論創海外ミステリからジョン・P・マーカンドの『サンキュー、ミスター・モト』を読了。
第二次大戦をはさんだ不穏な世界状況を背景として、日本人の特務機関員ミスター・モトが活躍する冒険スパイもののシリーズ作品である。極めて特殊なキャラクターだけに、日本での知名度は意外にあるように思うのだが(あくまでミステリマニアの間にかぎった話だが)、これまでの邦訳は角川文庫の『天皇の密偵 ミスター・モトの冒険』、雑誌『EQ』の65、66号に分載された『ミカドのミスター・モト』二作のみ。この論創海外ミステリから出た本作でようやく三作目となる。

アメリカで仕事のミスを犯し、今は遠く離れた北京で隠遁生活をおくる元弁護士の青年トム・ネルソン。ある日のこと、ネルソンが多くの外国人が集まるパーティーに出かけたところ、イギリス人の探検家でもあるベスト少佐に夕食に招待される。
ベスト少佐の目的は没落した満州の貴族、タン親王への口利きであった。北京で暗躍する一味、不穏な政治情勢を臭わせながらも、その真意は明かさないベスト少佐。ネルソンは遅くに彼の家をあとにするが、翌日、ベスト少佐が死亡したというニュースが飛び込んできた……。
序盤のあらすじを紹介したところでもおわかりのように、主人公はミスター・モトというよりは、アメリカ人の青年、トム・ネルソンである。ミスター・モトは事件を収束に導く案内人のような役目であり、さらには主人公を成長させていく師のような存在ともいえる。
これはシリーズ全体を通してもおおむね共通の構図のようで、ミスター・モトは狂言回しのような意味合いが強いのだろう。
事件への関わりは決して弱くないのだが、ミスター・モトの素性などはほとんど明らかにされず、読者はあくまでトム・ネルソンを通して感情を移入させてゆく。
ミスター・モトの印象としては、極めてビガーズの生んだ中国人探偵チャーリー・チャンに近い。かたや中国系こなた日系、かたや本格こなたスパイものという違いはあれども、その雰囲気やタイプなどはそっくり。
両者は時代も近いし、これはマーカンド先生パクったかとも思ったが、解説によるとそもそもがビガーズの死後、チャーリー・チャンにかわるシリーズを作りたいという出版社の意向で生まれたのが、このミスター・モトということらしい。それにしても少しは違うタイプにしてもいいんではとも思うところだが、しょせん当時の西洋人から見た東洋人。中国系も日系も同じようにしか見えなかったんだろうなと邪推する次第である。
内容的には上でもちらと触れたが冒険スパイものである。
といっても007のような派手なギミックがあるわけでなく、かといって後年のル・カレに代表されるようなシリアスものでもない。ただ、書かれた時代ゆえ牧歌的なところはあるにせよ、著者の描きたかったのは後者のタイプなのだろうと感じた。
主人公がワケもわからず政治的陰謀に巻き込まれるというのは、成長物語としての要素というだけでなく、結局は政治と個人の関わりを描きたかったのであり、間違いなくその時代の政治に対するメッセージなのである。
と書いていてふと気がついたが、本作はジョン・バカンとかモームの『アシェンデン』に近いのかもしれない(といっても両方とも読んだのはかなり昔なので曖昧な記憶しかないのだが)。
ということで昨今の過酷なスパイ小説に慣れていると、比較的ゆるい感じは否めない本作だが、実は最後1ページで衝撃的な事実が明かされる。
もしかすると、ここを読むために今まで本書を読んできたのかと思わせるぐらい強烈なエピソードであり、あらためて本作が紛れもないスパイ小説だったのだなと実感できるところでもある。
全面的にオススメとはいえないが、管理人的には満足できる一冊であった。