創元推理文庫の古いところで、ウィリアム・ハガードの『殺し屋テレマン』を読む。
著者は1950年代後半にデビューした英国の作家。スパイスリラーで売り出し、チャールズ・ラッセル大佐・シリーズが人気となり、第二のイアン・フレミングとして注目された。
「第二の○○」みたいな売り文句はだいたいアテにならないことが多いが、ウィリアム・ハガードは第二次世界大戦時には情報将校を務めており、その経験が生きたか、単なる二匹目のドジョウで消えることもなく、1990年あたりまでは安定して作品を発表していたようだ。
本作はそんなハガードの初期のノンシリーズ作品である。
まずはストーリー。
英国の植民地として統治されるセント・クリー島。これまでは地図にも載っていないほどの小さな島ではあったが、一帯が油田地帯である可能性が発見され、がぜん注目が集まっていた。
その利益をめぐって関係者が水面下で動くなか、英国にとって最大の脅威は、隣国の独裁者から派遣された破壊工作員テレマンの存在だった……。

なるほど。007シリーズのヒットに便乗したスパイスリラーという先入観で読み始めたが、まったくそんなことはなく、かといってもちろんル・カレのようなシリアスなスパイ小説というわけでもなく、これは完全に冒険小説といったほうがいいだろう。
諜報戦や組織的な戦略、駆け引きみたいな要素はほとんどなく、むしろ男対男の真っ向勝負を描くところが本題で、かつ読みどころとなっている。
主人公は油田を管理するユニバーサル社の現場監督、デイビッド・カー。パイオニア精神に溢れ、安定した生活を嫌うタイプである。だからといって破天荒とか粗野なわけではなく、礼節を重んじ、弱きを助ける男でもあり、地元民族にも尊敬され慕われている。まあ、絵に描いたような冒険小説の主人公だ(苦笑)。
破壊工作員テレマンもそんなデイビッドの存在に気づき、彼の存在こそが目的達成のための障害と考え、まずはデイビッドを亡きものにしようとする。
ところがテレマンもまたデイビッドと同じように仕事や生き方に関しては高いプライドをもっている。デイビッドの人柄を知るにつけ、彼に対しては卑怯な手を使わず、男同士の戦いをしたいと望むようになる。
このあたりがスパイ小説というより冒険小説と呼びたくなる大きな要因なのだが、残念なのはここをあまりにやりすぎてしまったことだ。
つまり、騎士道精神にのっとった戦いを前面に打ち出すあまり、随所に不自然で納得のいかない展開が見られるのである。
例えば、テレマンがデイビッドに対して畏敬の念を抱くきっかけになったエピソードがひどい。なんとテレマンが地元民族に捕まって袋叩きにあい、それをデイビッドが助けるのである。
いや、助けるのはいいとして、それにテレマンが恩義を感じるのもいいとしても、テレマンが地元民族にあっさりやられるというのはいかがなものか?(笑) この後も二人は度々出会い、その度にテレマンはデイビッドに対してその気持ちを表明していく。そんな暇があったらさっさと暗殺しろよという話なのだが、どうにもクライマックスまでの伏線がくどすぎる。
テレマン絡みのエピソードだけでなく、本作は全般的にデイビッド万歳の描写が多く、これらもちょっと萎える要因である。まだデビュー二作目の作品ということで小説がそもそも巧くないこともあるのだろう。
ただし終盤のアクションはそれなりに面白いだけに、よけいこれらの欠点がもったいなく感じてしまった。
ハヤカワミステリではチャールズ・ラッセル大佐ものがけっこう翻訳されているのだけれど、ううむ、今後そちらを読むかどうかは微妙なところである。