探偵小説におけるアダムがエドガー・アラン・ポーの生んだデュパンだとすれば、イブは誰か? エラリー・クイーンが『クイーンの定員』のなかでその答えとして出したのが、ウィリアム・スティーヴンス・ヘイワードの生んだパスカル夫人である。本日の読了本はそのパスカル夫人の活躍をまとめた一冊、『パスカル夫人の秘密』。
The Mysterious Countess「謎の伯爵夫人」
The Secret Band「秘密結社」
The Lost Diamonds「ダイヤモンド盗難事件」
Stolen Letters「盗まれた手紙」
The Nun, the Will, and the Abbess「修道女・遺言状・女子修道院」
Which Is the Heir?「どちらが相続人?」
Found Drowned「溺死」
Fifty Pounds Reward「五十ポンドの賞金」
Mistaken Identity「人違い」
Incognita「匿名の女」

本書はなんと1864年の刊行である。まあ、クイーンに探偵小説のイブと位置付けられるぐらいだから当然っちゃ当然だろうが、探偵小説の母と呼ばれるアンナ・キャサリン・グリーンの『リーヴェンワース事件』よりも十年以上、シャーロック・ホームズの登場よりも二十年以上早い(とはいえ、これでも世界最初というわけではないらしいが)。
そして驚くことがもうひとつ。パスカル夫人はロンドン警視庁に初の女性刑事として採用されたという設定だが、ロンドン警視庁で女性刑事が実際に採用されたのはなんと二十世紀に入ってからのことらしい。
もう、これらの事実だけで一度は読まなきゃという気になるのだが、著者は目のつけどころがいいだけでなく、書かれた作品がきちんとミステリの骨格を備えていることにも注目である。今では当たり前の、《発端の魅力的な謎→探偵の調査・推理→合理的かつ論理的な解決》という構成。ミステリの定義だとか、そういうものが論じられていない時代に、いち早くベーシックなスタイルを確立させていることに感心する。
もちろんこの時代の作品なのでトリックとかに期待してはいけないし、パスカル夫人の推理も直感に頼るところが大きいのはマイナス点だが、当時の英国の人々の暮らしぶりや風俗などが良く描かれているし、歴史的な価値も含め、読み物としては悪くない。
ただ、個人的には気に入らない点も少なくない。まずは著者の倫理観というかバランス感覚の悪さである。とりわけ労働者階級に対する差別意識は強く感じられるが、これは書かれた時代もあるから、ある程度は仕方ないところだろう。
問題は探偵役たるパスカル夫人の人間性だ。上昇志向や金銭欲が強く、事件の報奨金ばかり気にする四十代の未亡人というのはどうなんだろうなぁ。正直、人間的な面白みはほとんど感じられず、権力者の忠実な道具という印象しかない。このキャラクターで当時の読者の共感を得るとはとても思えないし、これが今日まで忘れ去られた大きな理由ではないだろうか。探偵小説であっても、やはり人物造形は重要なのである。