ジョー・ネスボの『その雪と血を』を読む。
著者はノルウェー出身の作家で、日本で最初に紹介されたのはハリー・ホーレ刑事シリーズ三作目の『コマドリの賭け』。これが2009年のことだから、スティーグ・ラーソンのミレニアム・シリーズの大ヒットにのっかったとは推測できるが、その後も割と翻訳が続いているので、安定した実力と人気はもっているとみていいだろう。ネットでも好意的な感想が多いようだ。
とはいえ最近の北欧警察ミステリは供給過多のきらいもあり、個人的な優先順位はそれほどではなかったのだが、先ごろ第八回翻訳ミステリ大賞をぶっちぎりで受賞したのでさすがに気になった。
ちょいと調べてみると、ハリー・ホーレものではなく、新たなシリーズ、しかも殺し屋が主人公というから、これはネスボ一冊目としてはなかなかよいのではないかと読んでみた次第。
こんな話。
オーラヴ・ヨハンセンは組織に属する殺し屋だ。いつもはボスに命じられて淡々と仕事をこなすが、今回の仕事だけはちょっと特別だった。狙う相手は浮気をしているらしいボスの妻だったのだ。
事情はともかく仕事にとりかかるオーラヴだったが、ここで信じられないことが起こる。なんとオーラヴはボスの妻に惚れてしまったのだ。恋と仕事の間で揺れるオーラヴは、妥協策をとろうと考えたが……。

なるほど。これはいい。
一言でいえば殺し屋の一人語りで進められるパルプ・ノワールである。主人公が生きる暗黒の世界を通して、屈折した登場人物たち、そして彼らが繰り広げる愛と暴力が描かれる。
ストーリーはいたってシンプル。オーラヴがボスの妻と転落しつつもそこから這い上がろうとする物語なのだが、そこに愛と暴力がギュッと濃縮されて詰まっている。
もちろんそれだけで傑作と呼ぶにはまだ早い。
著者がただ懐古的にパルプ・ノワールを書いたというわけではなく、そこには現代的なミステリとしての仕掛けもきちんと組まれている。
そしてなにより注目すべきなのは、主人公の殺し屋オーラヴの人物造形である。切れ者というわけではなく(むしろできないことの方が多い)、頭もちょっと弱いが、読書家。冷酷ではないが人は簡単に殺すことができる。ロマンチックで人情にも厚い。
型にはめにくい、そんな独特の倫理観をもつ主人公の一人語りが非常に詩的でハードボイルド。これまた独特で魅力的なのである。
しかも。
その語りが油断ならない。現在起こっていることと回想が地の文で混ざり合っていたり、意識が超越したりと読み飛ばしを許さない。文体が雰囲気づくり以上の意味をもっているといってよいのだが、まあ、こういうところが翻訳者が選ぶ翻訳ミステリ大賞で高い評価を受けた理由でもあるのだろう。
大人の男のためのファンタジー、そんな一冊である。おすすめ。