いわゆる実験小説という呼び方があって、「フランスの小説家ゾラの唱えた自然主義小説の方法論」を指すこともあるけれど、一般的には「前衛的な手法を用い、文学の可能性を実験的に追求しようとする小説」という意味合いの方が知られているだろう。
小説ではもちろんテーマや物語性も重要だが、芸術のひとつとして考えるなら、その表現方法も同じように重要であるはずだ。そんな表現についての可能性を追求した実験小説は、具体的にいうと文章に何らかの制限を設けるとか、セオリーを無視するとか、お話として面白いかどうかはともかく、その試みは実にスリリングである。
実際、どんな作品があるかは、木原善彦
『実験する小説たち 物語るとは別の仕方で』に詳しいが、日本では筒井康隆が『虚航船団』や『残像に口紅を』をはじめとしていくつもそういう作品を書いており、代表格といえるだろう。
ではミステリではどうかというと、そもそもミステリの目的自体が「謎を論理的に解明する」ことである以上、実験小説とは相性がよくない。すぐに思いつくところでは、やはりクリスティの『アクロイド殺し』。ミステリの定型を壊した点において一種の実験小説といってよいだろう。ミステリとはちょっと違うがD・E・ウェストレイク
『さらば、シェヘラザード』もそのひとつ。我が国では意外にチャレンジャーが多く、浅暮三文の文字どおり『実験小説 ぬ』とか森博嗣『実験的経験 Experimental experience』、折原一『倒錯の帰結』あたりが知られているか。
これらの実験小説で、個人的に特に重要だと考えるのはその独自性である。やはり、そのアイデアを最初に考えて試みた人間こそ評価されて然るべきで、先人が考えたものをアレンジしてよりよく仕上げる作品も別に悪いとはいわないが、本家を超えることはできない。
本日の読了本はそんな実験ミステリ小説の中でもとびきりの一作。泡坂妻夫の『しあわせの書』である。
有名な作品だし、管理人も二十年ぶりぐらいの再読で今更という感じはするが、泡坂作品読破計画も進めている最中なので、久々に手にとってみた次第。

こんな話。二代目教祖の継承問題で揺れる宗教団体の惟霊(いれい)講会。高い霊力で知られた現教祖の桂葉華聖(かつらばかせい)もすでに八十を越え、その後を二人の候補者が争う形となっていた。
そんな頃、恐山の地蔵祭を訪れたヨガと奇術の達人ヨギ ガンジーとその弟子の不動丸、美保子の三人。イタコの真似事をしてテレビ取材まで受けてしまうガンジーだったが、その場面を見ていた男性から、失踪した妹の行方を占ってほしいと頼まれる。その妹が入信していたのが惟霊講会だったことから、いつしか三人は教祖の継承問題に巻き込まれ……。
短編集と長編の違いはあるが、本作も基本的なスタイルは『ヨギ ガンジーの妖術』を踏襲するイメージ。提出される謎は奇跡や超常現象のトリックであり、物語もそれらが自然に溶け込みやすい怪しげな宗教団体を舞台にする。シリアスとユーモアもいい案配に配合され、ストーリーもコンパクトにまとまっていて悪くない。
特に後半、断食からラストの謎解きへの流れは秀逸で意外性もあり、「仕掛け」ばかりが注目される本作だが、それがなかったとしても十分楽しめる本格ミステリといえるだろう。
まあ、そうはいってもやはり最大のポイントが「しあわせの書」であることは間違いない。
「しあわせの書」は作中でも登場するのだが、その使い方が見事だ。読唇術のネタとして利用するだけでなく、後半のヤマ場となる断食の行にも使われていることに感心。そして、最後にあの大トリックである。泡坂作品ではすべての描写が伏線というぐらい無駄がないけれども、本作などはその最たるものだろう。
『喜劇悲奇劇』、『生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術』と並ぶ泡坂三大実験小説。ミステリファンでなくとも読んでおいて損はない。