古い探偵小説の楽しみのひとつに、クラシックの上質かつ芳醇な香りを楽しむということがあげられる。現代のミステリほどの技術はないけれども、基本に忠実、当時ならではの語りや雰囲気をゆったりと味わう。リアルタイムで書かれた作品とはまた一味違った楽しみ方といえるだろう。
ただ、もちろん例外はあるわけで、本日の読了本『怪人ジキル』もそうした本の一冊。昭和二十三年、戦後の物資不足の折に出版された仙花紙本を復刻したものだが、これがもう芳醇な香りとか一切無縁、まさに戦後のドサクサでなければ出版できなかったであろうキワモノ中のキワモノである。
四月の肌寒いある日の夜。O市のOK劇場では警察が厳重な警備体制をとっていた。殺人強盗を続ける怪人ジキルが活動休止前の最後の仕事を予告したのである。しかし、その凶行を防ぐことはできず、花形女優の薔薇あけみ嬢が誘拐されてしまう。敏腕新聞記者の米田は警察らとともにジキルの行方を追い、そのアジトを突き止めるが……。

確かにすごいわ、これは(笑)。一応は少年向け怪盗もののような作りだが、多少まともなのは本当に序盤だけ。くだらないトリックが炸裂するわ、すぐにジキルの正体がばれるわ、その理由がまた超御都合主義だわで、もう前半だけでもお腹いっぱい。
ところが後半になると、その前半がけっこうまともに思えるほど予想外の展開が待っている。その最大の衝撃が殺人タンスの登場だ。冗談でもなんでもなく、作中で実際に殺人タンスが大暴れするのである。
よくこんな話を考えものだと別の意味で感心してしまうが、なんとこの殺人タンスには元ネタがあって、それがなんとカミのルーフォック・オルメスものの一編だというからいやはや何とも。
直接の内容には関係ないが、本作はその他諸々の面でもかなり適当な作りで恐れ入る。例えば上のストーリー紹介で「O市」と書いてはいるように、本編では地名はすべてアルファベットで略している。ところが著者は途中でぽろっと「大阪」と表記していたりする。目次に至っては半分弱が間違いで、よくこの完成度で出版する気になったなという感じだ。
表紙や挿絵についてもツッコミどころ満載。当時の挿絵の雰囲気を味わえる、と無理やりいえないこともないが、基本的にはデッサンがひどすぎるうえ、本文と矛盾する箇所もあるなど、こちらも想像以上の凄さでよくぞすべて収録してくれましたという気持ちである。
ちなみに本書は、あの
『怪書探訪』を著した古書山たかし氏が同書の中で
『醗酵人間』と並ぶ奇書として紹介していた作品であり、それを盛林堂ミステリアス文庫から復刻したものだ。現存するのは確認できる範囲で三冊というから、おそらくこの出版がなければ一生読めなかった可能性は高く、内容・レア度とも、つくづく読めてよかったと思える一冊である。
もちろん健全なミステリファンには到底オススメできるものではないが(笑)。