夏樹静子の著書を読むのはずいぶん久しぶりだ。『蒸発——ある愛の終わり』や『Wの悲劇』など有名どころの長篇はいくつか読んでいるが、それもずいぶん昔のことになってしまった。そのうちまとめて読みたいとは思っていたが、中公文庫からそのきっかけになりそうな一冊が出たので手に取った次第である。
ということで 本日の読了本は、夏樹静子の『77便に何が起きたか』。トラベルミステリの傑作を集めた短編集で、かつて光文社のカッパ・ノベルスから刊行されたものにボーナストラックを加えて復刊された一冊である。収録作は以下のとおり。
「77便に何が起きたか」
「ハバロフスク号殺人事件」
「特急夕月」
「山陽新幹線殺人事件」
「ローマ急行(エクスプレス)殺人事件」
「密室航路」

最初に書いておくと、本書は間違いなくオススメの一冊。トラベルミステリー傑作選などといわれると何だか軽い印象を受けてしまうが、本書に関していえばどれも読みごたえのある作品ばかり。しかもアベレージが高く、作品内容も時刻表のアリバイトリックや密室、クリスティのパロディとバラエティに富む。
二時間ドラマの原作に使われたことが多かったせいで、サスペンスの女王なんていう言葉で語られることも多い夏樹静子だが、本書を読むと、そういう枠に収まらない作家であることが実感できる。
どれも十分楽しめる作品ばかりだが、それでも表題作の「77便に何が起きたか」はダントツだろう。
旅客機の爆破事件というスケールの大きな犯罪を扱っているが、冒頭でその事件を予告するようなエピソードがいくつも挿入され、ここでまず気持ちをもっていかれる。そしてその後の調査で明らかになる、一部の乗客たちに共通する特徴。いったい何が起こっているのか。
最後に明らかになる真相はまったく予想外で、とにかくこのアイデアには唸るしかない。十分、長編にもできるネタなのに、それを中編程度に収めてしまうとは。なんという贅沢。
そんな傑作の後ではどうしても分が悪い「ハバロフスク号殺人事件」。ソ連へ向かう客船で起きた事件ということで期待したのだが、残念ながら船上でのストーリー展開はほとんどなく、またミスリードがあからさまで、先が読みやすいのが残念。粒揃いの本書にあっては残念ながら一枚落ちる出来である。
「特急夕月」は一応、時刻表のアリバイトリックもの。しかし、本作の肝はそこではない。せっかく練り上げたトリックが列車の思わぬトラブルで危うくなり、一喜一憂する犯人の姿こそが読みどころで、ペーソスすら感じさせるコミカルな一編である。
「山陽新幹線殺人事件」は時代を感じさせるトリックで、今の若い人にはピンとこないかもしれないが、なかなか上手くまとめている。ミステリマニアを皮肉ったラストも面白い。
クリスティの「オリエント急行殺人事件」に触発されて書かれたのが「ローマ急行殺人事件」。ひと言で説明しにくいが、メタミステリ的なところもあって、これは逸品。「77便に何が起きたか」がダントツと書いたけれど、考えるとこちらも捨てがたい。
「密室航路」はオリジナルのカッパ・ノベルス版には収録されていないボーナス・トラック。東京から高知へ向かうフェリーを舞台にした事件だが、「ハバロフスク号殺人事件」に比べると、しっかり船上でストーリーが展開するため、盛り上がりもサスペンスも上々である。