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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

泡坂妻夫『ダイヤル7をまわす時』(創元推理文庫)

 泡坂妻夫の短篇集といえば、やはり亜愛一郎とかヨギ ガンジーといったキャラクターものが有名だが、ノンシリーズにもいい作品集が多い。本日の読了本はノンシリーズとしては三冊目の短篇集にあたる『ダイヤル7をまわす時』。

 ダイヤル7をまわす時

「ダイヤル7」
「芍薬(しゃくやく)に孔雀(くじゃく)」
「飛んでくる声」
「可愛い動機」
「金津(かなづ)の切符」
「広重好み」
「青泉(せいせん)さん」

 収録作は以上。
 本書はもともと光文社から単行本で出たものだが、その時点で既にデビューから十年ほど経過しており、安定の一冊という感じ。最初期ほどのキレッキレな作品はないが、バラエティに富んだ味のある作品、物語としてのオチを重視した作品が揃っているという印象。デビュー十年の著者の余裕がうかがえる、好短篇集である。

 巻頭を飾る「ダイヤル7」は個人的に本書のベスト。問題編と解答編に分かれたミステリ、というとガチガチの本格に思えるだろうが、実はそれだけでは終わらない絶妙な趣向が施されている。まず、問題編と解答編に分かれてはいるが、これは読者に向けてというだけではなく、実はストーリーの一部でもある。どういうことかというと、本作は元刑事と思しき男性が、講演会のような場で過去に扱った事件を聴衆に話しているという設定で、その講演の中で聴衆にクイズを出しているのだ。
 事件は対立する暴力団の組長殺人事件で、なぜか現場から犯人が犯行直後に電話をかけた形跡が見つかり……というもの。もちろんこのネタだけでも十分なのだが、元刑事がひと通り答えを説明した後に話す内容によって、本筋とは別のところでサプライズがあり、これが実にいいのだ。

 「芍薬に孔雀」は著者お得意のカードに関する蘊蓄を含んだ佳作。全身にトランプのカードを詰め込まれた奇妙な死体の謎がお見事。有名なトリックだが、こういうアレンジもあるか。

 団地での声の漏れが事件の鍵を握る「飛んでくる声」。着想は面白いが、いろいろと強引なネタでこれはちょっと落ちる。

 「可愛い動機」はフランスのサスペンス風だが、まずまずのサプライズの後にくるラスト一行が効果的。

 「金津の切符」は鉄道マニアの生態を描き、こちらもネタとしては面白いが出来はもうひとつ。

 恋愛小説も泡坂妻夫が書くとこうなるという「広重好み」は、逆転する構図がお見事。でも初恋の相手を勝手に探すのは、かなりの迷惑行為だと思うよ(笑)。

 「青泉さん」は予想外の落としどころが待っている佳作。作者の意図を途中までまったく悟らせない作品は好みである。


泡坂妻夫『亜智一郎の恐慌』(双葉社)

 泡坂妻夫の『亜智一郎の恐慌』を読む。ご存知、亜愛一郎シリーズの番外編みたいなもので、愛一郎のご先祖である亜智一郎を主人公にした短編集だ。
 といってもそれほど関連性があるわけではなく、時代やキャラクター設定、雰囲気に至るまでけっこうな違いがある。したがって亜愛一郎シリーズを期待しすぎると当てが外れる可能性がないこともないけれど、これはこれで面白い読み物だった。
 収録作は以下のとおり。

「雲見番拝命」
「補陀落往生」※」目次では「補陀楽往生」となっているが、これは目次の方が間違いか。
「地震時計」
「女方の胸」
「ばら印籠」
「薩摩の尼僧」
「大奥の曝頭」

 亜智一郎の恐慌

 何より設定がいい。
 時は黒船が来航し、日本が大きなうねりに晒されていこうとする嘉永の頃。
 幕府の雲見番として、番頭の亜智一郎をはじめとする四人の男が任命される。雲見番とは日々、雲見櫓に登って雲を観察し、その様子から天変を予測して有事に備えるという職務。今でいう気象予報士といったところか。
 しかし、なんせ毎日、空ばかり見上げている仕事。表向きには閑職と見られているが、その実態は、将軍直結の隠密として動く精鋭部隊なのである。
 本当の職位を知られることは許されず、四人がそれぞれの特技を活かして密かに働くのが魅力で、いってみれば幕府版のスパイ小説。そりゃあつまらないわけがない。

 推理要素は亜愛一郎シリーズに比べると薄味で、それが惜しいところではあるが、史実を生かした物語としての面白さやチームプレイの活劇的な面白さでは勝っており、こういうところもスパイ小説的だ。その意味では推理要素が強い作品はもちろんだが、史実にうまく絡めた作品が楽しく読めた。
 極楽往生で評判の僧侶と藩の悪事を結びつける「補陀落往生」、地震を予測する〈地震時計〉と遊女の心中事件がつながる「地震時計」、将軍家定の世継ぎを探す「女方の胸」、幽霊騒ぎの謎を探るため女装して大奥へ潜入する「大奥の曝頭」あたりが個人的な好み。

 ちなみに亜智一郎シリーズは本書が刊行された後も七作書かれており、これらは創元推理文庫の『泡坂妻夫引退公演』に収録されている。いつになるかわからないが、こちらも宿題である。


泡坂妻夫『生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術』(新潮文庫)

 泡坂妻夫の『生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術』を読む。ヨーガと奇術の達人ヨギ ガンジーのシリーズ三作目、というよりは「消える短編小説」を実現した異色の作品といった方が通りはいいだろう。

 まあ、皆さまご存知とは思うが念のため仕掛けを説明しておくと、本書は袋とじのまま出版された本である。十六ページごとに袋とじになっており、そのまま読むと「消える短編小説」。しかし、読み終えた後に袋とじをすべて切り開くと、長編小説『生者と死者』となるのである。
 まあ、当たり前のことだが、先に袋とじを開くと短編は読めなくなるのでご注意を。事前に付箋でもつけておけば大丈夫だが、それも忘れたという人は、16-17ページ→32-33ページ……というように十六ページごとの見開きで読めば、一応読むことはできる。管理人はそういうのが面倒だったので、読み終えた後に短編用としてもう一冊買ってしまったけれど。

 生者と死者

 ガンジー一行は、ある弁当会社の社長から相談を受ける。社長によると、記憶喪失ながら超能力を持った女性がおり、その女性を雇ってほしいという依頼を受けたという。しかし、話そのものが胡散臭いので、ガンジーたちに超能力実験の立ち会いをしてほしいのだという…‥。

 以上は長編の方の導入だ。これまでのガンジーもの同様、ベースにあるのは超能力の真偽であり、そこに犯罪が絡んでくる。一方、短編はガンジーこそ登場しないものの、やはり超能力がネタになっている。
 誰もが読む前に想像するのは、長編は短編をボリュームアップさせたものだろうということだが、奇術師でもある著者がそんなことで満足するはずがない。驚くべきことにストーリーは全然別物であり、登場人物も同一ではなく(短編での名字が長編では名前になったり、性別も変えたり等々)、アナグラムですら別の解釈で見せる。いや、実にお見事。

 ただ、さすがにこの仕掛けのハードルは泡坂妻夫をもってしても少々高すぎたか、作品自体にいつもの面白さはない。超能力絡みのトリックもさすがにネタ切れっぽいし、長編についてはメイントリックもいまひとつ。また、短編はさらに完成度が低く、やはり短編と長編を両立させるだけで目一杯というところか。
 チャレンジ精神には文句なく拍手を送りたいれど、仕掛けはともかく全体としては『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』の出来には一歩及ばず、といったところか。


泡坂妻夫『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』(新潮文庫)

 いわゆる実験小説という呼び方があって、「フランスの小説家ゾラの唱えた自然主義小説の方法論」を指すこともあるけれど、一般的には「前衛的な手法を用い、文学の可能性を実験的に追求しようとする小説」という意味合いの方が知られているだろう。
 小説ではもちろんテーマや物語性も重要だが、芸術のひとつとして考えるなら、その表現方法も同じように重要であるはずだ。そんな表現についての可能性を追求した実験小説は、具体的にいうと文章に何らかの制限を設けるとか、セオリーを無視するとか、お話として面白いかどうかはともかく、その試みは実にスリリングである。
 実際、どんな作品があるかは、木原善彦『実験する小説たち 物語るとは別の仕方で』に詳しいが、日本では筒井康隆が『虚航船団』や『残像に口紅を』をはじめとしていくつもそういう作品を書いており、代表格といえるだろう。
 ではミステリではどうかというと、そもそもミステリの目的自体が「謎を論理的に解明する」ことである以上、実験小説とは相性がよくない。すぐに思いつくところでは、やはりクリスティの『アクロイド殺し』。ミステリの定型を壊した点において一種の実験小説といってよいだろう。ミステリとはちょっと違うがD・E・ウェストレイク『さらば、シェヘラザード』もそのひとつ。我が国では意外にチャレンジャーが多く、浅暮三文の文字どおり『実験小説 ぬ』とか森博嗣『実験的経験 Experimental experience』、折原一『倒錯の帰結』あたりが知られているか。

 これらの実験小説で、個人的に特に重要だと考えるのはその独自性である。やはり、そのアイデアを最初に考えて試みた人間こそ評価されて然るべきで、先人が考えたものをアレンジしてよりよく仕上げる作品も別に悪いとはいわないが、本家を超えることはできない。

 本日の読了本はそんな実験ミステリ小説の中でもとびきりの一作。泡坂妻夫の『しあわせの書』である。
 有名な作品だし、管理人も二十年ぶりぐらいの再読で今更という感じはするが、泡坂作品読破計画も進めている最中なので、久々に手にとってみた次第。

 しあわせの書

 こんな話。二代目教祖の継承問題で揺れる宗教団体の惟霊(いれい)講会。高い霊力で知られた現教祖の桂葉華聖(かつらばかせい)もすでに八十を越え、その後を二人の候補者が争う形となっていた。
 そんな頃、恐山の地蔵祭を訪れたヨガと奇術の達人ヨギ ガンジーとその弟子の不動丸、美保子の三人。イタコの真似事をしてテレビ取材まで受けてしまうガンジーだったが、その場面を見ていた男性から、失踪した妹の行方を占ってほしいと頼まれる。その妹が入信していたのが惟霊講会だったことから、いつしか三人は教祖の継承問題に巻き込まれ……。

 短編集と長編の違いはあるが、本作も基本的なスタイルは『ヨギ ガンジーの妖術』を踏襲するイメージ。提出される謎は奇跡や超常現象のトリックであり、物語もそれらが自然に溶け込みやすい怪しげな宗教団体を舞台にする。シリアスとユーモアもいい案配に配合され、ストーリーもコンパクトにまとまっていて悪くない。
 特に後半、断食からラストの謎解きへの流れは秀逸で意外性もあり、「仕掛け」ばかりが注目される本作だが、それがなかったとしても十分楽しめる本格ミステリといえるだろう。

 まあ、そうはいってもやはり最大のポイントが「しあわせの書」であることは間違いない。
 「しあわせの書」は作中でも登場するのだが、その使い方が見事だ。読唇術のネタとして利用するだけでなく、後半のヤマ場となる断食の行にも使われていることに感心。そして、最後にあの大トリックである。泡坂作品ではすべての描写が伏線というぐらい無駄がないけれども、本作などはその最たるものだろう。
 
 『喜劇悲奇劇』、『生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術』と並ぶ泡坂三大実験小説。ミステリファンでなくとも読んでおいて損はない。


泡坂妻夫『ヨギ ガンジーの妖術』(新潮文庫)

 泡坂妻夫読破シリーズも亜愛一郎がひと息ついて、ヨギ ガンジーものに取り掛かる。
 ドイツ人とミクロネシア人と大阪人の混血という出自を持つヨギ ガンジー。一応はヨーガの達人という触れ込みで全国各地を講演で巡っているが、奇術や占いにも造詣が深く、どこかしら胡散臭い雰囲気を醸し出す。しかし、それは本人も重々承知。逆にいろいろな奇跡や超常現象など、すべてはトリックであると人々に説いて回るというから面白い。

 ヨギ ガンジーの妖術

「王たちの恵み」〈心霊術〉
「隼の贄」〈遠隔殺人術〉
「心魂平の怪光」〈念力術〉
「ヨギ ガンジーの予言」〈予言術〉
「帰りた銀杏」〈枯木術〉
「釈尊と悪魔」〈読心術〉
「蘭と幽霊」〈分身術〉

 収録作は以上。
 クセの強い泡坂妻夫のシリーズ作品だが、本シリーズもとりわけ強烈。もちろん主人公ヨギ ガンジーの奇妙な設定だけでも十分に面白いのだが、何といっても楽しいのは扱うネタのほとんどが奇跡や超常現象のトリックである点。それこそ怪しげな新興宗教団体とかが超常現象や奇跡を披露して信者を集める、ああいった手口の種明かしをこれでもかと暴いていく。以下、各作品の簡単なコメント。

 「王たちの恵み」はガンジーが講演中に盗難されてしまった募金箱の事件。あまりにも意表を突いた真相であり、泡坂作品に免疫がない人は、もうこの一作だけでトリコになってしまうのではないか。

 「隼の贄」は新興宗教の開祖・参王不動丸との対決を描く。予告殺人のネタも見事だが、敵の参王不動丸がガンジーに敗北後、弟子入りするあたりは、ブラウン神父もののフラウボウを彷彿とさせて楽しい。おそらく狙ってやったものだろうな。

 「心魂平の怪光」は鼠騒動とUFO騒動がどのように結びつくのかというネタ。念力対決もあったりと賑やかな作品ではあるが、今読むとネタが割れやすいのが惜しい。

 「ヨギ ガンジーの予言」はタイトルどおり予言を扱った作品。予言トリックの作品は他の作家の作品でもいくつか読んだことはあるが、概ねどれも楽しく読めるのはなぜだろう。

 「帰りた銀杏」は事件の様相をガラリと変えてみせる展開に驚かされる。トリックが重視されるこのシリーズで、本作は「ホワイダニット」にスポットを当てていて興味深い。この真相ははちょっと読めないよなぁ。

 「釈尊と悪魔」も「帰りた銀杏」同様に、ラストで事件の構図を思い切り反転してみせる。考えると単純なネタではあるのだが、ドサまわりの劇団という世界を持ってきたことで見事に全体像をカモフラージュし、なおかつドサまわりの劇団でなければならなかった理由もまた存在する。これはプロットの勝利か。

 「蘭と幽霊」はエクトプラズムを扱うが、心霊ネタの中でももっとも胡散臭いネタであり、それを最後に持ってきたところに著者の自信のほどが窺える。でもやっぱり他の作品よりは少し落ちるかな(苦笑)。

 ということで久々の再読であったが、いくつかネタとして弱いものはあったけれど、基本的には全編通して楽しい一冊であった。ヨギ ガンジーものだと『しあわせの書』や『生者と死者』のインパクトが強すぎて、本書はやや影が薄いところがあるかもしれないが、ミステリとしては断然こちらが上だろう。


泡坂妻夫『亜愛一郎の逃亡』(創元推理文庫)

 泡坂妻夫の『亜愛一郎の逃亡』を読む。亜愛一郎シリーズの第三短編集にして、最終巻でもある。まずは収録作。

「赤島砂上(あかしまさじょう)」
「球形の楽園」
「歯痛(はいた)の思い出」
「双頭の蛸」
「飯鉢山(いいばちやま)山腹」
「赤の讃歌」
「火事酒屋」
「亜愛一郎の逃亡」

 亜愛一郎の逃亡

 『〜狼狽』『〜転倒』と続いたシリーズもこれでラスト。シリーズ作品の常として、どうしても後期の作品ほどレベルは落ちてしまうものだが、本短編集もやはり『〜狼狽』、『〜転倒』に比べると少々物足りなさを感じてしまう。とはいえ、それは著者自身の傑作と比べるからで、そういうフィルターを外せば決してレベルが低いわけではなく、十分に楽しむことができた。

 本シリーズの特徴として、キャラクターの魅力や言葉遊び、奇妙な謎と意外な真相など、いろいろなものがあるだろうが、三冊読んでより感じたのはロジックの妙。いや、ロジックというのとも少し違うか。なんというか亜の謎解きシーンが楽しいのである。
 『〜狼狽』の感想でも少し触れたが、まず“気づき”がいい。目の前で起こっている出来事について、亜は普通とは違う“何か”に気づき、その理由を考え、推理を巡らせてゆく。そして、最終的にはその出来事すべてが事件のうえで意味のあることばかりだったことを解明する。極端にいうと、すべての出来事が伏線であり、それを回収してみせるのである。もう、三巻目の本書収録作品ともなると、事件解決だけさらっとやってしまって、そのあとにじっくりと謎解き場面が始まる作品も多い。いかに著者が推理することを楽しんでいたかの証ともいえる。

 以下、作品ごとに簡単なコメントを。

 「赤島砂上」はヌーディスト島にやってきた闖入者の謎を解き明かす。のっけから奇妙な事件だが、実はほぼ事件らしい事件も起きず、いきなり真相が明らかになる構成が見事。ただ、材料は少なく、けっこう決定的な描写が序盤にあるので、勘のいい人は見破れるかも。

 「球形の楽園」は珍しくトリックで読ませる感じだが、ある人気作家の有名作品に先例があるのが惜しい。とはいえ先にも書いたように、亜の“気づき”がなかなかいい。

 亜シリーズはユーモラスな作品ばかりだが、「歯痛の思い出」は大学病院で展開するとりわけ愉快なストーリー。事件など何もないような状態からいきなり謎解きが始まるパターン、そのうえでの意外な真相という構成は強烈なインパクトを残す。

 山奥の湖に巨大な相当の蛸がいるという情報を聞き、やってきた記者が遭遇するダイバー殺害事件が「双頭の蛸」。トリックや推理のカギとなる写真の扱いが巧く、わりとちゃんとしたミステリなのだが(笑)、ところどころに挿し込まれる、記者がリアルタイムで書いていると思しき記事が楽しい。

 「飯鉢山山腹」は化石の発掘に同行した亜が、山中での車の転落事故に見せかけた殺人事件に巻き込まれる。アイデア自体はわかるのだが、現実的でない部分があって、本書中では落ちる一作。

 「赤の讃歌」は発想が素晴らしい。赤色に拘る画家の展覧会にやってきた美術評論家の玲子は、画家の作風の変化に納得がいかず、頭を悩ませていた。しかし、その秘密を見抜いたのは、何ら美術知識も持たないの亜愛一郎だった。これも“気づき”が秀逸。

 「火事酒屋」は本書中のベストか。火事好きの酒屋の主人とその夫婦、そしてたまたま居合わせた亜が火事騒ぎに巻き込まれる。チェスタトンの作風を喩えに出されることの多い亜シリーズだが、本作などはその筆頭かもしれない。お見事。

 本書だけでなく、シリーズの掉尾を飾るのが「亜愛一郎の逃亡」。まあ、事件やトリックそのものは大したことがないけれど、亜がトリックを仕掛ける側に回ること、そして何よりフィナーレ的な作品として書かれていることが最大の特徴だろう。
 ここでシリーズの登場人物を総登場させたり(しかも幾人かは時の流れを感じさせる趣向まで)、亜の秘密や作品内で頻繁に登場してきた“三角形の形の顔をした洋装の老婦人”の正体も明かされる。おそらくシリーズ当初からこういうラストを考えていたのだろうなと思うと、つくづく著者の遊び心に驚嘆するしかない。


泡坂妻夫『妖女のねむり』(創元推理文庫)

 泡坂妻夫の『妖女のねむり』を読む。初期の傑作の一つとして挙げられ作品である。

 大学生の柱田真一は、古紙回収のアルバイトをしている最中に、樋口一葉のものと思われる一枚の反故を発見した。一葉の研究者によると、どうやらそれは一葉の未発表原稿ではないかという。そこで真一は反故の出所をたどるべく、上諏訪にある吉浄寺へ向かう。
 ところがその上諏訪で新一は奇妙な出来事に遭遇する。たまたま電車で知り合った長谷屋麻芸という女性から、二人はかつて悲恋の末に死んだ恋人たちの生まれ変わりだと告げられたのだ。初めは信じられなかった真一だが、麻芸の話を聞くうち、次第にそれを受け入れていく。だが、前世の二人の死には隠された秘密があり、その謎を解明しようと動いたとき、悲劇が起こる……。

 妖女のねむり

 これはまた初期作品のなかでもとりわけ異色作。なんせストーリーを貫くのは輪廻転生というテーマであり、ミステリというよりは幻想小説の雰囲気が濃厚だ。そんななか、物語は真一と麻芸の出会いによって転がり始め、前世の因縁をきっかけに深まってゆく二人の姿、そして前世の二人を襲った悲劇について聞き込みを続ける様子が描かれる。
 幻想小説なのかミステリなのか、どういうふうに物語を着地させるのか。ミステリ者としては、どうしてもそんな興味が先にきてしまうが、とにかく先がまったく見えない。しかも中盤で殺人事件が起こり、それがいっそう物語を混沌とさせる。
 そして最終的にはすべての伏線を回収し、論理的に謎を解き明かすという離れ業が披露される。そもそも発端だった一葉の原稿の件も、途中で放ったらかしになるので単なるきっかけ作りだったのかと思いきや、きっちりと種明かしをされる。輪廻転生や奇跡の類も然り。とにかく、まったく予断を許さない、著者ならではの騙しのテクニックが満載の一作である。

 また、個人的に強く印象に残ったのが犯人像。(ネタバレになるので詳しくは書かないが)たまにこの手の犯人の作品に出会うことがあるが、こういうのが一番インパクトがあり、好みである。

 少々ケチもつけておくと、真相が予想以上に複雑で、偶然性の強い部分もあるのが惜しい。真一の立場で読んでしまうと、ちょっとこれを解き明かすのは無理かなという感じではある。実際、しっかりした探偵役はおらず、関係者の告白で多くの事実が明らかになる。とはいえ犯人決め手の手がかり、輪廻転生や奇跡に関する部分の種明かしなどは著者ならではの鮮やかさで、巻き込まれ型の本格としては十分だろう。
 むしろ気になったのは、被害者に対して関係者がみな淡白というか、あまり悲しみが伝わってこなかったこと。これは登場人物が冷たいということではなく、著者の掘り下げが浅いという印象である。それこそゲームの駒的な扱いというか、後半は謎解きに集中しすぎて物語としての潤いが減ったようにも思う。前半の登場人物の描き方が丁寧だっただけにちょっと残念であった。
 ラストもかなり印象的なシーンのはずなのだが、そんな理由もあっていつもよりは説得力に欠ける感じであった。

 と、少し注文もつけてみたが、それでも本作の価値を落とすほどのものではない。泡坂妻夫を語るなら、やはり押さえておくべきであり、これもまた代表作のひとつといえるだろう。


泡坂妻夫『喜劇悲奇劇』(カドカワノベルズ)

 泡坂妻夫の『喜劇悲奇劇』を読む。

 奇術や猛獣使い、アクロバットなど、さまざまなエンターテインメント詰め込んで全国を興行する予定のショウボート〈ウコン号〉。しかし、初日を目前にして一人の奇術師が殺害される。ところが座長は興行が中止になるのを怖れて警察には通報せず、関係者にも口止めをしてしまう。
 そんなこととは露知らず。酒が原因で落ちぶれた奇術師・楓七郎は、ウコン号で足りなくなった奇術師の後釜として雇われる。すると今度は道化師が初日直前に殺されてしまい……。

 喜劇悲奇劇

 著者はミステリ作家でありながら奇術師という顔ももっており、その特技を活かした『11枚のトランプ』という傑作を書いているが、本作もその系譜に連なる作品といえる。テイストも『11枚のトランプ』同様コミカルで、それだけでも楽しい作品なのだが、実はもうひとつ大きな特徴があって、それが回文だ。
 『喜劇悲奇劇(きげきひきげき)』というタイトルからして回文になっているが、それだけでなく章題や登場人物名、冒頭の一文、最後の一文、延いては回文問答まであり、徹底的な回文尽くし。しかも、それがただの遊びでなく、きちんと犯行のミッシングリンクにもなっており、さすがとしか言いようがない。
 また、連続殺人を扱っているが、ひとつひとつの犯行にも各種トリックが工夫されており、著者の遊びにかける熱意にとにかく唸らされてしまう。

 惜しむらくは終盤に明かされる真のミッシングリンクの部分が、どうにも全体の雰囲気にあっていないこと、また、結果的にただの狂言回しに終わっている主人公の扱いがもったいない感じだ。
 特に後者はダメ主人公の立ち直る物語を期待してしまっただけに、少々拍子抜け。意外な探偵役を演出する狙いがあったのかもしれないが、前者の欠点も合わせると、意外に爽快感に欠けるのである。

 したがって個人的には著者のほかの傑作よりはやや落ちるといった印象なのだが、まあ、そうはいってもその趣向だけでも間違いなく必読レベル。残念ながら現在は角川版、創元版ともに品切れ状態のようだが、古書店などでは比較的安価で入手できるので、興味がわいた方はぜひどうぞ。


泡坂妻夫『迷蝶の島』(河出文庫)

 泡坂妻夫の『迷蝶の島』を読む。泡坂長編としては『花嫁のさけび』と『喜劇悲喜劇』の間に書かれた五番目の作品。

 こんな話。親が資産家であるのをいいことに、毎日を趣味の文学やヨットで過ごす大学生の山菅達夫。ある日、達夫は親に買ってもらったクルーザーで出航するが、危うくヨットに衝突されそうになる。幸い事故には至らず、逆にそれが縁で財閥の令嬢・中将百々子、彼女の大学のOBでヨットのコーチをする磯貝桃季子と知り合いになる。
 達夫は百々子へ思いを寄せるが、ある勘違いがきっかけで桃季子と関係を持ってしまう。だが百々子への想いは絶ち難く、次第に桃季子の存在が邪魔になり……。

 迷蝶の島

 達夫の手記で幕を開ける作品であり、この時点ですでに胡散臭いものを感じるミステリファンは少なくないだろう。ただ、前半はそこまで手記というスタイルを意識しなくてよい。
 主人公の達夫が桃季子、百々子との三角関係に陥り、徐々に桃季子に対して殺意を抱き、それを実行しようとする……犯罪者の心理描写や転落していく様をねちっこく描いており、本作がフランスミステリ風であるといわれる所以である。
 問題は後半だ。前半こそフランスミステリ風な印象だが(これはこれで面白いけれど)、もちろんそのままでは終わらない。達夫の手記は後半になると異常さをみせ、さらには関係者の証言や別の人物による手記が差し込まれ、ラストに至ってようやく著者の狙いが明らかになるという具合だ。
 ただ、意外性はあるものの、登場人物や状況が非常に限定されているので、真相はそこまで予想しにくいものではない。また、描写で少々アンフェアなところや不要な部分もあるのは気になる。

 とはいえ、それこそフランスミステリ風の犯罪小説に捻りを加え、自家薬籠中のものにまとめてしまう手並みは鮮やか。初期傑作群の中でどうしても霞みがちになるのは致し方ないところだが、読み逃すには惜しい一作である。


泡坂妻夫『煙の殺意』(創元推理文庫)

 泡坂妻夫の『煙の殺意』を読む。シリーズキャラクターの登場しない初期のノンシリーズ作品を集めた短編集。収録作は以下のとおり。

「赤の追想」
「椛山訪雪図」
「紳士の園」
「閏の花嫁」
「煙の殺意」
「狐の面」
「歯と胴」
「開橋式次第」

 煙の殺意

 着想の面白さ、上質な語りと適度なユーモアや叙情性も散りばめられ、安心して楽しめる短編集である。亜愛一郎シリーズと雰囲気は似ているものの、内容的にけっこうバラエティに富んでおり、なかにはホラーチックなものまであるのが興味深い。ともかく秀作揃いの一冊なので、ファンならずとも一度は読んでおきたい。
 以下、作品ごとの感想を簡単に。

 冒頭から異色作の「赤の追想」。バーで女友達と会っている男性が、鋭い推理を発揮して女性の失恋話を掘り下げてゆくのが面白い。失恋話の真相も意外性があって悪くない。

 「椛山訪雪図」は本書でのベスト候補。美術品収集家の家で起きた殺人事件だが、絵画の図案や収集家の人生までをも重ねた構成が非常に巧み。

 「紳士の園」もかなりの異色作。出所したばかりの主人公が、刑務所で知り合った男性と公園で出会い、そのまま公園の白鳥を捕まえ、鍋にして花見としゃれこむ。ところが公園の茂みで死体を発見し、二人は慌てて逃げ出すが、なぜか翌日になっても死体や白鳥のことは一切ニュースに出てこない……。
 二人の会話や行動に味があって、それだけでも楽しい作品なのだが、そこにオチをもってくることで、一気に「奇妙な味」に化ける秀作。

 外国人のお金持ちに見初められ、友人にも知らせず異国へ嫁いだ女性と、その友人の往復書簡だけでまとめた作品。作品としては悪くないのだけれど、やや手垢がついたネタだけに、これはさすがにオチが読めてしまった。

 「椛山訪雪図」と並んで本書のツートップに推したいのが「煙の殺意」。デパートで大火災が起こり、そのニュースに気が気でない刑事が、あるアパートでの殺人事件を捜査する。一見、単純な事件に思えたが……。
 著者のデビュー作「DL2号事件」に通じるところがあり、犯人の行動の裏にあるものに驚かされた。

 「狐の面」はある山村へやってきた山伏一行をめぐる物語。山伏たちはプチ奇跡を起こして村人を魅了するが、その背後にはなにやら胡散臭いものが……。出来でいうと上記のツートップに譲るが、インパクトは勝るとも劣らない。山伏のプチ奇跡を次々と解説する面白さ、その山伏ネタが単なる前菜だったことも含め、予想外の展開に圧倒される。

 「歯と胴」は倒叙もの。被害者の痕跡をどう始末するか、徹底的な手段にこだわる犯人の姿も薄ら寒いが、最後には別種の怖さが待っている。

 開橋式が行われようとする矢先、招かれた警察署長が昔に手掛けた迷宮入り事件とそっくりなバラバラ殺人に遭遇するというのが「開橋式次第」。ドタバタは楽しいが、手がかりがちょっとあからさますぎるか。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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