佐賀潜の『華やかな死体』を読む。著者は元検事、元弁護士という経歴を生かし、ひと頃は小説、ノンフィクションを量産する人気作家の一人であった。本作は江戸川乱歩賞の第八回受賞作でもあるのだが、このときの面子がすごい。同時受賞となった戸川昌子の『大いなる幻影』をはじめとし、そのほかの候補作が四作。その中には天藤真の『陽気な容疑者たち』、塔晶夫(中井英夫)の『虚無への供物』もいるという豪華さである。乱歩賞史上でも屈指の激戦だったらしいが、それを勝ち抜いたのが佐賀潜である。ただ、それから六十年近くが経とうとしている現在、佐賀潜はほぼ忘れられた作家になってしまった。
恥ずかしながら管理人も佐賀潜を読むのはこれが初めてだが、やはりこの時代の乱歩賞作家は押さえておきたいと手に取った次第である。
こんな話。大手食品会社の社長が自宅で死体となって発見される。死因は青銅の花瓶での一撃によるもので、どうやら殺害される前に女の訪問者があったのではと推測された。市川署に千葉地検の少壮検事・城戸も加わり、さっそく捜査が開始されるが、城戸が気になったのは死体の上に散らされた白菊と曼珠沙華であった……。

うわ、これはまたいろいろな意味で想像以上。ケレン味一切なし、前半は警察&検察の地道な捜査、後半はガチの法廷ものですやん……。
とにかく捜査や法廷シーン、また検察機構や検察官の内情や心理などが実に丹念に描かれ、そちらへの興味はたっぷりと満たしてくれる。もちろん著者の経験が活きているところだが、若手検事の出世に対する感覚、正義に対する現実的な妥協、法権力に対する認識など、当時と今でもはかなり違いもあるだろうし、そういう意味でも興味深い。まあ、著者のフィルターも入っているので、その点は考慮しておく必要はあるだろうけれど。
とはいえ、本作が刊行された昭和三十七年にこれだけ綿密に検察機構や法廷を描写をする小説は少なかったはずで、加えて当時は松本清張が大流行し始めた時期でもあるので、こういう作風が好評を博したことは理解できる。
その一方で、とにかく地味すぎる作風は辛いところだ。資産家が殺されたとはいえ、その背景は痴情などが中心となっており、なんというか物語に広がりやドキドキ感がない。
そんな事件を主人公の若い検察官が追うわけだが、この検察官も真面目なのはいいが、あまりにアクがなく、むしろ検事には似合わない気弱なタイプ。野心もないことはないのだが、同じ程度に弱さも感じられ、いまひとつ捜査にキレがないのが物足りない。
ただ、先に書いたように検察機構や法に対する描写は丹念だし、それらの描写を通じて著者の法に対する思いはひしひしと伝わってくる。特にラストなどは決して後味がよいとはいえないのだが、そこにこそ著者の強いメッセージが込められているといってよいだろう。
地味なストーリーに地味な主人公、人によってはこの辺がネックかもしれないが、個人的には十分楽しめる一作であった。