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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

戸川安宣『ぼくのミステリ・コンパス』(亀鳴屋)

 戸川安宣の『ぼくのミステリ・コンパス』を読む。東京創元社の編集者として活躍した戸川氏が、1978年から1992年にかけて朝日新聞に連載したミステリコラムをまとめた一冊。

 ぼくのミステリ・コンパス

 かつて国書刊行会からも戸川氏の『ぼくのミステリ・クロニクル』が刊行されたが、あちらは業界の裏方としての活躍、いわば黒子としての業績をまとめたものだったが、かたや本書では新聞に連載された書評などが中心で、表舞台の業績をまとめたものといえるだろう(とはいえ当時は匿名だったはずだが)。

 ただ、そうは言っても全国紙に掲載された、こぢんまりとしたコラムである。比較的マイルドな、悪くいえばあたりさわりのない書評だろうと思って読み始めたのだが、これがいい意味で裏切られた。新人作家はもちろんベテラン作家に対してもけっこう辛い評価をするし、翻訳や出版社の企画、新人賞などにもなかなか注文が厳しい。ときには『推理文学』や『幻影城』といった、おそらくほとんどの朝日読者が知らないであろうマイナーなミステリ雑誌の廃刊まで紹介するし、想像以上に好き勝手に書いている印象である。
 そんなミステリマニアが喜びそうな記事のある一方で、取り上げるミステリは本格から通俗もの、冒険ものと非常に幅広く、決してマニアばかり相手にしているわけでないのもよい。ちょっと驚いたのがフレデリック・フォーサイス『悪魔の選択』を採り上げていたこと。当時はすでに推しも押されぬベストセラー作家だったはずで、角川書店の新聞広告のデカさなどは今でも覚えている。それぐらい超メジャーになったしまったため、むしろミステリマニアが喜んで読むような作家ではなくなったと思うのだが、そういう作家も全国紙という媒体である以上しっかりと紹介するのがいいのである。そういう意味でも、採り上げられる本はマイナーメジャー共に、実に興味深い。

 ちなみに、以前『マンドレークの声 杉みき子のミステリ世界』の感想でも紹介したが、本書は金沢の小さな出版社である亀鳴屋から刊行されている。こちらの版元は編集も素晴らしいけれど、製本がまた輪をかけて素晴らしい。本書も装丁といい質感といいサイズといい実にしっくりくる。本好きなら絶対好きになる版元なので、気になる方は定期的にこちらをチェックしてみるとよろしいかと。

 なお、ナンバーは 279 of 613でした。

戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)

 いやあ、いい本を読んだ。どこをとっても興味深い記事が満載なのである。もう素晴らしいとしかいいようがない。
 その本というのが、戸川安宣による『ぼくのミステリ・クロニクル』だ。

 ぼくのミステリ・クロニクル

 著者の名前は、ディープなミステリマニアなら知っていて当然、一般的なミステリ好きでも一度はその名前ぐらい聞いたことがあるのではないか。
 かの東京創元社で長らく編集者として活躍し、数多くの企画や新人作家の発掘を通して、戦後の日本ミステリ界を引っ張ってきた名編集者である。最後は社長にも就任し、退社後もミステリ専門書店「TRICK+TRAP」の運営に携わるなど、ミステリに関する仕事のうち、ミステリを書くこと以外はすべて体験した人物。
 その日本ミステリ界の偉大なる黒子、戸川氏の歴史をまとめたのが本書である。

 ミステリを書くこと以外はすべて体験した、と書いたが、それは目次にも顕れている。
 すなわち第一章「読む」では、安宣少年が本と出会い、ミステリに目覚め、やがて立教大学に進学し、ミステリ・クラブを創設して積極的にミステリと関わる時代を回想する。
 続く第二章「編む」は、戸川氏が就職した東京創元社での編集者時代。ペーペーの新人時代から始まり、最後は社長にまで上り詰めるが、その活動の中心は常に編集業である。
 最後の第三章「売る」では、ミステリ専門書店「TRICK+TRAP」で、本を売る側として活動した体験が語られる。

 一章、三章もいいが、やはり二章で明らかにされる内容が圧倒的だ。
 管理人もミステリについては小学生時代から読んできており、当然ながら創元推理文庫にはずいぶんお世話になった。書籍番号の変更、ジャンルマークの廃止、「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」の誕生、ゲームブックの誕生、日本人著者の起用、イエローブックスや創元ノヴェルズなど新叢書の企画、雑誌の登場など、すべてリアルタイムで見てきている。
 そして、そういったムーヴメントのほとんどに関わってきたのが戸川氏なのであり、それらの裏側が惜しげもなく披露されている。これ書いて大丈夫なの?というような内容もあったり、ときには関係者やライバル社に対してチクリとやることもあったり。あるいは逆に旧態然とした経営や仕事っぷりなど自分たちのダメな部分も浮き上がったり、まあよくぞ書いてくれましたということばかり。
 また、立教ミステリ・クラブなどを通じて、のちにミステリの世界で名をあげる方たちとの人脈が広がっていくあたりも面白い。

 本書は戸川氏の自伝的な本でもあると同時に、ミステリ好きなら誰もが知っている東京創元社の裏側を紐解いた本でもあり、そして戦後のミステリ出版史の重要な記録である。
 翻訳ミステリ好きなら必読。とにかく興味を持った人は、書店の店頭で適当に途中のページを開き、ぱらぱらと中身を少し読んでもらいたい。面白さは保証する。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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