fc2ブログ

探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

陳浩基『網内人』(文藝春秋)

 陳浩基の『網内人』を読む。著者は2014年の『13・67』で大ブレイクを果たし、これがあまりにも素晴らしい小説だったので、どうしても期待が高くなってしまうけれど、まずはその期待を裏切らない出来であった。

 まずはストーリー。
 図書館に勤めるアイは、相次ぐ不幸によって家族や財産のほとんどを失い、今は中学生の妹シウマンとの二人暮らしである。シウマンの健やかな成長こそがアイの願いであったが、シウマンは電車での痴漢事件をきっかけにインターネットでの炎上に晒され、悩んだ末に自殺してしまう。
 アイはシウマンの自殺が信じられなかったが、警察はこれ以上動く様子もない。シウマンの仇を取りたいアイは莫探偵事務所に調査を依頼するが、インターネット上の調査には限界があり、手がかりが途絶えてしまう。落ち込むアイに、莫探偵は、この手の調査を得意とする凄腕のプロフェッショナルがいると教えてくれる。その男の名は「アニエ」といった……。

 網内人

 まだ記憶に新しいところだが、昨年、恋愛リアリティー番組に出演していた女性が自殺するという事件があった。テレビの責任はもちろんだが、それと同じくらい、いやそれ以上にインターネットにおけるSNSのあり方や倫理観も大きく問われる事件でもあった。
 本作は2017年の刊行だが、扱うテーマはまさにそれを連想させるものであり、インターネットの闇や負の面を実に考えさせる一作となっている。探偵役のアニエもまたハッキングを駆使して真相を突き止めていくのだが、それもまたIT技術が現代最強のアイテムであることを表すと同時に、恐ろしい武器になりうることも示している。素人には難しい説明も少なくないが、本作ではそういったインターネットのシステムを徹底的に解説し、ディテールをパーフェクトにすることで、より説得力を持たせているのだ。
 とはいえ本当に怖いのはインターネットのシステムなどではない。事件の根底にあるのは人の悪意である。本当に怖いのはネットではなく人の心なのだ。
 テクノロジーをテーマとする小説は、ITだろうがバイオだろうが原子力だろうが、結局は使う側=人間の問題なのである。特に本作では、物語のラストで謎解きならぬ復讐の総仕上げの場面がかなり長めに描かれる。ここでアニエはアイに対し、“復讐の連鎖”、それこそ科学ではなかなか解答の見いだせない命題を突きつける。悩んだ末にヒロイン・アイの出す決断が読みどころといえよう。
 その意味で、本作は表面的には新しく見える小説ではあるものの、その中身は意外にオーソドックスなサスペンスといってよいだろう。

 といっても、それだけではやはり傑作というには難しい。本作は扱う素材やテーマだけではなく、もちろんミステリとして面白いのである。
 まずはアニエという探偵役。ハッキングだけでなく、探偵や詐欺師としてのテクニックも同様にレベルが高く、さらには人を絡めとる交渉術、全体を見渡し、ミッションを構築する戦略にも長けている。この最後の部分はそこらの名探偵にはあまり見られない特徴で、その最たる部分がサイドストーリーに顕著だ。
 本作ではアイとアニエを中心としたメインストーリーとは別に、事件の関係者の一人をピックアップしたサイドストーリーも展開される。そのサイドストーリーがどういうふうにメインストーリーと合流するのか、ある程度の予想はつくものの、著者の仕掛けは読者の一つ上をゆくものである。普通だったら「取ってつけたような」感じもするのだが、単なるどんでん返しに終わらず全体の様相をも反転させるものだから、これには驚いてしまった。

 もう一度書いておくと、本作は意外にオーソドックスなサスペンスといってよい。それを徹底的なこだわり、完成度の高さによって傑作レベルに高めたという印象である。内容やテーマからすると、もう少しボリュームは絞ったほうがよかったが、後味も最初予想していた以上によく、広くおすすめできる一作である。


陳浩基『ディオゲネス変奏曲』(ハヤカワミステリ)

 陳浩基の『ディオゲネス変奏曲』を読む。『13・67』を読んだときの衝撃はいまだ忘れられないが、その著者の自選短編集となるのが本書である。まずは収録作。

「藍(あお)を見つめる藍(あお)」
「サンタクロース殺し」
「頭頂」
「時は金なり」
「習作 一」
「作家デビュー殺人事件」
「沈黙は必要だ」
「今年の大晦日は、ひときわ寒かった」
「カーラ星第九号事件」
「いとしのエリー」
「習作 二」
「珈琲と煙草」
「姉妹」
「悪魔団殺(怪)人事件」
「霊視」
「習作 三」
「見えないX」

 ディオゲネス変奏曲

 おお、これは愉しい短編集だ。ただ、その味わいは『13・67』とずいぶん異なっている。
 『13・67』が香港を舞台にした濃密な警察小説、しかも本格ミステリ要素も強く、その試みも実にアバンギャルドであったのに対し、本書の場合、そういった文学的な深度とは距離を置き、あくまでアイディア勝負の作品ばかりを並べている印象である。内容もミステリからホラー、SFと幅広く、どれもきっちりオチをつけている。そういう意味では基本的にわかりやすく、ゲーム的であり、気軽に楽しめる作品ばかりといえるだろう。

 しかし、単にエンタメ一本やりの短編集かというと、それもちょっと違う。著者はそういうスタイルをとることで、著者の思考や考え方をプレゼンしているような印象も受ける。本書には「著者あとがき」がついており、そこで著者自ら全作解題を書いているのだが、これもその意を強くしている。だから、そういう意味では実はきわめて実験的作品集ともいえるのではないか(ちょっと強引)。

 印象に残った作品は、まず巻頭の「藍(あお)を見つめる藍(あお)」。ITを駆使したサイコスリラーと思わせておいて、こういう捻りで落とすとは。これで掴みはOK。
 「時は金なり」は時間の売買というテーマで、皮肉なラストを用意し、現代の寓話として面白い。
 「カーラ星第九号事件」はSFミステリの秀作。探偵デュパパンという登場人物、全体の結構などから、ミステリのパロディというふうにもとれる。
 「珈琲と煙草」も嫌いではない。こういうアイディアは誰でも思いつきそうだが、逆にこうしてきちんとまとめた例はあまり記憶がない。
 怪作ナンバーワンが「悪魔団殺(怪)人事件」。悪の組織、たとえば仮面ライダーにおけるショッカーの「ような組織内で起こった殺人事件を解決する本格ミステリ。このネタを外国人に書かれたことが悔しい(笑)。しかもよくできている。
 掉尾を飾る「見えないX」が本作のベストか。大学のある授業として行われた擬似ミステリという設定がまず秀逸。ミステリやロジックの意味をあらためて問いかけるような内容もいいし、日本のサブカルチャー目白押しな遊びも楽しい。

 ということで、なかには他愛ない作品も多少あるけれど、実に愉しい一冊でありました。おすすめ。
 

陳浩基『13・67』(文藝春秋)

 陳浩基の『13・67』を読む。作者は香港生まれの推理作家で、台湾で開催されている島田荘司推理小説賞の第二回受賞者。
 だからといって、これまでは特に興味を引かれることもなかったのだが、本作はしばらく前からインターネット上でもかなり評判がよかったこと、内容が香港を舞台にした警察小説、しかも本格テイスト満載ということで気にはなっていた作品である。おまけに蓋を開ければ今年の年末ランキングで軒並み上位入賞だから、とりあえずこれは読んでおくしかない。

 13・67

 ジャンル的には警察小説といってよいのだろう。香港警察きっての名刑事と呼ばれたクワンとその部下ローを主人公にした連作中編集である。しかし、単なる警察小説にとどまらず、その内容は本格ミステリ、社会派、ノワールなど、さまざまな要素を含んでおり一言では表しにくい。
 ただ、間違いなく言えるのは、本作がエンターテインメントとして一級品であるということ。今年のベストといってよいし、海外ミステリのオールタイムベスト100をやるなら、今後は絶対に入れておくべき作品である。

 収録作は全六作。作品によっては二人の役割が多少変わったり、どちらかが登場しないこともあるため、普通の連作集とは少し趣が違うのだが、実はこれが重要である。
 というのも本作の収録作品は、作中の時代が2013年、2003年、1997年……という具合に遡っていく逆年代記という形をとっており、その時代に合わせたクワンとローの姿、そして香港の歴史が描かれているからである。しかも、各作品の関係性もしっかりと展開され、このスタイル自体が作品の大きな仕掛けとなっている。

 本作の魅力はいくつかあるのだが、まずこの歴史を遡って描かれる香港の姿は外せない。
 ご存知のように香港はアヘン戦争後に英国の植民地と化したが、1997年に中国に返還され、特別行政区となった。そんな香港で暮らす人々にとって、常に頭の片隅にあるのが自分たちはどういう存在なのかという意識の持ちようである。それは時として暴力行為やテロ行為となって爆発するのだが、実はそれを取り締まる側の警察官もまた同様なのである。そんなカオスの状況で、絶対的な正義を追い求める主人公クワンとローの姿には誰でも心惹かれるだろう。
 著者自身は本作を本格と社会派の融合として認識しているようだが、香港の警察組織やシステム自体に疑問を投げかけているところも多く、そういう意味では本格と警察小説の融合というほうがしっくりくるだろう。

 さて、本作もうひとつの大きな魅力は、その本格ミステリとしての部分だ。
 警察小説としての魅力、逆年代記というスタイルの魅力だけでも佳作レベルには十分に達していると思うのだが、本作が圧倒的な傑作となりえたのは、本格としての魅力があればこそ。

 とにかく、まず巻頭の一作目、「黒と白のあいだの真実」を読むべきである。
 この作品は、主人公クワンが末期ガンで昏睡状態にあるという驚愕的事実で幕を開ける。しかしローは最新の脳波測定機を使ってクワンとの交信を試み、クワンの指示によって謎解きを進めるのである。これぞ究極の安楽椅子探偵だが、実はこういう話ですら二重三重に仕掛けがあり、超絶テクニックが披露される。
 といっても「黒と白のあいだの真実」を除けば、それほど一般的な本格ミステリとしての雰囲気はない。これまでも触れてきたように、表面的には警察小説のスタイルなのである。
 とはいえトリックやどんでん返しをたっぷり盛り込み、それをきっちり解き明かしていくクワンの推理は間違いなく本格探偵小説の香りを醸し出している。加えてその内容も実に幅広い。
 少々やりすぎの部分もあって、複雑すぎる真相にリアリティが薄れる場合もないではないが、それでもほぼ全作にわたって趣向を凝らしているところ、連作を通した遊びも入れてあるのはさすがである。

 おすすめ。個人的にも今年のベストワン候補である。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

ツリーカテゴリー