世界初の長編ミステリとして知られるエミール・ガボリオの『ルルージュ事件』を読む。国書刊行会から初の完訳が出てすぐに買ったのはいいが、月日の経つのは早いものであっという間に九年ものの積ん読である。まあ、これぐらいは普通だよね(笑)。
まずはストーリー。
1862年3月6日木曜日のこと。パリ近郊のラ・ジョンシェール村で、クローディーヌ・ルルージュが殺害死体となって発見された。ルルージュ夫人は村人との付き合いこそあれ、その素性を明かすことがなく、事件は謎に包まれる。
捜査に乗り出したのはパリ警視庁のジェヴロール治安局長、ルコック刑事、ダビュロン予審判事の面々。さらにはルコックが師と仰ぐ素人探偵のタバレまでが召集され、それぞれの思惑で捜査が進められる。
やがて明らかになる意外な事実と複雑な人間関係。事件関係者のみならず捜査関係者までをも巻き込んで、意外な展開を見せてゆくが……。

予想以上に面白い。世界初の長編ミステリということで、どうしても歴史的価値によるフィルターがかかってしまうのは仕方ないのだが、そういう見方を可能なかぎり排除したとしても全然OKである。現代でも十分に面白く読めるレベルといってよい。
その面白さの素になるのは、しっかりしたプロットに裏打ちされた物語性だろう。主要な登場人物それぞれに重要なドラマや背景が用意されており、それらががっちりと絡み合って、重厚な物語を構築する。
探偵役のタバレ、予審判事のダビュロン、被害者のルルージュ、容疑者のアルベール子爵、その父のコマラン伯爵、青年弁護士のノエル、その母のヴァレリー、貴族の令嬢クレール、その祖母のダルランジュ公爵夫人等々。彼らのすべてがある意味主人公である。
相互の関係を密にするためにどうしてもご都合主義的なところはある。そのボリュームゆえに冗長なところもないではない。だがトータルではそんな疵を楽々と吹き飛ばすだけのリーダビリティがある。
本作が発表されたのは1866年。文学史上ではそれこそ名作傑作がごろごろしていた時代でもある。特にミステリという枠でガボリオも小説を書いていたわけではないだろうが、大衆小説というものはかなり意識していたようで、むしろこれぐらいは書いて当然という気概もあったのかもしれない。
さて人間ドラマとしては十分なレベルなのだが、肝心のミステリとしてはどうか。
実はこちらもそれほど悪くはない。もっぱら状況証拠だけで進めようとする警察に対し、犯人は証拠や論理で特定すべきとの見方が予審判事によって示されるなど、合理的に解決に導こうとする姿勢はミステリとしてまっとうな姿だろう。トリックまではさすがに期待できないとしても、真相は捻りもあり、二転三転する展開もまずまず。
ちなみにタバレが登場時にデュパンばりの推理を披露するのはご愛嬌か。
まあ、それらのミステリ的要素で占める部分が、物語の中心にあればより良かったのだろうが、先に書いたようにそもそもガボリオにミステリという意識などはなかったはずで、むしろここまで面白い読み物にまとめた手腕をこそ評価するべきだろう。
個人的には十分満足できる一冊。