ゴードン・マカルパインの『青鉛筆の女』を読む。久々にまったくの予備知識なし、店頭で帯のキャッチに惹かれて買い求めた本である。
なんせ惹句が煽る煽る。下手にまとめるのもあれなので、ここはそのまま引用しておこう。
MWA候補の超絶技巧ミステリ
書籍・手紙・原稿で構成される、三重構造の驚異のミステリ!
2014年カルフォルニアで解体予定の家から発見された貴重品箱。その中には三つのものが入っていた。1945年に刊行されたパルプ・スリラー。編集者からの手紙。そして、軍支給の便箋に書かれた『改訂版』と題された原稿……。開戦で反日感情が高まるなか、作家デビューを望んだ日系青年と、編集者のあいだに何が起きたのか? 驚愕の結末が待ち受ける、凝りに凝った長編ミステリ!
ここまで書かれたら、そりゃあ気にはなる。しょぼい叙述トリックで終わるような予感もしたが、著者は若い頃にゲームや映画のシナリオも書いていたようだから、メタフィクション的なものにはけっこう慣れている気もするし、ここはだまされたと思って読んでみた次第である。
今回、ややネタバレとなるので未読の方はご注意ください。

まあ、結果からいうと、確かに凝った構成ではあるけれど、そこまで衝撃的な作品ではなかった。メタフィクションそのものを目的とするのではなく、著者の確固としたメッセージがあって、それを効果的に伝える手段としてのメタ的要素である。
では、そのメッセージとは何かという話だが、それは第二次世界大戦中のアメリカにおいて行われた人種差別。しかも対象は日系人。もちろん、それは日本軍の真珠湾攻撃に端を発したものであり、そのため当時の現地の日系人がどのような悲劇に見舞われたかというものである。
上手いといえば上手い。
そのメッセージを主張するために、著者はまず日系人タクミ・サトーという作家志望の青年が書いた『改訂版』というハードボイルド小説を披露する。これが便箋に書かれた未刊の原稿である。
その作中の主人公、日系人のサム・スミダは大学の教員で、最近、妻を殺人事件で失ったばかりである。しかし、警察が真剣に捜査をしているように思えないスミダは、自ら調査に乗り出す。ところが彼が入った映画館で停電が起こり、再び明かりがついたときから、不可思議なことが起こる。彼がこれまで生きていた痕跡がすべて失われ、学校や自宅の知人もみな彼のことを覚えていないのだ。
この発端だけでも引きこまれるが、著者はここで第二の矢を放つ。それが女性編集者(すなわち青鉛筆の女である)からタクミ・サトーにあてて書かれた手紙である。
編集者は「時勢柄、日系人を主人公にしては誰も本を買わない。他の国の東洋系にして、日系スパイと対決させるような話にしよう」と持ちかけるのだ。その指摘はもっともなものであり、サトーのことも非常に親身になって考えてくれているようであった。
そして三本目の矢。タクミ・サトーが編集者の意向にそって書き直したと思われる、1945年に発表されたスパイスリラー『オーキッドと秘密工作員』である。
主人公は韓国系の刑事ジミー・パーク。彼は映画館で起こった殺人事件に遭遇し、その影で暗躍する日系女性を追いかけてゆく。
魅力的なのは、この『オーキッドと秘密工作員』と『改訂版』がプロットを共通とした対の物語になっていることだ。すなわち『オーキッドと秘密工作員』では捜査する側、『改訂版』では容疑者側を主人公とし、物語を両面から描いているのである。『改訂版』・書簡・『オーキッドと秘密工作員』、それぞれのパートが一巡したところで、もう読み進めずにはいられない。このリーダビリティは確かにすごい。
まず注目すべきは、やはり二つの物語の真相だろう。特に『改訂版』は主人公のことを誰も覚えていないという状況があり、まあ、似たようなミステリは他にもあるが本作の場合はそれが徹底しているので、その仕掛けはさすがに気になるところだ。
ただ、ここでひとつ疑問がおこる。『改訂版』の第一章は編集者が眼を通してはいるものの、第二章以降は『オーキッドと秘密工作員』として書き直して進めているだけに、その後の原稿はどうやって書かれたのかということだ。
そして、それこそが著者の企みのひとつになっている。
もうひとつ注目したいのは、この二つの物語をはさむ編集者とタクミ・サトーの関係性。時局が悪化する中、二人の周囲も慌ただしくなり、サトーにいたっては日系人収容所に連行されてしまう。
編集者もまた夫を戦争で失い、『オーキッドと秘密工作員』の執筆と修正を通し、二人の絆がますます強まるように思えていくのだが実は……。
とまあ、匂わせるような書き方はしてみたが、本作のメッセージは先にも書いたように、戦時の日系人の運命である。それは『改訂版』と『オーキッドと秘密工作員』を通しても描かれるのだが、実は書かれなかった物語=編集者とタクミ・サトーの物語において、もっとも強いインパクトを残すのである。
『改訂版』がどのように書かれたのか、その裏にはどういう理由があったのか、なぜ『改訂版』の主人公、サム・スミダの存在が世の中から消されてしまったのか、どんでん返しと共にすべてがラストで暗示される。このプロットの組み立ては素直にほめておきたい。
ただ、こういうふうに書いていると実に面白そうに見えるのだけれど、最初に書いたように、正直そこまでの満足感はないし、衝撃も受けなかった。
その理由を考えてみるに、ひとつはラストのわかりにくさか。明快な説明を避けているのはかまわないけれど、暗示としては地味すぎるというか。これではどんでん返しをどんでん返しと気づかない人もいそうである。本当は腰砕けの作品ではないのだが、きちんと読まないと腰砕けにみえてしまうという不幸。
また、そういった凝りすぎた構成や技巧の結果、そちらにばかり意識が誘導され、逆にメッセージ性を弱めることにつながっている。訴えたいことは非常にシンプルなだけに、それが技巧とそぐわないというか。ラストのわかりにくさも問題だが、むしろこちらのほうが罪は重いかもしれない。
なんとも惜しい一作である。