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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

有馬頼義『殺意の構成』(新潮社)

 有馬頼義の『殺意の構成』を読む。有馬作品はとりあえず高山検事と笛木刑事の三部作を読めたので、憑き物が落ちた感じだったのだが、くさのまさんからのコメントで本書を薦められて手に取ってみた次第。

 こんな話。父を戦争によって失い、小倉で母の加代と暮らす高倉高代。そんな高代の元へ、彼女の遠縁にあたる幼馴染み・矢元春和が復員して姿を現した。春和には出生前に久留米で結婚した愛子という妻がいたが、愛子は子供の頃の怪我によって知的障害を持っており、流れで結婚してしまったが、もう一緒には暮らしたくないのだという。高代と春和はそのままずるずると関係を持って、二人で東京へ出ることになる。
 当初は順調であった。友人を頼り、工場を買い取って始めた春和の事業も軌道に乗った。小さいながらも一軒家を買い、母親の加代も呼び寄せて同居することになった。加代はすべて娘夫婦の世話になるのは申し訳ないと、鍼灸の資格をとり、自宅で開業した。
 そんな生活が春和の事業の不振で、徐々に歯車が狂い始める。春和は加代が密かに持っていた戦争手当や実家の売却金を借りようとするが断られてしまい、なんと愛子の財産を狙って、久留米に暮らしていた愛子を東京に呼び寄せたのである。
 一つ屋根の下、春和、高代、加代、愛子という四人の奇妙な同居生活が始まった……。

 殺意の構成

 これはかなり強烈な一冊。一応は犯罪も起こるのだが、ミステリとしての要素は最低限備えているかどうかといったところで、その味わいは心理小説や純文学に近い。
 大きな展開はほとんど起こらないのである。登場人物も上記の四人でほぼ足りる。加えて物語の舞台も彼らが暮らす家の中がほぼすべて。その中で彼らを取り巻く外部の状況が少しずつ変化し、意識や心情に影響を与えていく。
 事業がうまくいかず堕落していく春和、母としての立場を守りつつも遅まきながら女としての喜びに目覚める加代、知的障害がありつつもどこか本能で身の守り方を心得ているような愛子、なんだかんだで好きなように行動する三人に振り回され、自分は古い因習や家族制度に囚われて徐々に気力を失っていく高代。
 四人の日々の暮らしが、悲劇へのゆっくりした歩みでもあり、すなわち題名にもある「殺意の構成」されていく過程である。楽しめるかどうかはかなり個人差があるだろうが(苦笑)、読みどころまさにその部分にある。

 くさのまさんからは「フレンチミステリを思わせる」というご紹介もあったのだが、確かに上で挙げたような要素やテイストはまさにフレンチミステリに当てはまる。特に河出書房新社で一時期刊行されていたシムノンの〈本格小説シリーズ〉に近いものを感じる。
 ただし、フレンチミステリがどこか一発芸的なあざとさも持っているのに対し、本作はケレンのかけらもない。真綿で首を絞めるような本作のストーリーはどちらかというと日本の私小説のようなイメージでもあり、個人的には島尾敏雄の『死の刺』もちょっと連想した。

 万人におすすめ、とは言い難いが、上記のキーワードのいくつかに反応する人なら一読の価値はある。後味の悪さも含めて忘れがたい作品だ。


有馬頼義『殺すな』(講談社)

 有馬頼義の『殺すな』を読む。高山検事&笛木刑事コンビ三部作の掉尾を飾る作品。

 まずはストーリーから。笛木刑事は近所に住む顔見知りの植木屋・杉山のことが気になっていた。酒が弱いはずなのに朝から酒を飲み、しかもひと懐っこいはずの彼が自分を避ける素振りを見せたからだ。調べてみると杉山が出入りしている鹿村家の娘が一週間、幼稚園を休み、明日から幼稚園に復帰するという日曜の朝、杉村は鹿村に酒をご馳走になったことがわかる。
 そんなとき高山検事のもとに匿名の手紙が届いていた。そこには鹿村の娘が誘拐され、多額の身代金を払ったことが記されていた。高山は鹿村家の調査を笛木刑事に命じるが、同時にひとつ気になることがあった。この誘拐事件が連続するのではないかと考えたのだ……。

 殺すな

 高山検事と笛木刑事のシリーズ三作に共通するのは、何気ない出来事がきっかけで事件らしきものの存在が浮かび上がり、そこから調査の結果さらなる疑惑や謎が生まれ、その積み重ねで最終的に大きな事件の真相が明らかになるという構造だろう。
 本作では「酒の弱い植木屋が朝から酒を飲んでいる」というのが発端だし、『四万人の目撃者』では野球選手の試合中の死亡である。『リスとアメリカ人』では医師の失踪、発砲事件、ペストの発生という三つの大きな事件がのっけから出てくるのでちょっとパターンは異なるが、そのつながりを調べる妙がある。

 そういった発端の面白さ、そして高山たちがそこからどのように真相にたどり着いていくかが、本シリーズの読みどころであり、本格というよりは警察小説の楽しみに近いかもしれない。どんでん返しやトリッキーな面は強くなく、いたって地味な作風なのでどうしても損はしているだろうが、謎そのものはなかなか面白いところを突いている。
 たとえば本作は一応は誘拐ものなので、本来なら身代金受け渡しの手口が一番の見せ場となるところ。しかし著者はあまりそこに執着しない。むしろ鹿村家の誘拐を告発した人物は誰か、鹿村が誘拐の事実を認めないのはなぜかという、どちらかといえば事件の外殻から掘り起こしていくイメージ。
 また、第二の誘拐事件において、高山検事が過去に起こった誘拐事件で、脅迫状の届くタイミングと方法を調べるよう命じるところは興味深い。数あるミステリでもこういうアプローチはあまり記憶にないし、大ネタではないのだけれど、目のつけどころは実に上手い。
 地味な作風と書いたが、本作においては山場に油井の火事をもってくるなど、サスペンスの高め方も悪くはないだろう。

 本作でもうひとつ楽しみだったのは、高山検事と笛木刑事の関係性でありキャラクターだ。『四万人の目撃者』ではぶっちゃけステレオタイプ気味の高山検事だが、『リスとアメリカ人』では関係者に対する気持ちで悩める検事となり、本作では何かが吹っ切れたように正義と法の番人という姿勢を貫く。そのために笛木刑事との間で決定的な出来事が起こり、老年に差し掛かった笛木刑事の悲哀を醸し出す。
 もちろん高山検事が冷酷というのではなく、かといって人情たっぷりというわけではなく。仕事に対する矜持と人情との間で揺れ動く心の在りようというか。その結果、ハッピーエンドでもなくバッドエンドでもなく。このあたりのバランスが絶妙で、ミステリには珍しい、なんともいえない読後感であった。

 というわけで高山検事&笛木刑事の三部作、無事読了である。有馬頼義というとどうしても『四万人の目撃者』ばかり取り上げられるが、どうせ『四万人の目撃者』を読むのなら、これはぜひ三部作まで読み終えるべきだろう。いわゆる本格としての面白さからは離れるが一読の価値はある。


有馬頼義『リスとアメリカ人』(講談社)

 有馬頼義の『リスとアメリカ人』を読む。先日、読んだ『四万人の目撃者』に登場した高山検事と笛木刑事が再登場するシリーズの第二作。ちなみにこのコンビが登場する作品はもうひとつ『殺すな』があり、三部作となっている。

 まずはストーリー。銀座の一角にある古びたビルのなかに、政界の要人も頻繁に利用する深草診療所がある。建物こそ古いものの医療設備は最新、医師会の重鎮でもあった深草の評判は上々であった。そんな診療所にある夜、二人の男が現れ、診てほしい患者がいると、強制的に深草を車で連れ去ってしまう。
 連行先にいた患者を診た深草は愕然とした。それは紛れもなくペストの症状だったのだ。すでに深草を連行してきた男たちに感染している確率は高く、このまま彼らが行動すれば日本中が大惨事になる可能性もある。深草はその場から脱出しようとするが、無残にも射殺されてしまう……。
 一方、高山検事は深草が失踪したことを新聞記事で知る。自らも深草診療所を利用していた高山は気になったものの、笛木刑事が相談しにきた世田谷の発砲事件の疑い、そして新小岩でペストによる死者が出たことを知り、さまざまな対応を迫られてゆく。

 リスとアメリカ人

 『四万人の目撃者』のコメントでくさのまさんからオススメされたこともあって、さっそく読んでみたが、確かにこれはいい。
 検察・警察の地道な捜査という基本構造は『四万人の目撃者』とそれほど変わるわけではないのだが、今回は冒頭に深草医師の巻き込まれた事件を置くところがミソ。そのあと同時多発的に起こる医師失踪事件、発砲事件、ペスト騒動、読者にはこの三つにつながりがあることがわかっているわけで、そのつながりに高山検事らはどうやって気づくのかという興味が生まれ、ある種、変則的な倒叙ミステリのような面白さがある。
 ペストの感染ルートをたどる捜査についても実にスリリングだ。これはそれこそ最近の新型コロナウィルス騒ぎを彷彿とさせることもあって、題材そのものがセンセーショナルでよい。いわゆるどんでん返しやトリックとは無縁で、あくまで手がかりと推理を積み重ねる地味な本格ではあるのだが、そういう見せ方の巧さや素材の派手さによって、実に引き込まれる一冊となっている。

 なお、主人公である高山検事と笛木刑事のコンビだが、この二人の立ち位置というか設定が、前作とはやや趣の異なっている点は気になった。気になったといってもマイナスの意味ではなく、よりキャラクターを強く打ち出したという点にある。
 特に高山検事は前作ではわりと常識的な、悪くいうとややステレオタイプの人物だったが、本作では関係者への感情移入がしばしば見られ、悩める検事のイメージが強くなっている。笛木刑事もそんな高山に戸惑うようなところも見られ、そんな二人の関係性も読みどころといえる。
 本格好きのなかにはそんな要素は不要と感じている人も多いようだが、管理人的にはむしろ好ましく、そういう点でも本作は『四万人の目撃者』を超える出来といっていいだろう。


有馬頼義『四万人の目撃者』(中公文庫)

 昭和の古いところをぼちぼちと読み進めているけれども、本日は有馬頼義の『四万人の目撃者』。1958年の作品である。いうまでもなく有馬頼義は直木賞も受賞した中間小説の実力派作家。ミステリも多く残しており、本作では日本探偵作家クラブ賞も受賞している。

 プロ野球のペナントレースも終盤に近づく九月。セネタースの四番打者・新海清はスランプに陥っていたが、その日の試合で最近の不調を吹き飛ばすような快打を放つ。ところが球場にいた四万人の観客・関係者の目前で、三塁に向かっていた新海の体が崩れ落ち、そのまま息を引き取ってしまう。
 死因については心臓麻痺と思われた。だが、たまたま観戦に来ていた高山検事は、その死に釈然としないものを感じ、半ば強引に死体を解剖にまわすことにする。その結果、新海は毒殺されたらしいということがわかり、高山検事は笛木刑事とともに捜査を開始する……。

 四万人の目撃者

 著者の代表作でもあり、確かに読ませる。先日読んだ佐賀潜の『華やかな死体』もそうだが、本作でも検事が主人公。その検事と笛木刑事のコンビの地道な捜査がやはりストーリーを引っ張ってゆく。
 ただ、『華やかな死体』が徹底的に地味な印象を受けたのに比べると、本作は舞台がプロ野球、また、犯人側からの挑発なども盛り込まれるなどサスペンスの度合いも高めで、リーダビリティはこちらがかなり上である。

 しかし、それらの点も悪くないのだが、本作で一番注目したいポイントは別にある。
 それは通常のミステリと異なり、犯行の内容がはっきりしないまま、捜査が進んでゆくということ。たとえば毒殺らしいということはある程度確かだが、その毒の正体がわからない。毒がわからないので、どのような状況で毒が仕込まれたかもわからない。当然、犯人のアリバイも確かめようがない。犯人の動機もわからなければ、容疑者もかなりの段階まではっきりしない。中盤辺りまではそういう曖昧模糊とした状況に包まれている。
 登場人物もそう。新海の妻・菊江。新海の亡き後、チームの四番打者を期待される矢後選手。菊江の妹で矢後の恋人・長岡阿い子。戦時中に新海の部下であり、いまは新海の経営する喫茶店を任されている嵐鉄平。新海と知り合い、職を世話された保原香代。胡散臭い人物もそれなりにいるのだが、これがまた中盤過ぎまではどう怪しいのかがはっきりしない。
 要は事件そのものが存在したかどうかがはっきりしていない。高山検事はあることをきっかけに新海の死が他殺ではないかと怪しむのだが、これらの状況を果たしてどのように打開するのか、そしてそのために捜査や推理をどう積み重ねていくのか、そんな過程が読みどころといえるだろう。
 正直、ミステリとしては少々かったるいところもあるのだが、最後にあらゆる疑問が一本の線にまとまるところはよくできており、野球好きなら一層楽しめるはずだ。

 ・蛇足その1
 タイトルだけ見ると衆人環視の中での不可能犯罪みたいな感じもあるので、ついつい本格を期待してしまいがちだが、そういう作品ではないので念のため。

 ・蛇足その2
 本作は著者の代表作だが、残念ながら新刊で読めるものはないようだ。ただし、過去にはけっこうな数の出版社から発売されており、古本では容易に入手可能である。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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