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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

都筑道夫『誘拐作戦』(徳間文庫)

 都筑道夫の『誘拐作戦』を読む。題名どおり誘拐テーマの作品である。
 誘拐は犯罪者にとってリスクが高い犯罪とよくいわれる。誘拐した相手に顔を見られるリスク、誘拐した相手を確保しておく場所や手間によるリスク、身代金の受け渡し時に姿を見せなければならないというリスクなどなど。また、凶悪犯罪であるから捜査班も精鋭が動員されるし、検挙率も非常に高い。罪の重さを考えると最も割に合わない犯罪ということだ。
 だからこそ逆に推理作家の創作欲を刺激するのか、比較的、誘拐ミステリには練り込まれた傑作が多いように思える。本書もそんな誘拐テーマに挑戦した一作だが、そこは都筑道夫、ただの誘拐ミステリでは終わらなかった。

 こんな話。盗んだ車に乗ってドライブと洒落込む、小きん、大虎、ブタ、粟野の悪党四人。彼らは深夜の京葉道路上で、倒れている瀕死の女性を発見した。盗んだ車だから警察へ行くこともできず、どうしたものかと思案していると、そこへもう一台の車がやってきた。中から現れたのは粟野の友人、桑山である。彼はその女性を知っていると話したが、所持品を調べるとどうやら別人であり、実は有名な富豪の娘であることが判明する。すると桑山は閃いたとばかり、誘拐をやろうと皆に持ちかける……。

 誘拐作戦

 重くなりがちな誘拐ミステリだが、著者はお得意のコミカルなタッチの犯罪小説でまとめている。誘拐チームを組むのは小悪党っぽい五人組で、とても凶悪犯罪を成し遂げられるようなメンバーには思えない。そこを桑山がリーダーとして、どう率いていくのかがまず読みどころである。
 また、犯人側だけでなく警察側にも個性的な人物が多く、さらには名探偵役の人物まで登場して、ちょうど犯人側と対立させる構造も作り、ストーリーに膨らみを持たせている。テクニックのある作家ではあるが、それが本作ではいっそう光っている印象だ。
 ちなみにコミカルではあるが、ブラックな味わいも強く(バラバラ死体の件とかボーリングの玉の件とかホント強烈)、それが内容にも合っている。ここは想像だが、凶悪犯罪であるからこそ、笑いもよりダークにして、全体のバランスをとっているといえないだろうか。

 ただ、これぐらいなら、ありがちなミステリ。本作で驚かされたのは、誘拐ミステリという大きなテーマがあるにもかかわらず、のっけから叙述ミステリでくることだ。
 しかも二人の書き手が交互に章を書き分ける。事件の関係者であることは間違いないのだけれど、事件を振り返る絆を持った二人組とは誰か。犯人側だけでなく、警察側、被害者側にもそれらしき候補者がいるため、それが読者をより混乱させる。誘拐ミステリなのに、叙述ミステリとしても勝負してくるのが、いかにも著者らしいチャレンジだ。

 そして、誘拐そのもののトリックも悪くない。実はこれも現金をどう受け取るかとかそういうことを超越するようなネタになっていて、おそらく叙述トリック抜きでも十分に傑作といえるだろう。とにかく文句なしの傑作である。

 それにしても恐れ入る。当時ここまでミステリの可能性についてさまざまなことを試す作家は他にいなかったであろうし、長い日本ミステリ史の中でも稀な存在だろう。
 というか、これだけ実験的作品を連発しても喜んだのはおそらくミステリマニアばかりだろうと思うのだが、実際には次々と執筆依頼が舞い込んでいるわけだし、それは商業的にも成功していたということである。むしろそちらの方が驚きかもしれない。



都筑道夫『やぶにらみの時計』(徳間文庫)

 このところ「トクマの特選!」づいているが、本日の読了本も都筑道夫の『やぶにらみの時計』。ン十年ぶりの再読。解説によると、それまで時代小説やリライト本などを書いていた著者が、本格的にミステリを執筆するようになった、いわば推理作家としての「再デビュー作」である。

 深酒をした浜崎誠治が目を覚ますと、彼は見知らぬ部屋で見知らぬ女性に話しかけられた。彼はその女性の夫で、会社社長の雨宮毅だという。慌ててその家を飛び出した浜崎は自宅のアパートに戻るが、今度は自分の妻や隣人までもが、彼のことを誰も知らないと言うではないか。一体何が起こったのか。浜崎は自分が何者なのか確かめるため、東京を彷徨うことになるが……。

 やぶにらみの時計

 都筑道夫は多作家ではあったが、ワンパターンな作品を量産するのではなく、ミステリの可能性に挑戦した作家である。とりわけ初期作品にはトリッキーな作品が多く、再デビュー作と位置付けられる本作にして、すでに意欲的な試みにいくつか挑んでいる。

 まずはストーリーの設定。それまで普通に暮らしていた主人公が、突然自分の存在を証明できなくなったり、あるいは主人公のことを皆が覚えていなくなるというパターン。アイリッシュの名作『幻の女』などが有名だが、本作でもその趣向に挑戦している。
 中程では同趣向の作品について蘊蓄をたっぷり披露する場面まであり、この辺りはマニアックすぎて読者おいてきぼりの感も強いけれど、著者のドヤ顔も想像できて微笑ましいところでもある。
 ただ、この趣向はSFミステリでもないかぎり仕掛けには限界があり、本作もネタを明かせばやっぱりねという感じが強いのは残念。

 もう一つは文章上の試みである。ミステリだけでなく小説としても珍しい二人称を使っていることだ。その目的はいろいろあるだろうが、大きくは読者と主人公を同化させて臨場感を高める、地の文が実況中継のようになって独特のテンポを産んだり、サスペンスを高めるなどの効果を狙ってのことだろう。
 「きみは目をひらく」、「きみの声は嬉しそうだ」などとやられると、最初は少々落ち着かないものの、慣れると確かに独特のリズムがあって実に楽しい。とはいえ、こちらも主人公が単独で動いている場合はともかく、作中で相棒が登場すると徐々に効果が薄れてくるようにも感じた。

 ということで個人的には傑作とまでは思わないけれど、著者のチャレンジ精神には惚れ惚れするし、ミステリファンであればやはり一度は読んでおきたい作品である。


都筑道夫『猫の舌に釘をうて』(徳間文庫)

 「私はこの事件の犯人であり、探偵であり、そしてどうやら、被害者にもなりそうだ。」
 そんな挑戦的かつ魅力的な一文で始まるミステリ、都筑道夫の『猫の舌に釘をうて』を読む。ン十年振りの再読になるが、以前に読んだときとはまた違う面白さを受けた。

 猫の舌に釘をうて

 主人公かつ語り手はフリーライターの淡路瑛一、いや、本作は束見本に書かれた手記という体裁を取っているので、書き手というべきか。
 淡路には十年近く片想いしている女性・有紀子がいた。チャンスは何度かあったにもかかわらず臆病な淡路は強気に出ることができず、結局彼女は淡路が紹介した人間と結婚する始末。だが、それでも淡路は未練が残り、いまだに彼女の相談相手になっているのだった。
 そんな淡路が腹いせに思い付いた“毒殺ごっこ”。淡路は有紀子の風邪薬を盗んで、それを行きつけの喫茶店で他の客のコーヒーカップに忍ばせたが、なんとそのコーヒーの飲んだ客は死亡してしまう。殺人犯は自分ということになるが、淡路が気になったのは、むしろ有紀子の風邪薬に毒を忍ばせた犯人だ。淡路は警察の追及を交わしつつ、密かに由紀子を狙う犯人を突き止めようとするが……。

 初めて読んだときには、とにかく冒頭の一文に興味を惹かれたのだが、まあセバスチャン・ジャプリゾの『シンデレラの罠』もそうだけど、この手の謳い文句はそこまで真面目に受けとらないほうがいい(苦笑)。著者としては、自作の方がジャプリゾより早く出版しているし、内容的にも勝っていると思っていたようで、確かにそれはそのとおりだと思うが、そこまでアドヴァンテージがあるわけではないので、そこには期待しない方がよろしい。
 むしろポイントはメタ・ミステリ的な構造とトリックだ。ぶっちゃけ叙述トリックのアレンジである。淡路が信頼できない語り手であり、そこに仕掛けがあるとは予想できるが、まったく予想外の方向から飛んでくるのは今読んでも見事としか言いようがない。変に凝らず、一撃で決めているところも潔くて好印象だ。
 
 若い頃に比べ、プラスして面白いと思ったのは、昭和の風俗や出版業界の空気が感じられるところ。決して今の若い人が共感できるようなものではないかもしれないが、この頃の業界特有のルーズ感やインテリ崩れ感がなんとも言えない。著者の体験がかなり反映されているだろうからリアリティがあるのは当然として、この空気を多少は知る身としては、それが非常に心地よく楽しく読めた。
 ただ単なる味付けだけではなく、そういうところをミステリ上のカモフラージュとしても役立てているからさすがである。
 世の中が電子書籍一色になる前に、ぜひ読んでもらいたい一冊。


都筑道夫『吸血鬼飼育法 完全版』(ちくま文庫)

 都筑道夫の『吸血鬼飼育法 完全版』を読む。渋谷の宮益坂に事務所を構え、探偵事務所というか何でも屋を営む片岡直次郎を主人公にしたシリーズを復刻した作品集。旧版の短篇集『吸血鬼飼育法』をベースに、中篇の「俺は切り札」、さらには原型となる短編を収録しており、さすが日下印の構成は絶妙である。

 吸血鬼飼育法

『吸血鬼飼育法』
 「第一問 警官隊の包囲から強盗殺人犯を脱出させる方法」
 「第二問 吸血鬼を飼育して妻にする方法」
 「第三問 殺人教の人質にされてエレベーターに閉じこめられた少女を救出する方法」
 「第四問 性犯罪願望を持つ中年男性を矯正する方法」
「俺は切り札」
「危機の季節」
「檻のなかの三人」

 収録作は以上。基本的には近藤&土方シリーズのように、お笑いを前面に打ち出した軽ハードボイルド路線。アクションとサスペンス、お色気もふんだんに盛り込み、まさに大人のためのエンターテインメントという感じである。
 ただ、近藤&土方シリーズがかなりお笑いに舵を取っているのに対し、こちらは事件そのものの妙を打ち出している。特に『吸血鬼飼育法』の四作品にそれが顕著で、タイトルにあるような奇抜な設定に対し、どのような落としどころをつけるかがミソ。しかも最終的にはもうひと捻り入れて、ただでは終わらせないのがよい。
 「第四問 性犯罪願望を持つ中年男性を矯正する方法」などは、いかにもパーカー・パインのパターンだと想像させておいて、途中から思いがけない展開になだれ込んでいく。かえって物語の構成美を壊していくような、やんちゃな感じがたまらなくいい。
 その点、中篇「俺は切り札」は少し後の作品だけあって、まとまりはあるのだが、かえって面白さが薄まっているような気がする。個人的には『吸血鬼飼育法』の四作のテイストが圧倒的に好みだ。
 「危機の季節」と「檻のなかの三人」はその四作の原型となった作品。ネタは共通だが、設定や人物などはかなり違っており、作者がどういうふうに作品を昇華させていくのか、その片鱗が垣間見えて興味深い。

 ということで実に満足できる一冊。いわゆる謎解きミステリとはまったく種類が異なるが、これもまたミステリの愉しみの一つである。片岡直次郎シリーズの完全版とか、そういうマニア的なアプローチも気にしなくていいから、とりあえず読んでおいて損はない。とはいえ、このスタイルが今の読者にどれだけ響くのか、それはわからないけれど(笑)。


都筑道夫『悪意銀行』(ちくま文庫)

 笑いの価値観というやつは本当に難しくて、たとえばM1グランプリなどの感想をTwitterなどで見ていると、人によって本当にツボがバラバラである。年齢や性別、出身地、育ってきた環境など、さまざまな要素が入り混じっての結果だろうが、日本国内でもこれだから、海外の映画や小説でのギャグが理解できないケースはかなり多い。いや、理解はできているだろう。ただ、文化が異なるので笑いのツボも異なるのである。
 かくいう管理人も日本の漫才や英国のブラックユーモアなんかは割と好きだが、アメリカ流のスラップスティック・コメディはそれほど得意ではない。

 だから都筑道夫がスラップスティック・コメディにチャレンジした『紙の罠』は長らく読んでいなかったのだが、これがちくま文庫から出たときに、近藤&土方シリーズをまとめたものになるというので、とうとう読むことにしたわけである。
 結果、思ったよりは全然楽しく読むことができ、さすが都筑道夫という感じでひと安心だったが、本日の読了本はその『紙の罠』に続くシリーズの第二弾『悪意銀行』。この二冊で一応、近藤&土方シリーズがすべて読めるという形になっている。

 悪意銀行

 こんな話。犯罪の芸術性を高めようと〈悪意銀行〉なるものを設立した土方利夫。その土方に、愛知県の地方都市の市長を暗殺してほしいという依頼が舞い込んだ。それを聞きつけた近藤庸三、土方ばかりに美味い汁を吸わせるつもりはないとばかりに、さっそく現地へ乗り込んでゆくが……。

 『紙の罠』は笑いを前面に押し出していたとはいえ、ミステリや犯罪小説としての結構はキープしていたのに対し、本作は作者自らあとがきで述べているとおり、目的は読者を笑わせることにあるという。しかもアメリカ流スラップスティック・コメディに日本伝統の笑い〈落語〉のテイストをミックスした〈ラクゴティック・スリラー〉だというから、なんだか、この著者の言葉自体がすでにギャグのようだ。
 ただ、実際に読んでみると、ギャグだけでなくストーリーの面白さについても『紙の罠』よりは本作の方が満足度は高かった。『紙の罠』がミステリとしてもそれなりに盛り込んでいたせいか、登場人物やストーリーがゴチャゴチャした印象を受けたのに対し、本作は笑いが中心ということもあって全体がスッキリとしており、安心して笑いの方に流されるのがよい。近藤と土方の関係性も前作より安定しており、よりツーカーな感じで、これもまたよし。

 なお、併録している中編の「ギャング予備校」も悪くない作品で、近藤&土方シリーズ作品が揃うという意味でも『紙の罠』と合わせてファンは必携であろう。ただし、笑いのツボが合わない人はその限りにあらずということで。



都筑道夫『紙の罠』(ちくま文庫)

 都筑道夫の『紙の罠』を読む。初期にはいろいろと実験的なミステリを書いている都筑道夫だが、本格ミステリに限らず、ミステリのさまざまなジャンルにおいてチャレンジと研究を続けた作家である。本作は当時の日本ではまだ少なかった(今でも少ないけれど)ナンセンス・アクションに挑戦した一作。

 こんな話。紙幣印刷用紙が輸送中に強奪されるという事件が起こった。強奪犯の目的はその紙幣を使った偽札造りに間違いない。そう推理した近藤庸三は、贋造に必要な“製版の名手”の身柄を先に押さえてしまい、強奪犯たちに引き渡してひと稼ぎしようと思い立つ。
 しかし、そう考えたのは近藤だけではなかった。土方や沖田といった商売敵、そして強奪犯も動き出して……。

 紙の罠

 著者自身はナンセンス・アクションと表現しているが、意識しているのはアメリカ映画にあるようなスラップスティック・コメディ、すなわち体を張ったドタバタギャグ満載のコメディだ。それをミステリでやったのが本作である。
 本筋は一応、“製版の名手”を巡るギャング同士の抗争だが、ストーリーがどう転ぶかはそこまで気にする必要はなく、ほぼ全編にわたって盛り込まれたギャグを楽しめばよい。だから著者と笑いの質が合うか合わないかでずいぶん評価は変わるだろうなとは思う。

 とはいえ当時のスラップスティック・コメディをここまで日本風に落とし込んだ例はあまり見たことがなく、それだけでも一読の価値はあるだろう。ギャグ満載でありながらもどこかおしゃれなイメージを感じさせるこのテクニックは鮮やかだ。
 また、スラップスティック・コメディ云々とはいってもベースはミステリ。著者はその辺も抜かりなく、それこそ本格ミステリばりの意外な真相と推理シーンをラストにもってくるのはさすがである。

 なお、本作は近藤&土方シリーズとして二長編があり、先日、二作目の『悪意銀行』もちくま文庫で復刊したばかりである。こちらの感想もそのうちに。


都筑道夫『三重露出』(講談社文庫)

 都筑道夫の『三重露出』を読む。昭和の作家を消化するなかで、やはり都筑道夫も忘れてはならない作家だろう。高校ぐらいのころに次々と文庫化されていたこともあり、初期の代表作はけっこ読んでいるはずで、本作も三十五年ぶりぐらいの再読である(苦笑)。

 こんな話。翻訳者の滝口が目下とりかかっているのはアメリカの作家、S・B・クランストンが書いたスパイ小説『三重露出』。なんと日本を舞台にし、アメリカ人の私立探偵もどきが女忍者やギャングと渡り合う破天荒な内容である。ところが作中で意外な人物が登場し、滝口を驚かせる。
 意外な人物の名は沢之内より子。かつて滝口の知人らが集まっていたパーティーで変死を遂げた女性である。この小説は事件となにか関わりがあるのだろうか?

三重露出

 翻訳者・滝口が過去の事件を追う現実世界のパートと、作中作『三重露出』のパート、この二つが交互に語られてゆく異色の構成。初期の都筑作品らしい実にトリッキーな作品である。
 最近では『カササギ殺人事件』というビッグネームがあるし、新本格系の作家にはちらほらあるようだが、作中作というネタを用いたミステリは決して多いわけではない。それはそうだろう。長編一作書くだけでも大変なのに、二作分を盛り込んだうえ、両者に重要な関連性を持たせなければ作中作というネタを用いた意味がない。そこには単なる作中作というアイディアだけではなく、おのずとメタ・ミステリというものに対するアプローチも生まれるわけで、都筑道夫はその点も抜かりはない。さまざまなミステリのネタやパロディ要素を盛り込み、加えて当時の翻訳やミステリに関する裏話までぶちこんでくる。
 そういう意味において、本作は既成のミステリに対するチャレンジともいえるわけで、1960年代の初めにこういう試みをした都筑道夫はさすがとしか言いようがない。

 ただし、その試みが成功しているかというと、ここはなかなか難しいところだ。特に弱いのは作中作のパートと現実世界のパートの関連が薄いところである。両者を結ぶ糸は“沢之内より子”という人物しかないのだが、それが終盤までそのまま流れてしまうのはいただけないし、自分が何か読み落としているのかと思ったぐらいあっけない。
 もうひとつ気になるのは両パートのバランスの悪さか。ぶっちゃけいうと作中作のパートがあまりに弾けすぎていて、現実世界のパートが霞んでしまっている。
 一応はスパイ小説だが、その方向性は007と山風の忍法帖をあわせたうえで、よりユーモアとお色気をパワーアップさせたような内容。これが実にバカバカしいのだがたまらなく面白い(笑)。
 その面白さが現実パートで急にぶった切られてしまい、このつながりの悪さ、バランスの悪さが消化不良を起こしてしまう。

 というわけで、個人的には先に書いたようにチャレンジ精神をこそ評価したい作品だが、今、人にオススメできるかどうかとなると微妙なのも確か。そんな作品である。


都筑道夫『死体を無事に消すまで』(晶文社)

 ちんたら読んでいた都筑道夫のミステリー評論集『死体を無事に消すまで』を読了。
いやー、さすがミステリー界きっての論客と申しますか、本当にためになる一冊である。切れ味の鋭さはもちろんだが、平易な文章でこれを表現できるところがすごい。

 内容としては大きく三つのテーマに分けられている。ミステリー総論とでもいうべき第一部、書評メインの第二部、昭和初期の作家を扱った第三部である。
 個人的な興味によるものだが、最も参考になったのは第三部「久生十蘭」や「林不忘」での捕物帖に関する記述である。こっちが知らないだけで実は常識なのかもしれないが、有名な捕物帖を挙げてその位置づけや意義、流れなどが解説されており、かなり胸のつかえがおりる。これだけでも本書は忘れられない一冊になりそうだ。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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