ちょっと珍しい本を先日オークションで落札した。まあ、マニアの間では有名な本なのでそれほど自慢にもならないが、田島莉茉子の『野球殺人事件』である。初出が雑誌『八雲』で、昭和23~24年にかけて連載されたものらしい。それが岩谷書店から単行本化されたのが昭和26年、そして昭和51年には復刻版が深夜叢書社から刊行されている(ちなみに私が入手したのももちろんコレ)。
ところでこの本が有名な理由というのが、作者が覆面作家だということである。その正体は今では、文藝評論家の大井廣介であると見てほぼ間違いないらしい。とはいえ大井がすべて自分で書いたのかとなると、これまたいろいろ説があるらしく、当時、大井と交友のあった埴谷雄高が協力したという話もある。しかも埴谷雄高が坂口安吾のところへ出向き、かなりの手助けをしてもらったのではないか、という説もあり、これはなかなかいい線をついているのではないかと思う。
というのも今挙げた三人はみな戦時中から探偵小説にはまり、安吾が主催して探偵小説の会みたいなものを作って楽しんでいたらしい。本作でも作中で、『グリーン家殺人事件』や『黄色い部屋の秘密』など海外のミステリについて語る部分があったり、探偵小説に関する論考がされたり、探偵ゲーム的な要素が非常に強い。しかも安吾の『不連続殺人事件』をくさしている会話まであるので、やはり本人の安吾以外が書いたとすればいろいろと問題もあるだろうから、やはり安吾の占める割合が大きいのではないかと想像できるわけである。
前置きが長くなったが、肝心の中身に入ろう。こんな話だ。
主人公は売り出し中の探偵作家、坂田兵吾。ある日彼は中学時代の同級生であり、現在はプロ野球選手となっている沢井から、ある相談を持ちかけられる。沢井は賭け集団から試合での八百長を頼まれたらしく、すっぱりと手を切れずにいる状況を何とかしたいというのだ。その相談を受けた直後の試合中に、なんと井筒という選手が毒殺されるという事件が起こる。実は井筒もまた沢井と同様、八百長事件の渦中にある選手だった。しかし、この毒殺事件はさらなる悲劇の幕開けに過ぎなかった……。
昔から野球が好きなこともあって、事件の背景にある当時のプロ野球界の事情はなかなか興味深い。戦後間もない頃の野球界というのは実に混沌としていた。戦争の影がまだ色濃く残っている状況もあり、そこが暴力団のつけいる隙になったのか、実際に八百長事件でプロ野球界を追放になった選手も少なくない。しかし、時代が時代である。選手やファンの倫理感も今ほどには高くなく、殺伐としたなかにも、どこかのんびりしたムードも漂っているのが妙な感じだ。どこまで信じていいのかはわからないが、この設定はなかなか面白かった。
それに比べると、探偵小説としての価値はやや落ちる。先ほども書いたように、探偵ゲームとしての性格が非常に強いのが本作の特徴だが、それは別によい。娯楽であろうが芸術であろうが面白ければかまわないわけで(いや、本当はかまうのだが、それはまた別の話)、要はそのレベルであろう。本作は完全に娯楽としての探偵小説だが、事件が多い割にはメインとなるネタが弱く、読者をあっと言わせようという気概には欠けるように思う。話自体はうまくまとめているし、野球好きや探偵小説好きのツボも押さえているだけに、肝心要のトリックが弱いのはなんとも残念だ。
話の種には読んでおいてもいいが、大枚をはたいてまで……となると微妙な内容ではある。