ピーター・ディキンスンのピブル警視シリーズ第三作、『封印の島』を読む。 ピブル警視シリーズをはじめとするディキンスンのミステリはもともと難解で、奇妙な世界観のもとに展開されることが多いが、本作もその例に漏れぬ異色の設定である。
こんな話。スコットランド南西に位置するクラムジー島。その島にいる科学者からピブル警視のもとに来島の要請があった。ノーベル賞も受賞したことのあるその科学者こそ、ピブル警視が幼き日に亡くした父の元上司であり、生前の父をよく知る数少ない人物だった。
不透明な父の人柄を知るチャンスとピブルは島を訪れる。だがそこは"永遠の都"を築こうとする新興宗教団体「証印神授教団」の管理課に置かれる地であった……。

先日の『恐怖の島』に続いて島つながり。まあ、特に意図があるわけではなく、あくまで偶々読んだだけなのだが、こういう限定された空間での物語というのは、何となく胸躍る部分がある。
本格ミステリファンなら"嵐の山荘"とか"クローズド・サークル"というところだが、それらは一切の出入りもできない状況の限定空間を指す場合が主で、だからこそ不可能性を高め、トリックや謎解きに対する興味をより高めてくれる。
また、本格ミステリファンならずとも、物語の密度が濃そうとか、サスペンスが凄そうとか、最後にそこから開放されるカタルシスとか、いろいろな効果があると想像することはたやすい。まあ、何かと刺激的なテーマであることは確かだろう。
本作もとりあえずはそんな設定の物語。孤島を舞台にしているが、物理的に限定されているだけでなく、その島が新興宗教団体によって管理されているということで、いわば心理的にも限定されているのがミソ。
ただ、作者がピーター・ディキンスンである。単にサスペンスを盛り上げるぐらいの理由でこういう設定にしたとは思えない。
そもそもディキンスンのミステリは事件の謎を解くというより、事件を通して真理を見いだすことが目的と言っても過言ではない。その真理到達に至る道筋として、読者はピブルの思索にたっぷりとつき合わされることになる。推理ではなく、あくまで思索である。もちろん普通の事件にいちいち警察官の哲学や宗教観などが入り込む余地はないわけで、それを引き出す装置として、本作のような設定が必要なのである。一般常識から隔絶された別の常識が通用する異世界、本作ではそれが外界から隔絶された宗教団体の支配する島となる。
そんな特殊な世界で、ピブルは父の存在について考え、カルト教団の関係者や科学者、狂人との問答を繰り返す。そこに明確な答えがあるわけではなく、ピブルの明晰なのか間抜けなのかよくわからないキャラクターも相まって、読者はピブルの脳内迷宮を彷徨うことになる。そこが読みどころであり、それが本書の楽しみでもあるのだ。
そうはいっても普通の本格ミステリと思って手にとった人はさぞや辛かろう。管理人などはそんなことは先刻ご承知ではあったが、それでも前半は難儀した(苦笑)。
しかしである。本書の特殊な点はそれだけではない。後半に入るや物語はいきなり海洋冒険小説の様相を見せるのである。
教団関係者に来島の目的を誤解されたピブルは身の危険を感じ、科学者や狂人らを引き連れてボートで脱出を図る。単なる味付けに終わらない、かなりのボリュームを割いてのアクションパートで、さすがにこの展開には驚いた。
だが、こちらも単なるスリルを求めてのアクションではなく、父親との思い出や科学者との問答を練り込んだ上での脱出口。その中から朧気にピブルの父の姿が浮かび上がってくるというシステムである。
上辺のストーリーだけ見れば前半とのバランスの悪さは気になるが、根底を流れるものは意外なほどぶれていない。
読みやすくはないし、バランスも悪い。いわゆる本格ミステリの楽しみを求める人には決してオススメできる代物ではないが、ディキンスンならではの語り口はたっぷりと楽しめる一作である。ファンならぜひ。