がたっぷりと練りこまれており、死への衝動がじわじわと染み出してくるところなどは非常に巧みである。
ただ、それだけでは本作の魅力の半分しか堪能したことにならない。
実は本作、ラストでとんでもない事実が明らかになり、同時にウィルフォードの企みも明らかになる。それは通常のどんでん返しとは違って、物語の様相を反転させるとかいうことではない。様相はそのままに、さらに深化させるものなのである。
似たような趣向は今ではそれほど珍しくもないが、本作のテーマがテーマなだけにそのオリジナリティは今でも古びない。技巧がテーマにしっかり奉仕している、そんな作品といえるだろう。
万人に勧めにくいところもあるけれど、騙されたと思って一度は読んでもらいたい。