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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

カトリーヌ・アルレー『狼の時刻』(東京創元社)

 本日の読了本はカトリーヌ・アルレーの『狼の時刻(とき)』。日本びいきの著者が東京創元社の依頼で書き下ろした作品で、本国に先駆けて刊行されたらしい。

 こんな話。子供の頃からぐれていたロランは、その経験を活かして、殺人とスキャンダルしか扱わない低俗雑誌でライターとして活躍していた。しかも若くして自分の美貌をエサに女性から貢がせることまで覚え、今はビアンカという二十歳も年上の女性に取り入っていた。
 ある日、ロランがビアンカの愛犬(テリヤ)を散歩させていると、やはりそばで散歩をしていた会社社長ピエールの愛犬(シェパード)に噛み殺されてしまう。止める暇がなかったと釈明するロランだが、ビアンカはまったく聞く耳を持たない。ロランは家を追い出され、頭にきた彼はピエールを銃殺してしまう。
 ここで困ったのはピエールの妻ポリーヌと、ピエールの部下アランだった。二人は不倫関係にあり、かねてからピエール殺害を目論んでいたのだ。しかし、いま警察に調べられると動機はすぐにバレるし、アリバイもない。自分たちもピエールに死んでもらいたかったが、決して今ではなかったのだ……。

 狼の時刻

 もうドロドロ。さすがアルレーである。
 アルレーといえば基本的にはサスペンス作家で、とりわけ悪女ものの書き手として知られている。とはいえSFもどきのけっこう変な話も書いていたりもするので、本作はどう出るのかと思っていたら、直球ど真ん中のイヤミスであった。五人ほどの登場人物が揃いも揃ってダメな人間ばかりで、その全員が破滅するまでをネチネチと描く。
 きっかけはペットのいざこざである。これがなかなか金銭で割り切れない面倒なトラブルだから、それが事をややこしくする。しかも先述のとおり全員が倫理観の薄い人物ばかり。あえてやっているわけではないが、やることなすこと裏目に出て、事態を見事に泥沼化させ、ついには殺人に発展させてしまう。

 特に謎解きというものもなく、読者はひたすら愚か者たちの転落する様を味わえばよい。ただ、イヤミス系の話であっても、アルレーの描写の巧さなのだろう、変に感情移入することなくさらっと読める。登場人物の愚かさと悪さと悲惨さを外から客観的に眺めることができるわけで、どろどろではあっても意外に口当たりは悪くないのだ(とはいえ人によってかなり好き嫌いは出るだろうが)。
 また、フランスミステリにおけるサスペンスというと、どうしても心理的なタイプを思い浮かべるが、本作に関してはむしろノワールの味わいが強い。とりわけ主人公格のロランの破滅的キャラクターは実に興味深く、こういう輩と関係を持つこと自体が不運というか自業自得というか、ちょっとジム・トンプスンの諸作品を連想した。

 なお本作は1990年、アルレーが六十六歳のときの作品で、これ以後に作品は発表されていないが、現在の年齢や病気なども考慮すると、本作がおそらく最後の作品になる可能性は高い。


カトリーヌ・アルレー『犯罪は王侯の楽しみ』(創元推理文庫)

 平成最後の読了本はカトリーヌ・アルレー『犯罪は王侯の楽しみ』でありました。ということで令和最初のブログ更新はカトリーヌ・アルレー『犯罪は王侯の楽しみ』の感想から。

 こんな話。引退を間近にひかえるロンドン警視庁のCID長官のスコット。そんな彼の自宅へ大富豪のウィリアム・ウィスランドが突然やってきた。ウィスランドはより刺激を求めて強盗を計画することにしたので、スコットに協力してくれと依頼する。初めは冗談だと思ったスコットだが、旅行中の娘サマンサがすでに誘拐されたことを知らされ、協力を拒否すればその命は保証できないという。
 悩むスコットを尻目に、着々と計画を進めるウィスランド。彼は完全犯罪を実行するため、絶大な権力と資金をもとに仲間を集めるが、そこにはなぜか自殺志願者の求人までが含まれていた……。

 犯罪は王侯の楽しみ

 アルレーの作品は、こちらが想像するフランスの心理サスペンスをいつも変な角度で超えてくる。とにかく妙な趣向の作品が多いのだけれど、本作もなかなかユニークな設定だ。
 一応は倒叙ものというスタイルなので、興味の中心は当然、その完全犯罪がどのようなものかというところになる。警察の重要人物を脅して情報を入手し、さらには金と権力にものをいわせて実行犯を集め、強盗計画が遂行される……これだけでもサスペンスとしてはまずまず面白いのだが、とはいえこれぐらいだったらまだ想定範囲内。
 アルレーの本領が発揮されるのは終盤に入ってからだ。
 ウィスランドの妻と自殺志願者のやりとり、最終的に明らかになるウィスランドの狙い、そして、その結果としての皮肉な結末。さすがはアルレーと唸るしかない。
 通常のミステリ作家だとやはり完全犯罪の技術的な部分に神経を集中させると思うのだが、アルレーはそこに人間の愚かさや哀しさを盛り込んでいく。というか、アルレーの興味は結局そこに行き着くのだろう。

 ただ、ラストのサプライズも含めアルレーらしいドラマは楽しめるものの、本作は弱点もまた多い。
 まずは完全犯罪という割には犯行計画が粗いこと。共犯者の多さ(しかもアマチュア)や証拠の多さだけでも相当に脆弱だし、計画も大雑把。これは普通に警察が捜査すれば、けっこう簡単に逮捕までもっていけるレベルではないか。
 先に書いたように、アルレーの意図がおそらくそこにはないのだけれど、ラストをより効果的にするためにも、もう少し完全犯罪も練ってほしかったところである。

 もうひとつの弱点は重要な登場人物であるはずのスコットが中盤からメインストリームを外れ、その存在感を失ってしまうこと。彼こそがこの物語、犯罪計画の大きなポイントだと思っていたのだが、そういったスコットからのアプローチは本作にはほとんどなく、あっさりと実質的に退場してしまうのである。
 ついでにいうなら娘のサマンサも出だしは面白いキャラクターなのだが、これまた中盤以降は精彩を欠いてしまう。

 そういった弱点の結果、本作はアイデア自体はかなり面白いが、そのアイデアを存分に活かしきれなかった作品といえるだろう。アルレーの作品はどれもコンパクトにピシッとまとめるところがいいのだけれど、本作ばかりはもう少し膨らませるべき点があったようだ。惜しい。


カトリーヌ・アルレー『死ぬほどの馬鹿』(創元推理文庫)

 カトリーヌ・アルレーの『死ぬほどの馬鹿』を読む。
 アルレーはフランスを代表するサスペンス作家。それまで勧善懲悪が当たり前だったミステリに、完全犯罪を成功させる作品『わらの女』を発表し、一躍その名を知られるようになった。
 最近は名前を聞くことも少なくなったが、ひところは創元推理文庫で定期的に翻訳されるほど人気があり、その割には『わらの女』以外の作品はそれほど知られてはいなかったりと、なかなか我が国における立ち位置も微妙である。管理人もまだまだ未読が多く、少しずつ積ん読を崩していこうと手に取ってみた次第。

 こんな話。戦争帰りの三十路男ロベールは、戦死した戦友の姉夫婦と出会い、フランスの田舎町で暮らすことになった。そこで姉夫婦の使用人ミヌーと出会い、やがて二人は結婚する。しかし、孤独を嫌って結婚したロベールと、虚栄心のためだけに結婚したミヌーが心を通じ合わせることなど到底無理な話であり、すぐに冷えきった関係に陥ってしまう。
 そんなる日、ミヌーは放浪を続けるヒッピーたちを家に招き、そのなかの一人ブラディと関係をもってしまうが……。

 死ぬほどの馬鹿

 主要人物はロベールとミヌー、ブラディ、小間使いの老婆、ほぼこれだけである。そのなかで三角関係を描くのだから、そのままストレートに悲劇の終幕に向かうのかと思いきや、実は本作のストーリー展開を的中させるのは、そう容易ではない。
 とにかく登場人物たちが個性的すぎるというか、むしろ異常人格者といってよい者までいる始末。そのため先の言動がまったく読めず、話は思いもしない方向に転がってゆく。

 戸惑うのは読者ばかりではない。
 作中の登場人物もまた然りで、彼らのコミュニケーションは言葉こそ交わすものの、互いの心情はまったく理解できていない。というか相手を理解しようともしない。まずあるのは自分のことばかりで、それが希薄かつ混沌とした関係性を生じさせ、悲劇を招くのである。
 実はそこにこそ本作の大きなテーマがあるのだが、ただ、あまりに極端な設定に走ったせいか、思ったほどには響いてこないのが残念。読者としては“人間は理解しあえない生き物だ”と嘆くより、理不尽な言動にひたすら困惑するばかりなのである。
 とはいえ著者もそれは意図してのことなのだろう。そんな読者の理解を助けるかのような(同時に読者を驚かせるための)仕掛けをちゃんと用意しており、これが本作を単なる三角関係による悲劇以上のものにしている。まあ、こちらも作りすぎの嫌いはあるのだが。

 ということで、かなり強引なところの目立つ本作だが、イレギュラーすぎるストーリーや登場人物の造形など、興味深い点も多い。細やかな心理描写でネチネチと不安を煽る手並みなどはお手の物という感じだし、アルレーファンはもとより、ちょっと変わったサスペンスをお好みなら。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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