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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』(文藝春秋)

 スチュアート・タートンの『名探偵と海の悪魔』を読む。前作『イヴリン嬢は七回殺される』がタイムループや人格転移を盛り込んだSFミステリということで、大いに評判になったものだが、個人的にはいろいろと納得できないところもあって、そこまで愉しめない作品だった。今作は海洋冒険ものということで、ガラッと内容を変えてきたことに驚いた。

 こんな話。
 時は十七世紀。東インド会社バタヴィア(今のジャカルタ)で総督を務める暴君ヤン・ハーンが、多くの財宝や家族、部下や兵を伴ってオランダへの船旅に出ようとしていた。会社の統轄機関である〈十七人会〉へ入会するためである。しかし、オランダへ向かう帆船ザーンダム号に乗客が乗り込んでいたときのこと、包帯で顔を覆った男が現れ、船と乗客の破滅を予言し、その直後、炎に包まれて謎の死を遂げる。
 そして不吉な予言を証明するかのように、出帆したザーンダム号に次々と怪事件が発生する。あちらこちらで浮き上がる悪魔“トム爺”の印、存在しないはずの八隻目の船、提督が密かに積ませた“愚物”の消失……。
 その一方、乗客や船員の間にもさまざまな因縁や人間関係が渦巻き、船は危機的状況にあった。そんな中、罪人としてオランダへ移送される名探偵サミー・ビップスの知恵を借り、なんとか事件を解決しようとするサミーの従者アレント・ヘイズの姿があった。

 名探偵と海の悪魔

 おお、これはいいぞ。詰め込みすぎ、作りすぎが裏目に出た『イヴリン嬢は七回殺される』と比べたら、こちらの方が断然愉しめる。
 帯には「海洋冒険+怪奇小説+不可能犯罪」とあるが、まさしくそのとおり。最終的には本格ミステリとして着地はするのだが、ストーリーの根幹は海洋冒険小説、味付けに怪奇小説といったイメージである。
 特に海洋冒険小説の部分がすこぶるよろしい。ケレン味が強い作家であることは前作でもわかるが、それが本作では自己満足に終わらず、読者の興味を引っ張るという、非常に真っ当な方向で表れている。際立つキャラクター、兵士と船員の対立、嵐の様子、孤島でのサバイバルなどなど非常にイキイキと描かれる。

 そういった海洋冒険小説というだけでも十分に成立する面白さなのだが、そこへ怪奇小説の要素もぶち込んでくる。とはいえ時代が十七世紀だから、悪魔や呪いといった超自然的要素は普通に受け入れられていた頃だ。何の違和感もないどころか、海の怖さや船乗りたちを描くためには、むしろその手の要素は必須。『パイレーツ・オブ・カリビアン』などの例もあるように冒険小説と怪奇小説の親和性は非常に高く、より物語を盛り立てる。

 ところが帯にも謳われているように、本作は紛れもなく本格ミステリである。あまりに怪奇現象や不可解な事件が起きるので、ともすると読んでいるうちに普通に怪奇冒険小説として終わるのかと錯覚してしまうほどだが、間違いなく本格ミステリとして決着する。その手際は実にお見事。
 中には他愛もないトリックなどもあるけれど、それこそ十七世紀という時代、科学の力が絶対ではなく、電気がない暗闇が恐れられていた時代、悪魔や迷信が信じられていた時代である。そういう時代性をうまく利用して、決して無理のない(いや、多少は無理もあるけれど)謎解きものに仕立てている。

 人によってはラストの謎解きが逆に白けてしまうという人もいるかもしれない。しかもそれまでの展開を思うと、予想をかなり上回るハッピーエンド。そのため、逆に余韻に欠ける嫌いがあると感じる人もいるだろう。
 ただ、著者の狙いはあくまでミステリであり、そこに題材として海洋冒険小説や怪奇小説の要素を持ち込んだだけなので、その指摘はあまり正確ではない。著者のミスがあるとすれば、予想以上に海洋冒険小説や怪奇小説の部分が良すぎて、読者を混乱させてしまったところだろう(笑)。

 ともあれ個人的には非常に満足。大いにスチュアート・タートンを見直す一作となった。


スチュアート・タートン『イヴリン嬢は七回殺される』(文藝春秋)

 年末も近くなってきたので、このところ今年の話題作をぼちぼちと消化中。本日の読了本はその一環としてスチュアート・タートンの『イヴリン嬢は七回殺される』。「館ミステリ+タイムループ+人格転移」という売り文句で、発売当時から話題になっていた作品である。

 まずはストーリー。
 森の中にたたずむハードカースル家所有の〈ブラックヒース館〉。そこではイヴリン嬢の帰還を祝って多くの客が招かれ、夜には仮面舞踏会まで催されていた。そんなある日の朝、森の中で一人の男が自ら発した「アナ!」という叫び声によって意識を取り戻す。しかし、アナが何者なのかはわからず、それどころか自分が誰なのか、ここがどこなのか、なぜここにいるのかもわからない。
 皆は彼をベルと呼び、館に招かれた医者であると知らされるが、しかし次の日の朝、彼は執事のコリンズとして目覚め、さらに次の日は遊び人のドナルドとして目覚める。しかも別の人物として目覚めても日付は進まず、主人公は同じ日を別の人物として体験することになる。
 いったい何が起こっているのか。とまどう彼の前に中世の黒死病医師の扮装をした男が現れ、その夜にイヴリンが殺されると告げる。そしてその犯人を特定できた者だけが、この異常な世界から解放されるのだという……。

 イヴリン嬢は七回殺される

 いやあ、これは凄い小説だわ。同じ時間を繰り返すタイムループものや、他者に憑依する人格転移ものは今どき珍しくもないけれど、これを合体させたうえ、さらに館ミステリの要素を加えてフーダニットの本格ミステリに仕上げるという荒技である。

 とにかく最初は主人公同様、読者も物語の筋についていくのがやっとだろう。しかしこの世界のルールが徐々にわかってくると、次第に物語に引き込まれる。
 同じ日が繰り返されるということは、前の日の反省を活かせるということである。また、毎日、異なる人物に転移するということは、それぞれの異なる立場から物事を眺めることができるということだ。となれば、少しずつ真実に近づくことは決して不可能ではないはず。
 ただ、実際はそう簡単に物語は進まない。主人公が転移する人物はそれぞれが問題を抱えており、自由に動けなかったり、転移先の本人がもつ感情や意識に流されたりして、決して主人公が自由に考えたり行動できるわけではないのである。しかも主人公には同じ目的をもつ競争相手がおり、さらには競争者たちをつけ狙う殺し屋的存在〈従僕〉が待ちかまえる。何より八日間という時間制限があるのだ。
 そういった異様な状況でこそ生まれるサスペンスとスリルが肝ではあるが、主人公が次の転移に活かすための準備をしたり、ときには競争者と手を組んだりという知的ゲームの要素も強い。もちろん、なぜこのような奇妙な世界が存在しているのか、そういう興味も大きいだろう。
 先に書いたように、ルールがわかってくると徐々にミステリの味わいが濃くなるので、前半さえ乗り切れれば、この作品の凄さを実感できるはずだ。

 と、凄い作品であることを認めるに吝かではないのだが、実はむちゃくちゃ面白かったかといわれれば、まあそれなりにといったところ(苦笑)。結局はやはりネタの詰め込みすぎ、そしてそのネタがあまりに人工的で、すべてが著者の考えた理屈でしか成り立たないものばかりだからである。
 要は作り物感が強すぎて、事件の犯人は誰か、なぜこのような世界が存在しているのか、どんな結果を見せられても感動や驚きが湧いてこないのだ。実に綿密に考えて書かれたであろう作品なだけに、こういう感想になるのはもったいない話なのだが、せめてもう少しSF的な要素を絞っていれば物語としての膨らみも出たのではないか。
 リボルバーや方位磁石、スケッチブックなど、小道具の扱い方に関してはミステリとして楽しめる部分であり、そういうセンスは非常によいだけに、ミステリファンとしてはやや歯がゆいところである。
 おそらく来年刊行されるだろう次作の『The Devil and the Dark Water 』も翻訳されるだろうが、はてさてどのような作品になるのだろう。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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