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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

金来成『魔人』(論創海外ミステリ)

 金来成の『魔人』を読む。著者は日本留学時にミステリを書き始め、1935年に日本でデビューした韓国人の探偵小説作家。帰国後も精力的に執筆し、韓国推理小説の父と呼ばれる人物である。日本語で書かれた作品は、以前に読んだ論創ミステリ叢書の『金来成探偵小説選』にまとめられているが、本作は著者が帰国後に母国語で発表した作品である。

 こんな話。世界的舞踏家で孔雀夫人の愛称でも知られる朱恩夢(チュウンモン)。彼女の邸宅では今夜、仮面舞踏会が開催され、彼女の婚約者である富豪の白英豪(ペクヨンホ)をはじめ、凄腕の青年弁護士・呉相億(オサンオク)など、各回の著名人が集まっていた。
 そんな中、アルセーヌ・ルパンの扮装をした李宣培(イソンベ)がいた。彼は友人の画家・金秀一(キムスイル)のために、朱恩夢にあることを確認するためにやってきたのだ。実は朱恩夢は金秀一と恋人同士であり、その金を捨て、本当に白英豪と結婚するのかということだった。しかし、その真意を確かめる前に、紅い道化師に扮した人物が、李宣培をナイフで襲撃する……。

 魔人

 これはまた強烈な作品。『金来成探偵小説選』に収録された作品は文学と探偵小説の融合を試みるなど挑戦的な作品が多かったが、本作は徹底的な通俗娯楽作品だ。
 オビに「江戸川乱歩の世界を彷彿とさせる怪奇と浪漫」とあるが、まさにそのとおり。乱歩が発表した通俗長編、たとえば『蜘蛛男』や『魔術師』といった作品のまんまである。これは雰囲気が似通っているというばかりではなく、使われるトリックや舞台設定、犯人の設定、過去の因縁、アクションシーンなど見せ場にいたるまで、よくぞここまでといった感じで、自家薬籠中のものとしている。日本で探偵小説家として育っただけでなく、乱歩とも交流があるなど非常に敬愛していただけに、それだけ大きな影響を受け、大いに参考にしたのは間違いないだろう。

 そういうわけで、読み始めた当初はネガティブな感じだったのだが、読み進めていくと少し印象は変わった。乱歩の通俗長編の世界を踏まえつつ、アイデアの多くも借りながらも、乱歩のテクニックを自分なりにパワーアップさせているところも少なくないのだ。中途半端なら乱歩のエピゴーネンでしかないが、中盤以降は特に著者のカラーも出てきて、ここまでやってくれれば十分だろう。
 もっとも注目したいポイントは三つあって、朱恩夢を狙う魔人・産月(ヘウォル)の正体、ヒロイン朱恩夢の悪女ぶり、そして探偵役が三人という構成にある。それこそ乱歩の通俗長編を読んでいる者なら、このキーワードだけでネタを想像できるだろうが、そうは問屋が卸さない。これら三つのポイントは実は密接に関連しており、ラストでどう転がるのか予断を許さない展開になっているのは見事だ。

 まあ、何といっても通俗長編なのでそこまで過大な期待は禁物だが、訳もかなり読みやすく、予想以上に面白い作品。乱歩の通俗長編が好きな人ならずとも、読んでおいて損はない。


金来成『金来成探偵小説選』(論創ミステリ叢書)

 『金来成探偵小説選』を読む。論創ミステリ叢書の中でもかなり異色の部類に入るのだろうか。金来成(キム・ネソン)は名前からもわかるように韓国人作家であり、韓国ミステリの父祖とも言われる作家だ。
 その作品集が論創海外ミステリではなく、論創ミステリ叢書から出た理由は、本書の解説に詳しい。まあ早い話が、金来成は日本での留学経験があり、その期間中に日本語で探偵小説を書いたというのが大元である。日本留学は五年に及び、その間に三作の日本語による短編を残している。

 金来成探偵小説選

「楕円形の鏡」※
「探偵小説家の殺人」※
「思想の薔薇」
「奇譚・恋文往来」※
「恋文奇譚」

 収録作は以上。※のついているのが日本語で書かれ、日本で発表されたすべての短編である。
 注目作品は「思想の薔薇」で、これは金来成が韓国に帰ってから、日本語で書いた長編。だが、本作については発表するあてがなかったようで、結局、韓国語で書き直した後、韓国の雑誌に発表されている。本書に収録されているのは、この韓国語版を翻訳したものである。
 「恋文奇譚」は「奇譚・恋文往来」をベースに韓国語で書き直した作品。ほぼ同一の内容なので、参考として収録したということだ。
 ということで、本書の意味合いとしては、金来成が日本語で書いた作品をすべて網羅した初期作品集ということになるのだろう。

 肝心の中身だが、長編「思想の薔薇」の序文にあるように、金来成自身は探偵小説と純文学の融合を目指していたようだ。どちらが主でもなく、探偵小説のスリルや興味を損ねることなく、人間についても考えさせるもの、そのようなところである。
 長編「思想の薔薇」はまさにそれに挑戦した作品。
 主人公は先代からの宿命や幼少からのトラウマに苦しみながら、売れない作家として生きる白秀(ペクス)。彼が犯したかもしれない殺人事件を探る、気の弱い親友の司法官試補・劉準(ユジュン)の二人である。ある夜のこと、劉準は白秀に呼び出され、女優の秋薔薇(チュチャンミ)殺しを告白されるが、その真偽や意図ははぐらかされてしまい……という一席。
 金来成の意気は買いたいが、やはり探偵小説と文学の両立はなかなか難しい。本作でとにかく引っかかったのは白秀の言動である。シニカルな面と激情家の面を併せもつ(これがそもそも理解&納得しにくいところなのだが)白秀は、“信頼できない語り手”どころではない。彼の行動や記憶、思考などを含め、さまざまな事実関係が嘘かもしれないという前提で読み進めなければならず、本格探偵小説としては早い段階で破綻している。
 そういった混乱が人間を描くことに奉仕していればよいのだが、基本的には劉準含めて主人公たちの言動が誇張されすぎなのだろう。その大仰なセリフや行動からは、文学的な感動や面白みはあまり伝わってこないのが残念だ。

 二作の短編「楕円形の鏡」と「探偵小説家の殺人」は、どちらも演劇や映画という要素を重要なギミックとして取り込み、狙いは面白い。
 ただ「楕円形の鏡」は雑誌の誌面という構成をとったのがむしろ逆効果か。途中からは誌面という体裁もなし崩しになっており、この構成で得られるべきメリットがあまり感じられない。
 「探偵小説家の殺人」は「楕円形の鏡」を踏まえたような作品だが、これも凝りすぎて自滅の感は否めない。
ただ、全体的な熱気というか迫力は注目すべきところで、トータルでは本作中で一番気に入った作品。

 「奇譚・恋文往来」と「恋文奇譚」は同一のネタを使った元作品(日本語で書かれたもの)とアレンジ後の作品(韓国語からの翻訳)。他の収録作品とは異なり、コミカルな味わいが悪くない。ただ、ネタはちょっと無理矢理な感は強い。

 ということで金来成の作品を初めてまとめて読んだが、探偵小説を単なる謎解きに終わらせたくないという著者の熱意は実に強く感じられた。文学との融合であったり、特殊な構成をつくってみたり、この時代のチャレンジ精神はときとして変な方向に向かったりもするが、それがまた味になったりもする。
 本書の収録作も、残念ながらチャレンジがすべて成功しているとは言い難いが、金来成という作家を知る上ではこれもまたよしである。
 ちなみに論創海外ミステリでは本書刊行後に『魔人』や『白仮面』が出ており、これらは通俗作品のようなので、金来成のまた異なる面を楽しめそうだ。こちらの感想もいずれまた。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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