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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

アンソニー・ホロヴィッツ『殺しへのライン』(創元推理文庫)

 アンソニー・ホロヴィッツの『殺しへのライン』を読む。元刑事のダニエル・ホーソーンと著者の分身・投影的な存在でもある語り手アンソニー・ホロヴィッツのコンビによる活躍を描くシリーズもこれで三作めとなる。

 こんな話。ホーソーンの事件を小説化した『メインテーマは殺人』がいよいよ三ヶ月後に刊行されることになった。そのプロモーションとして文芸フェスに参加することになったホロヴィッツとホーソーンはチャンネル諸島のオルダニー島を訪れる。ところが島では電力線工事をめぐって賛成派と反対派が対立していたり、フェス出席者や関係者の間にも何やら軋轢がありそう。そしてフェスを後援する大富豪の死体が発見されて……。

 殺しへのライン

 シリーズも三作目ということで、ようやく落ち着いてきたというか、本格ミステリの中にメタな構造を持たせた第一作こそ衝撃ではあったが、それが慢性化することでオーソドックスな謎解きミステリとしての部分が目立つようになってきた。
 とりわけ巧いなと思うのは、伏線の貼り方、あるいは手がかりやミスディレクションの散らし方であろう。これまでの作品もそうだが、ストーリー展開に非常に自然に溶け込ませ、それぞれがストーリーの一部として機能しているという感じ。おまけに細かなサプライズまで散りばめ、一つ驚かせているうちに一つ仕込むという具合で、おそらくこれがストーリーを面白くし、リーダビリティを高めているのだろう。
 今回は前の二作に比べるとやや地味めな展開ではあるけれど、箱庭的な設定で余計な要素があまり入らなかったり、登場人物のやり取りに集中できたりと、リーダビリティにはより効果的だったように思われる。

 ただ、落ち着いたいいミステリを読ませてもらったという感じではあるのだが、大絶賛するほどではない。おそらく大絶賛している人はホーソーンとホロヴィッツの関係やホーソーンの過去など、シリーズキャラのドラマに興味がある人たちだろう。そういう意味では重要な登場人物も出てくるし、露骨な次作へのネタふりまであるので、キャラファンには堪らないところかもしれない。
 確かにキャラクターの魅力も重要な要素ではあるし、そこに異論はないのだが、事件の本筋に関係ないところでシリーズの興味を引っ張るのは一見さんお断りな感じで、個人的に好きではない。全部が全部ダメとは言わないが、シリーズであっても本作で発生する疑問はできるかぎり本作で片づけてほしいのだ。その点が本作への不満である。

 ということで、いつもよりは地味だがそれは決してマイナスではなく、むしろ安定したいいシリーズになってきた印象である。変にキャラクター小説に走らず、謎解き小説として進化していってほしいものだ。


アンソニー・ホロヴィッツ『ヨルガオ殺人事件(下)』(創元推理文庫)

 アンソニー・ホロヴィッツの『ヨルガオ殺人事件』読了。まずはストーリーから。

 編集業から足を洗い、ギリシャのクレタ島で恋人と小さなホテルを経営するスーザンのもとへ、イギリスで高級ホテルを経営している老夫妻が訪ねて来る。
 老夫妻の話はこうだ。八年前、ホテルで客の一人が殺されるという事件が起こり、元従業員の男が犯人として逮捕された。ところが今になって娘のセシリーが犯人は別にいると言い出し、その秘密がアラン・コンウェイが発表した小説『愚行の代償』に書かれているという。『愚行の代償』は事件をヒントにミステリ作家のアラン・コンウェイが描いた名探偵〈アティカス・ピュント〉シリーズの一作だ。だがセシリーはその直後に失踪してしまい、老夫妻は『愚行の代償』の担当編集者だったスーザンなら真相を突き止め、セシリーを見つけ出せるのではと相談に来たのである……。

 ヨルガオ殺人事件(下)

 なるほど、そう来たか。
 『カササギ殺人事件』『メインテーマは殺人』『その裁きは死』と、直近のホロヴィッツ作品はすべてメタ趣向を取り入れたものになっているが、その衝撃度では『カササギ殺人事件』がやはりトップだろう(出来としては『メインテーマは殺人』が個人的イチオシ)。
 本作はその『カササギ〜』の続編である。『カササギ〜』を読んだ方ならご存知だろうが、その仕掛けが特殊すぎて、とても続編ができるようなタイプのミステリではなかっただけに、さすがに驚いてしまった。ただ、スーザンを主人公にした普通のミステリにするなら、もちろんどんな続編も可能なわけで、でもそれはさすがにつまんないでしょ、ということである。
 しかし、ホロヴィッツはその高すぎるハードルを易々と超えてしまった。本作も前作同様、スーザンが担当したミステリ作家アラン・コンウェイの作品『愚行の代償』を丸まる作中作とし、その上で『愚行の代償』を現実とリンクさせて見事なミステリに仕上げている。
 最初こそ「結局は『カササギ〜』と同じ趣向じゃないの」と斜に構えていたのだが、作中作の出来と使い方の巧みさが『カササギ〜』を上回っており、ここまでやられては褒めるしかない。

 ひとつ気に入らない点を挙げるとすれば、作中作『愚行の代償』の出来がよすぎて、現実パートであるスーザンの調べている事件が見劣りすることだ。『愚行の代償』を使った仕掛けはなかなか面白いけれども、そのほかの部分が弱く、スーザンの調査がメインの上巻では若干店舗が悪く、上巻の終盤で『愚行の代償』が始まると一気に巻き返した感じである。

 それにしてもホロヴィッツの才能は凄い。こういう凝りまくった作品を近年コンスタントに発表しているだけでなく、パスティーシュやジュヴナイルも書き、すでに七十作以上の著作があるのである。多作家はえてして品質が落ちるものだが、ホロヴィッツの場合、むしろこれまでの多作の成果がここにきて花開いたという感じでもある。スーザンとアラン・コンウェイの新作が今後出るかどうかはわからないが、ここまでくるとやはりもう一作、読んでみたい気がする。


アンソニー・ホロヴィッツ『ヨルガオ殺人事件(上)』(創元推理文庫)

 アンソニー・ホロヴィッツの『ヨルガオ殺人事件』をとりあえず上巻まで。

 ヨルガオ殺人事件(上)

 いうても上巻なので感想なんて書けるはずもないのだが、とりあえず上巻で驚いたのは、またもや作中作を仕込んできたこと。しかも『カササギ殺人事件』と同じ、アラン・コンウェイの小説である。
 そもそも『カササギ〜』の続編が書かれたことだけでも驚くわけで、といっても今回はさすがに主人公を同じにしただけで、まったく別の趣向かと思っていたのだが、どうやらまたもやメタな予感である。
 『カササギ〜』があるからかなりハードルが上がっていると思うのだが、まずは著者のチャレンジ精神に拍手を送っておこう。まあ、単に人気が出たから同様の趣向で続編を書いた可能性もあるのだが(苦笑)、それも下巻を読了すればハッキリするだろう。


アンソニー・ホロヴィッツ『その裁きは死』(創元推理文庫)

 2018年『カササギ殺人事件』、2019年『メインテーマは殺人』で、翻訳ミステリランキングのトップを独占したアンソニー・ホロヴィッツの新作が、今年も発売された。『メインテーマは殺人』で颯爽と登場したダニエル・ホーソーン&アンソニー・ホロヴィッツのコンビによるシリーズ二作目『その捌きは』である。

 まずはストーリー。有名弁護士のリチャード・プライスが自宅で殺害された。高級ワインの瓶による撲殺だっが、それは少し前に担当した離婚裁判の相手女性に脅された殺害方法でもあった。また、壁には緑色のペンキで描かれた“182”という文字が。“わたし”アンソニー・ホロヴィッツは再びホーソーンによって事件に引き摺り込まれ、さっそく事件の捜査をスタートさせる。
 第一の容疑者と思しきは、殺害を口走った離婚裁判の相手アキラ・アンノだったが、彼女は攻撃的な性格で知られる文学作家であり、質問にも正直に答えず、捜査は思うように進まない。
 さらに時を同じくして、リチャードの友人グレゴリーが電車に轢かれて命を落としたことが明らかになる。リチャードとグレゴリーにはもう一人仲の良い友人チャールズがおり、かつては三人で洞窟探検を楽しむほどであった。しかし、ある洞窟の探検中、チャールズが事故で命を落とした過去があり、二人もそれっきり疎遠になっていたのだ。
 果たしてリチャードの死とグレゴリーの死は関係があるのか。また、アンノは何を隠しているのか……。

 その裁きは死

 相変わらず面白いのだが、さすがにシリーズ二作目ということでインパクトは減るし、先の二作に比べると落ちる感じは否めないかなというのが正直なところ。

 そもそも『メインテーマは殺人』で管理人がこのシリーズを評価したのは、本格ミステリとして堅牢な造りであるにもかかわらず、それにメタ的な構造を持たせたところである。すなわち著者自身をワトスン役として物語に放り込み、しかも現実世界の著者の立場や経験をそのまま被せているところに興味を持ったわけだ。ただの名前貸の別人格キャラクターではなく、もちろんお飾りの語り手でもない。著者は作品世界と現実の境界を曖昧にすることで、ミステリ、そしてミステリを執筆することについて掘り下げていこうとする。
 それ自体は非常に興味深い試みだったのだが、『メインテーマは殺人』は初出しなので良かったわけだが、今作ではそういう意味での進化が見られず、単にシリーズのスタイルみたいなものになってしまっていたのが残念だった。

 普通に本格ミステリとしてみた場合はあまり文句がない、というか十分に楽しめるところだろう。とにかくプロットがしっかりしており、伏線の貼り方も相変わらずお見事。女性作家とリチャードの友人、二つの軸にそれぞれ怪しげな登場人物を配し、決め手を掴ませないように進ませながら、サプライズも複数折り込むなど、サービス精神の塊である。
 とはいえ、こちらも『メインテーマは殺人』ほどには驚けなかった。『緋色の研究』の使い方は面白かったけれど、これは伏線貼りすぎが裏目に出たかもしれない。

 サイドストーリーとしては、ホーソーンの正体に迫る流れもある。シリーズ全十作を予定しており、徐々にその正体を明らかにするらしいが、まあ、どちらかというと本を売るための施策という匂いが強くて、個人的にはそれほど惹かれるものはない。
 また、これに少し関連するが、キャラクター性を際立たせようとするせいか、ホロヴィッツ自身を間抜けな役割に当てているのがちょっとやりすぎ。作中のホロヴィッツもぼやいているように、事件のたびにホーソーンや警察に虐げられ、挙句に怪我までしていては、ホーソーンの伝記作家など辞めたくなるわな(苦笑)。
 ユーモア成分はあっていいし、もちろん効果的な場面も多いのだが、事件は決して軽くないのだから、あまり極端な戯画化は避けてほしいものだ。

 ということで少々辛目にはなったが、それでも十分に楽しめるレベルなので念のため。おそらく年末ベストテンにはしっかり入ってくるだろう。ただ、さすがに今年はトップはないかな。


アンソニー・ホロヴィッツ『メインテーマは殺人』(創元推理文庫)

 アンソニー・ホロヴィッツの『メインテーマは殺人』を読む。昨年、『カササギ殺人事件』でミステリ各種ベストテンを総なめにした著者の続刊で、これはさすがに期待するなという方が無理な話だが、著者はその高いハードルをたやすく(かどうかはともかく)超えてきたようだ。

 まずはストーリー。資産家の未亡人ダイアナ・クーパーが葬儀店に出向き、自分の葬儀の段取りを申し込んだ。ところがその数時間後、彼女は自宅で何物かによって殺されてしまう。偶然か、それとも彼女は自分が死ぬことを知っていたのか、警察は物取りの線で操作を進めるが……。
 その頃、推理作家で脚本も書くアンソニー・ホロヴィッツは、ある刑事ドラマの監修的な仕事をこなしている元刑事のダニエル・ホーソーンから、この事件を本にしないかと持ちかけられる。ホーソーンは警察を辞めた人間だが、警察から委託されて事件を引き受けていたのだ。ホーソーンという人物にあまりいい印象はなかったものの、自分の新たな可能性を見出したいアンソニーはそれを了承。二人はコンビで捜査を始める。やがてダイアナが十年前に交通事故を起こし、そのせいで子供を死なせたことや被害者の父親から脅迫を受けていたことを知る……。

 メインテーマは殺人

 堪能。前作『カササギ殺人事件』もよかったが、本作はより王道の本格ミステリに挑戦しており、むしろトータルでの面白さ、より一般的な楽しさという点では、こちらの方が上ではないか。

 本作の読みどころはいろいろあるのだが、何といっても注目したいのは、著者アンソニー・ホロヴィッツ自身をワトスン役とし、かつ語り手とするメタフィクション、メタミステリ的な構造だろう。
 語り手を著者としたミステリは他にもS・S・ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンス・シリーズや有栖川有栖の火村英生シリーズなどいくつかあって、それほど珍しいわけではない。しかしそれらは内容に影響を及ぼさないほど影の薄い存在だったり、実際の著者とはまったくの別人格だったりするわけで、あくまで著者の名前を借りただけ、といったレベルである。
 その点、本作のアンソニー・ホロヴィッツはがっつりと自己を投影した人物、いやそれどころか完全に本人自身として描く。自身が書いた作品、関わった仕事、暮らしぶり創作に対する考え方までストレートに反映させる。たとえばホームズのパスティーシュ『絹の家』に絡むエピソードや出版エージェントとのやりとり、講演の様子などなど。なかにはアンソニーがあのスピルバーグと『タンタンの冒険2』のシナリオについて打ち合わせている最中に、突然ホーソーンが現れて打合せをダメにしてしまう、なんてシーンまである。
 著者はそうやって小説内の世界に事実をリンクさせ、メタフィクション的にいうなら現実と虚構の垣根を取り払っているわけだ。単に「面白いエピソードだね」、「作家の生活の裏側がわかって興味深い」でもいいのだが、それらの裏にはミステリって何?小説って何?というジャンルに対する著者自身の問いかけが込められている。
 もっとも感心したのは、すでに読者自身が読んでいる本書そのものを「作中のアンソニー・ホロヴィッツ」が書いた作品として位置付けていることだ。本書の第1章の内容をホーソーンがダメ出しをするところがあり、このメビウスの輪のような関係性をもつエピソードこそがメタミステリの真骨頂。まあ、手法としてはそれほど珍しくもないけれど、本格ミステリでここまで踏み込んだことにちょっと驚いた。その部分を読むだけでも、本作の価値はあるといってもいい。

 アプローチは異なれど『カササギ殺人事件』もメタ的な手法だったし、著者はそもそもこういう手法が好きなのだろう。とはいえ実は長らく子供向けのミステリを書いていた実績もあり、そちらはそれこそ水戸黄門的なスタイルであり、方向性としては真逆である。
 つまり本作や『カササギ〜』は、そういうマンネリ的な作品に対する反動として書かれた、あるいは大人向けに参入する上で、これまでの実績+アルファの武器としてメタ手法を用いた可能性が高い。実はこの答えも作中で明らかにされているのだが、そういう創作の秘密をノンフィクション的に読むのも楽しみのひとつだろう。ただ、勘違いしてはいけないのは、そういうノンフィクション的な内容も、結局は著者の作り物であるということである。ゆめゆめ騙されるべからず。

 ううむ、ずいぶん一つめの話だけで長くなってしまったので、残りはサクッと行こう。
 続いての読みどころとしては、やはり本格ミステリとして非常によくできていることが挙げられる。
 本作は比較的ユーモラスな作品だが、そういった楽しい部分のあちらこちらにも巧妙に伏線が張られている。そしてラストでは見事にそれらが回収され、著者の徹底したフェアプレイ精神をうかがうことができる。
 正味、上で述べたメタミステリ云々に関す要素を本書からすべて取り除いたとしても、本書はおそらく十分に面白い本格ミステリとなるはずだ。

 もうひとつ注目したいのは、ホーソーンとアンソニーの関係性が、ホームズとワトスンの物語を踏まえたものになっていること。著者はご存知のようにホームズのパスティーシュ『絹の家』という作品を書いているぐらいだから、ホームズ譚に関してはかなり研究済みだろうが、その成果を存分に活かしている。偉大なる先輩のシステムを受け継ぎつつ、そこからどのような関係性を築けば面白くなるのか、随所に工夫されているのである。
 ホーソーンがアンソニーの行動を何気なく言い当てるシーンなどは、まさしくホームズを彷彿させるけれど、逆にそのほかの多くのシーンでは、もっぱらアンソニーとホーソーンの関係性はよろしくない。ワトスンだって時にはホームズの思わせぶりな言動にイライラしたりもするが、本作での二人の関係はむしろギスギスしすぎているといっても過言ではない。
 その結果、アンソニーはホーソーンの真の姿を掴みあぐね、これはホーソーンの神秘性をあげるとともに、このキャラクターの可能性がまだまだ広がっていることを感じさせる。ただ、それだけにまだホーソーンの魅力が読者に伝わりきらない部分もある。この辺り、どうホーソーンを育てていくかは今後に期待したいところである。

 ううむ、ちょっと取り留めのない感じになってしまったが、間違いなくいえるのは本作が傑作だということ。年末のベストテンで上位に入ってくるのもほぼ確実だろう。すでに本国ではシリーズ二作目『The Sentence is Death』も発売されているので、こちらにもぜひ期待したいところだ。


アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件(下)』(創元推理文庫)

 アンソニー・ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』を読了。
 いやあ、これは面白かった。傑作の安売りはしたくないが、先日読んだ『IQ』同様、これも年末の各種ミステリベストテンには絶対入ってくるだろう。いや、一位をいくつ取るかというレベルだ。

※なお、本作の感想について極力ネタバレは避けるつもりだが、少しの予備知識も仕入れたくはないという方は、ご注意ください。

 カササギ殺人事件(下)

 クローヴァーリーフ・ブックスという出版社で文芸編集者を務めるスーザン。彼女は担当する人気ミステリ作家アラン・コンウェイの最新作『カササギ殺人事件』の原稿を読み始めた。自分の人生をも変えてしまった、その作品を……。
 ——1955年の7月、サセックス州の小さな村で、一人の家政婦の葬儀がしめやかに行われた。彼女は勤めていた屋敷にある階段から転落死したのである。だが彼女の生前の不穏な言動が村人に動揺を与えており、これが単なる事故ではないのではと噂する。そして起こる第二の悲劇……。

 本作がとにかく凄いのは、二作分のミステリを盛り込んだところにある。ひとつはアラン・コンウェイが書いた本格ミステリ『カササギ殺人事件』。そしてもうひとつはスーザンを主人公とする『カササギ殺人事件』をめぐる事件、まあこれもまた『カササギ殺人事件』ということになるのだが。
 上巻はスーザンのモノローグで幕を開けるが(このモノローグがまた実に胡散臭いものなのだが)、すぐにアラン・コンウェイの書いた『カササギ殺人事件』が始まる。これがクリスティへのオマージュに満ちた、実に堂々たる本格ミステリである。しかも作中の探偵役アティカス・ピュントは余命いくばくもない状態であり、この設定もまたクリスティの『カーテン』を連想させる。
 ところが下巻に入ると、物語はスーザンを主人公とする現代の物語となる。『カササギ殺人事件』が完結しないまま、物語は思いもよらない局面を迎え、スーザンは自ら事件を調査することになるのだ。

 本格ミステリそのものをモチーフとする作品はこれまでもないではないが、ここまでのレベルに達した作品は初だろう。双方の物語は当然ながら密接な関係があり、それが幾重にも重なり、双方の登場人物がリンクし、絡み合う。
 いわゆるメタフィクションといってよいだろう。ただ、通常メタフィクションといえば虚構と現実の境界線をなくしたりすることで、小説そのものの可能性を問うたりするわけだが、純文学やSFならともかく、本作のような本格ミステリでそれを成立させているところが素晴らしい。
 あくまで現実の物語である本作において、作中作である『カササギ殺人事件』がどういう具合にリンクするのか、これだけでも難しいのに、そこへ本格ミステリの意義、創作技術、出版事情、作家という職業の業、さらには言葉遊びや全体に関わる仕掛けなど、あらゆる要素を融合させてみせるのである。伏線など山ほどあって、それが伏線であることはわかるのだが、その場その場で著者の企みに気づくことはまず難しい。練りに練ったプロットであり、とにかく完成度が高い。作中作の『カササギ殺人事件』にしても、これだけでも十分楽しめる一作なのである。

 ということでこれは間違いなく傑作。クリスティファンや本格ミステリファンだけでなく、すべてのミステリ好きに広くおすすめしたい。


アンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件(上)』(創元推理文庫)

 『IQ』と並び、巷で今年のベストテン間違いなしと評判の『カササギ殺人事件』を、とりあえず上巻まで読み終える。

 カササギ殺人事件(上)

 クリスティへのオマージュという触れ込みではあったが、確かにその舞台設定や語り口はなかなかそれらしい雰囲気を醸し出している。英国の小さな村に起こったある家政婦の死亡事故。一見、平和に見える村に隠されたいくつもの悪意、そしてスキャンダル。解決に乗り出す外国人探偵。

 ただし、本作が単なるクリスティへのオマージュでないことはプロローグで既に宣言されたも同然。『カササギ殺人事件』とは、実は作中作であり、本作の語り手となる女性編集者が担当したミステリの題名なのだ。
 いまどきのミステリでこういう設定が飾りのまま終わるわけはないだろうし、そもそもそれぐらいならここまで評判にならないだろうから、おそらく下巻ではかなり意外な展開が待っているのだろう。
 なんだかハードルを上げすぎた気もするが(苦笑)、とにかく下巻への期待は大きい。詳しい感想は下巻読了時に。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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