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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

笹沢左保『もしもお前が振り向いたら』(講談社文庫)

 笹沢左保の『もしもお前が振り向いたら』を読む。作者の作品は改題が多いことでも知られているが、本作もその例に漏れず、初刊行時は『後ろ姿の聖像』という題名だったが、これが『もしもお前が振り向いたら』→『魔の証言』と変更されてきた過去がある。
 そして、なんと来月発売される徳間文庫「トクマの特選!」版では、『後ろ姿の聖像~もしもお前が振り向いたら』となるようだ。まさか合わせ技で来るとは(笑)。

 まずはストーリー。東京は調布市にある製パン工場の駐車場で、バーの経営者・十津川英子が車の中で絞殺死体となって発見された。英子の男関係から二人の人物の名前があが理、捜査対象はまず彼らに向けられる。ただ、英子を知るベテラン刑事・荒牧だけは、かつて英子が証言した殺人犯のお礼参りではないかと考える。その犯人・沖圭一郎が八年間の刑期を終え、出所したばかりだったからだ。
 アリバイを主張する沖圭一郎。だが荒牧とその相棒の御影刑事は捜査の結果、彼のアリバイを崩すことに成功する。しかし、それを予測していたかのように、沖は鉄道へ身投げしてしまう。ともかく一件落着したかに見えた事件だったが……。

 もしもお前が振り向いたら

 悪くない。なんせ初期の作品が傑作揃いなので、正直これぐらいのレベルではもう驚かなくなってきていることも事実だが、それでもこの安定したクオリティ、そして常に何らかの仕掛けを試みている姿勢が本当に素晴らしい。

 本作でもアリバイ破りを中心にしたストーリーかと思いきや、中盤で大きくフーダニットに舵を切り、加えて過去のある事件の真相にも迫る。トリック云々には見るべきところはないが、事件全体の構成が見事で、この一見動かしようのない強固な状況を、いかにして警察側が切り崩すのか、そこが本作の肝といえる。
 切り崩すとはいっても名探偵などは登場しない。その役目はあくまでごく普通の刑事たちである。足で情報を集め、経験と勘にもものをいわせつつ推理を巡らす。そして情報や関係者の言動の中から僅かな違和感を見出し、そこを突破口にするという流れである。この違和感に対する気づきのシーンが読みどころで、これもまた本格ミステリの魅力のひとつといえるだろう。

 娯楽読み物としても手厚いのが著者のいいところだ。当時の中年男性の悲哀をモチーフにしたり、二人の刑事を対比させる見せ方など、実にそつがない。特に主人公の二人の刑事は絵に描いたようなベテランと若手の相棒同士だが、キャラ付けを変にやりすぎないのがいい按配で、やり取りが素直に楽しめる。もちろん今となっては古臭く感じるところもあるけれど、むしろこの全体の雰囲気が昭和を感じさせて個人的には好みである。
 なお、ベテラン刑事の娘のエピソード、若い刑事の宝くじのエピソードは、どちらもそこまで必然性がなくちょっと拍子抜け。絡めるならもう少しきちんと掘り下げないとあまり効果的でなく、そこが少し残念だった。


笹沢左保『セブン殺人事件』(双葉文庫)

 笹沢左保の『セブン殺人事件』を読む。新宿淀橋署の宮本刑事部長と本庁の佐々木警部補の二人を主人公にした連作短篇集である。
 収録作は以下のとおり。

「日本刀殺人事件」
「日曜日殺人事件」
「美容師殺人事件」
「結婚式殺人事件」
「山百合殺人事件」
「用心棒殺人事件」
「放火魔殺人事件」

 セブン殺人事件

 宮本刑事部長と笹木警部補、二人の刑事を主人公にしたところがミソ。二人は年齢も見た目も刑事としてのキャリもまったく正反対である。ただ、それぐらいの設定なら、その辺のよくあるコンビもの、バディものだ。著者はここに一捻りして、事件によって解決する役を替えることで変化をつけた。
 これはコンビものにありそうでなかった趣向であり、二人のやり取りに推理合戦という要素が加わり、単なるコンビもの以上の面白みは出ている。ただ、正直「推理合戦」とまではいかず、対決というよりはあくまで協力の延長であり、そこが惜しいところだ。

 惜しいといえばタイトルもご同様。本書は収録作が七作、各話のタイトルもすべて漢字七文字で構成されており、これらが『セブン殺人事件』の意味だと思われる。しかし、遊びとしては別に面白くもないし、事件自体はどれもシリアスなタイプなので、もう少しちゃんとしたタイトルにしたほう方がよかったのではないか。
 もしかするとそれ以外の意味合いがあるかもしれないので、ご存知の方はご教授ください。

 ついでに書くと、内容も惜しい。カバー表4にの紹介文には「息もつかせぬ展開、綿密なトリック、思いもよらない結末〜」とあり、帯にも「書店員が選んだもう一度読みたい文庫ミステリー第1位!」という威勢のいい惹句が記されているけれども、いくらなんでもそれは言い過ぎ。
 全体的なレベルとしてはまずまずと言ったところで、どちらかというとサスペンスドラマの原作みたいな内容が多い。軽い読み物としては悪くないけれども、ミステリとしてそこまで着目するようなところはない。少なくとも著者の代表長編あたりを期待するのは間違いである。
 ただ、ラストの「放火魔殺人事件」だけは嬉しい例外。タイトルどおり放火を扱った事件であり、不特定多数からどうやって犯人を絞るのか、また、その背景にあるものをきちんと膨らませれば、長編としてもいけそうなネタである。しかも抒情性という部分でも強く印象に残り、これを読めたことが本書の収穫といってよいだろう。


笹沢左保『結婚って何さ』(講談社文庫)

 もうすぐ「トクマの特選!」から笹沢左保の『結婚って何さ』が復刊されるというので、積ん読から掘り出してひと足早く読んでみた。

 こんな話。上司の嫌がらせに怒って会社を辞めた遠井真弓と疋田三枝子。やけ酒とばかりにハシゴを続けるうち、行きずりの男と意気投合して最後は旅館に泊まって酔い潰れる。ところが翌朝、起きてみると男は絞殺死体となっていた。怖くなった二人は警察に届けず、そのまま逃げようとするのだが……。

 結婚って何さ

 なんせタイトルがひどいので(苦笑)、ちょっと後回しにしていたところはあるのだが、さすが『招かれざる客』『霧に溶ける』『人喰い』などと同じ1960年に発表されただけのことはあり、本作もまたなかなかの出来栄えだ。

 基本的には巻き込まれ型のサスペンス。主人公の真弓がわずかな手がかりを頼りに自分で犯人を探そうとするが、あっという間に友人を失い、さらには第二、第三の事件に遭遇して……というスピーディーかつ予想外の展開が素晴らしい。とりわけそれらの事件が真弓自身の事件とは一見、関係ないと思われるところがミソ。
 巻き込まれ型サスペンスといえば、古くはアイリッシュの作品などのように、主人公の打つ手打つ手が先回りするかのように新たな事件が起こったりするものだが、本作は複数の事件が同じタイミングで発生していたというのが面白い趣向である。もちろんそんな偶然はそうそうないだろうということなのだが、ではその関連やいかに?というのが謎の軸となる。読み進めるうち、これがただの巻き込まれ型のサスペンスではないことに気づく、その瞬間が最高である。
 このほかにも密室殺人、アリバイ崩しなどもあるし、まあ、どれも大技とまではいかないし、しっかり前例もあるネタではあるが、プロットが非常によく考えられており、十分に佳作レベルといってよいだろう。ただ、短か目の長篇でスピード感優先ということもあってか、少々強引な処理が目立つのがもったいなく感じた。

 本作の魅力としては、昭和三十年代の時代風俗やキャラクターが生き生きと描かれている点も忘れてはならないだろう。もともと笹沢作品にはそういう傾向が強いけれど、本作では主人公のOLが当時でいう「はすっぱ」、今でいうヤンキー系の女性であり、会話や行動力に独特のキレがあるというか、より効果的な印象である。
 ただ、クセが強いだけに、人によっては拒否反応も出そうな気もするが(苦笑)。

 ちなみに管理人が読んだのは古本で買ってあった講談社文庫版で、ほかには光文社文庫版もあるようだ。古書でも入手しやすい一冊ではあるが、せっかく近日、徳間文庫から復刻されるので、気になる方は応援の意味でもぜひそちらでどうぞ。


笹沢左保『アリバイ奪取 笹沢左保ミステリ短篇選』(中公文庫)

 笹沢左保の短篇集『アリバイ奪取 笹沢左保ミステリ短篇選』を読む。笹沢左保は長編のみならず短編も数多く書いてきた作家で、短篇集だけでも百冊以上の著書があるという。本作はそんな短篇集から初期の傑作をセレクトしてまとめたもの。最近、マニアックなミステリ短編集を出している中公文庫、しかも編者は日下三蔵氏ということで、期待できる陣容である。
 まずは収録作。

「伝言」
「殺してやりたい」
「十五年は長すぎる」
「お嫁にゆけない」
「第三の被害者」
「不安な証言」
「鏡のない部屋」
「アリバイ奪取」

 アリバイ奪取

 主に六十年代初めに発表された作品が中心で、そのほとんどが労働者階級を主人公にしている。描かれているのは彼らの日常における金銭や愛欲に絡むトラブルだ。笹沢作品は長篇短篇かかわらず、この手の設定が多いけれども、これらは当時流行していた社会派の影響もあるだろうし、掲載された大衆誌などの要望もあるだろうが、そもそも著者がリアリティを重視した証というのが大きいだろう。
 ただ、素材は似ていても、本格風からサスペンスまでアプローチはいろいろと工夫しているし、また短篇とはいえ長めのものが多く、物語は意外に濃い口。そういうところもミステリファンだけでなく広く読まれた理由ではないだろうか。個人的にはこの頃の男女の物語に火サス以上のドロドロ感が感じられ、これもまた昭和ミステリの味であろう。

 初期傑作選だから当然ハズレもなく、どの作品も安心して読めるが、強いて好みを挙げると……文字どおり伝言の面白さがキモの「伝言」、クリスティの名作と日本の童話を連想させる怪作「お嫁にゆけない」、法定もののサスペンスが味わえる「不安な証言」、構成の妙が光る「アリバイ奪取」あたり。
 解説によると、今後は違うテーマでの短篇集も予定されているということなので、ぜひ期待したい。


笹沢左保『他殺岬』(光文社文庫)

 笹沢左保の他殺岬』を読む。管理人の手持ちは古本で買った光文社文庫版だが、少し前に「トクマの特選!」でも新装版が発売されたばかり。誘拐ものの代表作として知られる一作である。

 美容業界の大物・環千之介が自殺した。さらにその後を追うようにして、後継と目されている娘の環ユキヨも足摺岬から身を投げる。
 きっかけは女性週刊誌のスクープ記事だ。彼らの詐欺的な美容商品がすっぱ抜かれ、そこから過去の不祥事も明るみに出てしまったのだ。たちまち事業は停止に追い込まれ、千之介の逮捕も時間の問題だった。
 そんなとき、記事を書いたルポライター・天知昌二郎のもとに、ユキヨの夫・環日出夫から電話が入る。ユキヨの死の責任は天知にあり、その復讐として天知の幼い息子を誘拐し、五日後に殺害するというのだ。
 天知はユキヨの死が自殺ではなく、他殺の可能性があると考え、それを証明することで日出夫を説得しようとするが……。

 他殺岬

 著者の誘拐ものといえば『真夜中の詩人』が面白い趣向の作品だったが、本作も悪くない。
 主人公がある仮説の元にユキヨの自殺事件を再調査するというのが大きなストーリー。五日間というタイムリミットを設けてサスペンスを高めてはいるが、全体的には足で稼ぐ調査が中心で、どちらかといえば地味な展開だろう。だが、そのバックヤードに構築されたプロット・構図が恐ろしいほどに緻密で、終盤でようやく著者の狙いに下を巻くという寸法である。登場人物はごく少数に限られているし、なんとなく犯人も動機も想像はつきやすいのだが、最後に読者の予想をサクッと外しにかかるのは、さすが笹沢左保といったところ。

 要はお話作りが巧いのだろう。笹沢作品は純粋なミステリとしての面白さと、人間ドラマとしての面白さをバランスよくブレンドしている印象で、本作もその例に漏れず。
 特にラストで示される二つの展開は非常に効果的だ。主人公の胸だけでなく、読者の胸にも割り切れないモヤモヤを残してくれる。この負の余韻ともいうべきところが本作の魅力といっても過言ではない。

 ただ、ここまで誉めておいてなんだが気になる部分もちらほら。一番気になるのは、複雑になったプロットを成立させるため、どうしても登場人物の行動に無理が出てしまうところ。たとえば犯人の気持ちはわからないではないが、そこまでやりますか、ということだ。
 また、主人公のユキヨの事件を解決することで犯人を説得するという部分も相当に無理があるし、警察と重要な情報を共有しないのも不思議。まあ、そこは単に省いているだけかもしれないが、警察が捜査すればよりスムーズに進んだ部分もあるだけに、少々乱暴な印象は拭えない。

 ということで少しケチも付けたものの、誘拐もののバリエーションとして十分に楽しめる一作で、読んでおいて損はない。
 ちなみに天知昌二郎は本作のほか『求婚の密室』、『地下水脈』にも登場するが、後者は未読なので、ぜひそのうちに。


笹沢左保『真夜中の詩人』(角川文庫)

 笹沢左保の『真夜中の詩人』を読む。なんと誘拐もので、『本格ミステリ・フラッシュバック』にも取り上げられていた著者の代表作の一つ。誘拐ミステリにはなんとなく佳作傑作が多い気がするが、本作もその例に漏れない。

 こんな話。老舗デパート「江戸幸」社長の孫・三津田和彦が誘拐されるという事件が起こる。和彦はまだ生後十二ヶ月ほどの幼児。しかし、犯人からの連絡はあったものの、なぜか身代金などの要求はなかった。程なくして今度は普通のサラリーマン夫婦の息子・浜尾純一が誘拐される。純一も生後11ヶ月ほどであり、犯人からの連絡はあったものの、やはり身代金の要求などはなかった。
 警察は同一犯の犯行と推測するが、手がかりはほとんどない。純一の母尾・真紀は、和彦の母親と被害者同士で相談をするが、その矢先、真紀の母親が轢き逃げによって死亡してしまう……。

 真夜中の詩人

 母親が子供を取り返したい一心で自ら事件を調査するというのがメインストーリーで、アプローチそのものはかなりオーソドックス。とはいえ一介の主婦にすぎない主婦・真紀が、警察や探偵事務所等の手をほぼ借りずに調査を進めるというのは、かなり無理のある設定だろう。
 だが、そこは著者も考えているようで、あくまで素人ができることの範疇に収めており、素人が悪戦苦闘や挫折する様子、周囲の人間とギクシャクしていくところなども描いており、かなり納得感はある。何より息子を思う母親の気持ちに引っ張られて、かなりのボリュームの作品ではあるがリーダビリティは非常に高い。

 アイデアも面白い。ほとんど手がかりがない状態で、どうやって犯人を見つけ出し、子供を取り返すのか。ミステリとしてはもちろんこれが最大の興味ではあるのだが、謎解きものとしてはむしろ「なぜ誘拐犯は何も要求しないのか?」であろう。このアイデアがあるからこそ本作は佳作たりうる。
 さらには中盤過ぎに思いもかけない展開があり、これがまた読者を惑わせて楽しい。ネタバレゆえどういう展開かは読んでからのお楽しみというところだが、これこそが終盤にかけての大きなターニングポイントでもある。ラストではそれまでの謎が一気に収束され、その手際も実にお見事。

 ただ、惜しいところもないではない。それは主人公・真紀の夫や妹の人物造形である。息子を誘拐された家族にしては、かなり真紀に対して冷淡だったり、理解が足りない感じがするのだ。
 特に夫はひどい。妻が誘拐された息子を探そうというのに、まったく協力しないのである。そういう反応によって物語を転がしていくという、ストーリー上の都合なのは理解できるけれども、これはあまりに極端だ。最初はてっきり夫が誘拐に一枚噛んでいるのかと思うほどだし、終盤でようやく協力的になると、逆にこれは何かの罠なのではないかと思うほどだ。
 個人的にはこの点が非常に気になってしまい、そのため本作は佳作とは言えるけれども、傑作とは言えないかなと思った次第である。


笹沢左保『暗鬼の旅路』(徳間文庫)

 笹沢左保の『暗鬼の旅路(『暗い傾斜』改題』)』を読む。以前コメント欄でくさのまさんからお勧めいただいたもの。

 こんな話。太平製作所の若き女社長・汐見ユカは、素人発明家の三津田に二千万円を投資し、空中窒素の固定化を研究させていた。ところが株主総会で研究が失敗だったことが明らかになり、ユカもその責任を取らざるを得なくなる。悪いことに、二千万円はユカが個人的に大株主の矢崎から借りたものであり、さらには直後に三津田が失踪。ユカは三津田を自首させるために彼の跡を追うが、関係者には金策のためだと伝えてくれと総務部朝の松島に依頼する。
 しかし、松島のもとに届いた連絡は、三津田とユカが高知の室戸岬で心中事件を起こし、ユカだけが一命を取り留めたというものだった。しかも時を同じくして、矢崎も東京の護国寺で死体となって発見された……。

 暗鬼の旅路

 企業に関わる経営者、部下、研究者、投資家などがそれぞれの立場で動きつつ、裏では公とは別の人間関係や事情、例えば立場を超えた恋愛関係なども絡むという設定は、サスペンスドラマ的な展開といえばいえるし、ストーリーを引っ張る常套手段ではある。
 しかし、そんなベタな展開が、実は物語の味付けというだけではなく、メインの仕掛けとなるアリバイトリックの説得力をより高めるための手段であることに舌を巻いてしまった。ネタそのものは確かに無理があるかもしれない。だが、それをリアルに思わせる描写の確かさがある。また、その結果として作品のテーマがより明確になるという側面もあり、やはり笹沢左保は侮れない。
 ミステリと文学の融合みたいな表現があるけれど、笹沢左保はさしずめミステリと通俗文学の融合と言えるかもしれない。ミステリが通俗文学の一種であるという話はともかくとして、昭和ミステリの楽しさというのは、実はこういうところにあるのではないだろうか。

 なお、本作はもともと『暗い傾斜』という題名だったが、『暗鬼の旅路』に改題されて、管理人もそちらを所持している。理由は不明だが、おそらくセールス上、字面の力が弱く感じられたのかもしれない。ただ、作中終盤で“暗い傾斜”という言葉についての言及があり、その意味を踏まえると、やはり“暗い傾斜”のままが適切だったのではないだろうか。もし「トクマの特選!」で復刊されるようなら、再び『暗い傾斜』に戻してほしいものだ。


笹沢左保『愛人はやさしく殺せ』(徳間文庫)

 徳間文庫の「トクマの特選!」は復刊専門のレーベルとしてスタートしたが、先日読んだ『猫の舌に釘をうて』もその一冊。古典と違って、昭和の手に入りそうで入らない傑作佳作を出してくれるのは、ミステリとちょっと深く付き合ってみようかという若い人にはとてもいい企画だと思う。ディープなファンにとってもこの辺りの作品は意外と後回しにしている人も多そうだし、できれば長く続いてほしいものだ。

 という枕なので、本日の読了本は「トクマの特選!」から選びたかったのだが今回は勇み足。つまり来月に「トクマの特選!」から発売が予定されている一冊から旧版でお先に読んでみた次第。ものは笹沢左保の『愛人はやさしく殺せ』である。
 「トクマの特選!」の尖った表紙と違って昭和感満載のイラストが、むしろ笹沢左保の作風とマッチしてこれはこれで味わい深い。

 愛人はやさしく殺せ

 まずはストーリー。東日本の山林王とも呼ばれる資産家の小木曽善造は、実務を弟と息子に任せ、自らは三人の秘書兼愛人を侍らせ、趣味の事業に没頭していた。ところがその三人の秘書兼愛人の一人・有馬和歌子が、善造との出張中に殺されるという事件が起こる。
 善造の息子・高広は親友の刑事・春日多津彦に個人的に調査を依頼、交通事故で入院中ながらほぼ完治していた春日は、親友の頼みとあって調査に乗り出した。しかし三人の秘書兼愛人が次々と殺害され、しかもその背景には日本神話にある三種の神器が関係してくる……。

 メインストーリーは春日刑事が美人ニューハーフ・ミナを相棒に、全国の事件現場を訪ねて回るという展開。それこそ昭和の典型的なサスペンスドラマであり、トラベルミステリの雰囲気もけっこう強めである。しかも見立て殺人と思わせた三種の神器の設定がいまひとつ。
 「トクマの特選!」も本作については見誤ったかと思いきや。中盤を過ぎる頃から想定外の要素が入り、並行して容疑者の目星がついてくると無事に息を吹き返す。

 一応、その中心となるのがアリバイトリックだろう。登場人物が限られているので、犯人自体は予想がつきやすい。しかし、著者はシンプルとはいえかなり強引なトリックによってアリバイを成立させ、読者を悩ませる。
 著者が巧いのは、単にそのアリバイトリックだけで勝負するのではなく、プラスアルファの要素即ち読者にそれを悟らせない仕掛けをここかしこに効かせているところだ。電話だったり手紙だったり、そうした小道具の使い方が巧く、本作の価値を高めてくれている。

 ということで著者の他の傑作よりは落ちるが、単体で見るかぎりは悪い作品ではなく、著者のアイデアやテクニックを楽しめる一作といっていいだろう。


笹沢左保『求婚の密室』(光文社文庫)

 笹沢左保はサスペンスや時代小説を数多く書いた多作家でありながら、マンネリに陥ることなく、ミステリに対してさまざまな試みを実践してきた作家でもある。そのため大傑作とまではいかないまでも、著者のアイデアが詰まった「これは読んでおくべき」という作品が多いのが魅力だろう。
 ただ、当時の雑誌やテレビドラマでの一般的なファンを取り込む必要から、昭和の作品には味付けとしての過剰なサスペンスやお色気が盛り込まれているのも事実。復刊も増えてきているようだが、その点が今の若いミステリファンにどう映るかが心配である(笑)。

 さて、そんな笹沢作品から、本日は『求婚の密室』を読了する。こんな話。
 大学教授の西条豊士は、自らの誕生日と引退を祝い、同時に女優の娘・富士子の婚約発表をするため、軽井沢の別荘に十三人の人々を招待する。だが招かれた人々は決してそこまで穏やかなメンバーではなかった。
 というのも西条はその年の初めにセクハラで女子学生から告訴されていた。やがて告訴は取り下げられたが、その際に西条と対立した関係者が全員招待されていたのだ。さらには富士子の婚約発表についても、婚約者候補が二人招待され、そのどちらかが正式に選ばれる予定であった。ただ一人、ルポタイターの天知昌二郎だけはマスコミにセクハラ事件の噂が広がるのを阻止すべく動いたため、そのお礼もあって招待されているようだった。
 しかし、翌朝、西条夫妻が離れの地下室において、密室状態で死体となって発見される。そして床にはダイイング・メッセージと思われる文字が……。

 求婚の密室

 これはまた思い切った趣向である。軽井沢の別荘を舞台に、限られた登場人物だけで構成しているのは嵐の山荘的で、ここに密室やダイイング・メッセージという仕掛けを盛り込むなど、非常に本格ミステリを意識した作品となっている。
 しかもストーリーも非常に潔い。基本的には事件が起こった後、三人の人物によって推理が順番に披露されるというもの。つまり多重解決ものでもあるのだ。気持ちとしては一幕ものの推理劇であり、本格好きならゾクゾクすること請け合いの設定なのである。恐ろしいことに本作が発表されたのは1978年、著者がすでに売れっ子になった以後の作品だということ。それがここまでガチの本格にチャレンジしたところに、著者の本格ミステリに対する並々ならぬ意気込みを感じる。
 ただ、正直なところトリックが弱く、特にダイイング・メッセージはいただけない。しかし、実はもう一つ最後に明かされるトリックがあって、そちらがいろいろな意味でインパクトがあるため、差し引きすれば十分お釣りがくるといってよいだろう。

 なお、この光文社文庫版自体が2009年刊行の新装版なのだが、どうやら版元品切れのようなので、これもできれば徳間文庫の復刊レーベル「トクマの特選!」に入れてもよいのではないだろうか。


笹沢左保『突然の明日』(講談社文庫)

 笹沢左保の『突然の明日』を読む。笹沢作品のなかでも本格ミステリとして評価の高い一作。まずはストーリーから。

 六人暮らしの小山田家では、夜は全員揃っての夕食と団欒が習慣であった。あるとき保健所に勤務する長男の晴光が妙な体験をしたと話す。以前の恋人だった女性を街中で見かけたが、一瞬で消えてしまったというのである。もちろん、その場では家族の誰にも明確な答えなど出るはずもなかった。
 その翌日のことである。晴光があるマンションから落下して死亡したと警察から連絡が入った。しかもそのマンションの一室では殺人事件が発生していたというのである。警察では晴光が犯人で、犯行後に自殺したと推測しているようだった。
 平凡ながら幸せに暮らしていた小山田家にとって、それは残酷な知らせであった。父の義久は勤めを辞め、母は床に伏せる。婚約中だった長女の悦子は破談となり、次男の忠士はグレて遊び歩くようになる。
 そんななか、次女の涼子だけは兄への濡れ衣を晴らしたいと願い、やがて父の義久もきを取り直し、二人で調査を始めるのだが……。

 突然の明日

 なるほど。地味ではあるが、これは悪くない。
 警察の捜査はまったく描かれず、二人が僅かな手がかりを地道に追いかけ、真相を突き止める様が描かれてゆく。メインの謎がアリバイということもあるだろうが、華やかなトリックがあるわけではなく、アクロバティックなロジックが見られるわけでもない。しかし、聞き込みを続け、集めた情報をもとに、丹念に推論を積み重ねていくスタイルは、これもまた本格ミステリのひとつの形として堪能できる。終盤になれば、伏線もいろいろと張ってあったことがわかり、思わず舌を打つ周到さである。

 街中の人間消失という、本来ならもっと派手に扱える謎がすこぶる地味な扱いなのも、本作の雰囲気やテーマに合わせてのことなのだろう。最悪の場合「気のせい」で片付けるのではないかとやや不安だったが、きちんと解決してくれるのでホッとした(笑)。もちろん現実離れしたトリックではなく、こちらも作品の雰囲気にあわせ、心理的な錯覚を利用している点がなかなかよい。

 「突然の明日」というタイトルは、何気ない日常が突然壊れることもあるのだという運命の怖さを意味している。だが人は生きていく以上、そういった悲劇に折り合いをつけなければならない。ラストで主人公たちが再び歩き出していく姿はそれを象徴しているかのようで、それが救いである。
 ただ、欲をいえば、主人公たちがより力強く歩み出せるよう、犯人との対決をラストに持ってきてほしかったという思いはある。そこだけが残念。

 なお本作は講談社文庫で長らく品切れだったが、来月には徳間文庫で刊行されるようなので、気になった方はそちらが入手しやすい。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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