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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

筒井康隆『筒井康隆、自作を語る』(ハヤカワ文庫)

 『筒井康隆、自作を語る』を読む。題名どおり、筒井康隆が自作について語ったインタビュー集である。
 もとは出版芸術社の〈筒井康隆コレクション〉刊行を記念し、複数回にまたがって行われたトークショーをまとめたもので(その後『ハヤカワSFマガジン』に掲載)、これに徳間文庫の〈テーマ別自選短篇集〉の巻末に付けられたインタビューを合わせて収録した一冊。
 今回の文庫化にあたっては、復刊ドットコムの〈筒井康隆全戯曲集〉の刊行記念インタビューを加えたほか、巻末の著作リストも短編集の収録作も網羅するなど、さらにお得感も増している感じである

 筒井康隆、自作を語る

 中身に関してはもう十分満足。
 作品の内容についてはもちろんだが、時代を追って、作品執筆の経緯や当時のSF文壇の様子などもふんだんに語られている。もちろんエッセイも多く書いている筒井のこと、すでに読んだエピソードも多いのだけれど、この期に及んでまだ初出しのネタがあったりして、小説に負けないくらい面白い。
 特に編集者から酷評されて、怒って原稿を川に捨てたエピソードは知っていたが、これも話を盛っただけで、実はちゃんととってあるようだ。しかも後に自分で読むと、確かにこれはダメだったとか(苦笑)。

 それにしてもよくこれだけ作品のことを憶えているものだと感心する。
 家族で作った同人誌〈NULL〉のあたりから話が始まり、その作品が乱歩の目にとまって商業デビューするのだけれど、これが昭和三十年代の頃である。まあ、逆にそういう古い時代のほうがよく憶えているらしいのだけれど、それにしてもついこの前に起こったかのような話しぶりである。
 さすがにお年のせいか固有名詞はかなり忘れっぽくなっているようだが(笑)、そういうときは本書の編者でもあるインタビュアーの日下三蔵氏がきっちりフォローを入れてくれている。ちなみに日下氏のそういう下調べというか、丁寧な仕事ぶりはアンソロジーでもよくお目にかかるが、インタビューでも抜かりがないようで、こちらも感心する。

 管理人の筒井初体験は確か高校性の頃。角川文庫の『幻想の未来』だったと思うが、それ以来のファンである。ここ数年の新刊はやや追えていないのだが、それでも著作の九割は所持読了済みのはずだ。
 初期の作品も好きだが、個人的に特に衝撃だったのは『虚構船団』から始まった一連の実験小説である。同時にエッセイなどでシュールリアリズムやマジックリアリズムの作品の存在を意識するようになり、当時は変な小説ばかり読んでいた気がする。ガルシア=マルケスなんかもそのおかげで読んだんだよなぁ。
 ただ本書のインタビューによると、筒井自身のなかでは『虚人たち』で実験小説自体の憑きものが落ちたそうだから恐れ入る。

 ともあれ筒井康隆のファンであれば必須の一冊。これを読まない手はありません。最後に個人的に好きな筒井作品をいくつか挙げておこう。どれも傑作です。

『家族八景』
『大いなる助走』
『虚人たち』
『虚航船団』
『文学部唯野教授』
『残像に口紅を』
『夢の木坂分岐点』
『パプリカ』
『富豪刑事』
『ロートレック荘事件』





筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』(新潮社)

 筒井康隆の『ダンシング・ヴァニティ』を読む。もう出てから四年ほど経つ本だが、これをなんで今まで読まずにおいていたのか、ちょっと自分を責めたくなるぐらい面白い本であった。

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 ストーリー的にはそれほど大した筋もない。美術評論家、渡真利が新書でベストセラーを出してから以後の暮らし、家族の様子を追う家族小説といった趣き。だが、これはほんとに大筋にすぎなくて、正直、ストーリーの意味など本書にはまったくない。いや、意味がないというよりは、小説の可能性を試すためのただの道具にすぎないといった方が正確か。
 というのも本書は筒井康隆お得意の、マジックリアリズムの技法を駆使した実験的小説なのだ。
 具体的にはストーリーのあるパートが作中で繰り返し語られ、それが微妙に変化していくスタイル。
 まるで壊れたレコードのように(という喩えが今の若い人にわかるのか?)同じエピソードが語られ、ただ、その度に細部は少しずつずれていく。つまり主人公に起こり得る可能性がある出来事を、パラレルワールドあるいは主人公の深層心理として描き、体験させてくれるのである。初めて筒井作品に接した人なら混乱は必至。古いファンならさしずめ『夢の木坂分岐点』などを思い出したのではなかろうか。

 ただ、上でもっともらしくパラレルワールドやら深層心理やらと書いてはみたが、それらの解釈があたっているかどうかは不明だ。メタ小説であることは間違いないが、むしろ管理人が思い出したのは、筒井のこれまでの小説ではなくて、いまプレイ中のテレビゲーム『真かまいたちの夜』なのである。
 アドベンチャーゲーム、特に物語の分岐をプレイヤーが選択することで展開が変わり、それを楽しむスタイルのサウンドノベルというこのジャンルのゲームは、まさに筒井が本書でやっていることに他ならない。もともと筒井本人もゲームに対しては理解が深く、通常の小説ではありえない形――物語のやり直しをそのまま現実に移したらどうなるか、ということを試したとしてもまったく不思議ではない。
 とりあえず読む人を選ぶ一冊ではあるが、好きな人には徹底的に喜ばれること間違いなし。最初はとっつきが悪いかもしれないが、慣れてしまうとこれは中毒性が高い。

 驚くべきは、これを書いた当時の筒井が七十三歳だったということ。いやもちろん七十代でも小説は書けるが、こういう実験小説はそうそう書けんよなぁ。どんだけ意欲的なんだか。まあ、意外にこういう作品の方が本人には楽なのかもしれないけど(笑)。


筒井康隆『漂流 本から本へ』(朝日新聞出版)

 かつて朝日新聞の日曜版に掲載されていた筒井康隆の『漂流 本から本へ』が、一冊の本にまとめられた。そのほとんどは既読のはずだが、連載当時から気に入っていたこともあって、書店で見かけて即購入。

 漂流 本から本へ

 内容は著者の半生を追いながら、その当時に読んでいた本を紹介するといったもので、要は自伝+書評といったスタイル。新聞の連載だから一回ごとの分量や掘り下げ方はそれほど大したものではないのだが、あらためて読んでみるとやっぱりこれが面白い。
 なんせ筒井康隆自身が感銘や影響を受けた作品を、幼少のころから遡って順次紹介しているのだ。採り上げられている作品も「のらくろ」や「少年探偵団」に始まり、つげ義春、クリスティ、マルケス、ハイデガーと非常に幅広い。筒井康隆がどういうふうに作家としての資質を伸ばしていったのか、あるいは作家として成長していったのか、その軌跡をものすごーく表面的ではあるが追体験できる次第。いわば「筒井康隆の作り方」を自ら解説しているようなものなのだ。

 もともと筒井康隆は小説家にしては珍しく、書評や評論も積極的にこなす人である。こういうエッセイ風味の濃い書評は、まさに独擅場。加えて連載のときにはそれほど強くは感じなかった自伝的な部分も、まとめて読むことでより浮かび上がってくる。
 個人的には南米のマジックリアリズム系など、筒井康隆のエッセイがきっかけで読んだ本も多い。そんな筒井作品との出会いまでも思い出せるわけで、これはもう筒井ファン必携の一冊と言ってよい。


筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋)

巨船ベラス・レトラス

 本日の読了本は筒井康隆の『巨船ベラス・レトラス』。
 本作は現代の文壇を舞台にした実験的小説であり、こう書くと察しのいい筒井ファンならすぐに『大いなる助走』が頭に浮かぶところだろうが、確かに縦軸としては作家を主人公にして現代の文壇や出版業界を徹底的に揶揄してはいるものの、そこにお得意のメタ・フィクショナルな構造をもちだしきて様々な文学論を幾重にも重ねてゆくのは『文学部唯野教授』や『虚構船団』あたりがかえって近いのかもしれないと思わせ、さらにはその矛先が書店や読者にまで向けられるにいたっては読者たるこちらまでが内心ヒヤヒヤとしながらも、齢七十を越えて意気軒昂たる筒井の姿勢に驚嘆するばかりとなり、最後には作者本人までが登場して無断出版事件を暴露してしまうところなどは実に拍手喝采。
 とはいうものの三十年以上も筒井作品を読んできた身にはこれぐらいの描写はすでに馴染みのものであることもまた確かであり、むしろ80~90年代にかけてはこれ以上の過激さと驚きがあったものだと振り返ることもしばしとなるわけで、齢七十を越えてこれだけの作品を書けることには感嘆しつつも、意外なほどの読みやすさは昨今の若い読者を意識してのことか、もしかすると作中でいみじくも村雨澄子が語っているように、一般読者の啓蒙を口実に過去の実験や冒険をより楽な作業で繰り返しているのではないかとげすの勘ぐりも生じないわけではない。ただ、これすら筒井の思うつぼであり企てであるとする可能性も高く、誤読は読者の自由であると胸を張りきれない気持ちもあるのである。


筒井康隆『壊れかた指南』(文藝春秋)

 映画の『ダ・ヴィンチ・コード』を観る。もちろん人気はあるのだろうが、上映館が多いせいか(立川だけでも3館)、前の方にはちらほら空席も。
 内容は原作をがんばって再現している感じだが、さすがに二時間半に詰め込むには無理があるのか、説明不足&飛ばしすぎなところが多々ある。原作を読んでない人は本当に暗号解読やストーリーの流れについていっているのかどうか、人ごとながら不安になる(笑)。
 まあ、期待しないで本当によかった(笑)。

 読了本は筒井康隆の『壊れかた指南』。ここ数年の作品を集めた短編集。
 昔の筒井康隆を彷彿とさせる、ちょっと懐かしいタイプの短編ばかりで、実に安心して楽しめた。ただ、こんな感想は、たぶん作者にとっては嬉しくないのかもしれない。常に新しいことを模索する作家さんだし。
 マイ・フェイバリットは「耽読者の家」。読書の楽しさと素晴らしさをこれだけ見事に伝えてくれる話ってそうそうないぞ。しかも優れた書評本にもなっているのがミソ。


筒井康隆『銀齢の果て』(新潮社)

 以前ほど漫画は読まなくなったのだが、それでも発作的に読みたくなることもあるもので、先日、二ノ宮知子『のだめカンタービレ』をまとめて買って一気に読んでしまった。これは面白いわ。会社の若い連中に勧められたのだが、クラシック界という設定もいいが、それよりもストーリー性とほのぼの感とギャグのバランスが絶妙。絵はあまり上手くないが、それすらも味に思える。

 筒井康隆『銀齢の果て』を読む。内容は老人版『バトル・ロワイヤル』といった趣だが、もちろん只のパロディなんかではなく、筒井氏お得意のブラックジョーク&スラップスティックが超満載。高齢化社会、老人問題等に対する問題提議と書くのは簡単だが、ある町内を舞台にとって、日本が抱えるあらゆるタブーを詰めこんだかのような徹底振りは凄まじいの一語。そのくせ以前にはあまり書かなかったヒューマニズムをちらちらっとのぞかせるあたりも巧い。
 正直、ここ数年の作品を読むにつけ少し物足りない思いをしてきたが、これは文句なし。強烈な描写と内容ゆえ、万人にお勧めできる作品ではないだろうが、だまされたと思ってとりあえず読むべし。


筒井康隆『笑犬樓の逆襲』(新潮社)

 相方と友人夫妻の4人で食事。旦那がフリー編集者で、一昨年に自分で会社も興し、自社の出版物も作っている。自社での発刊はまだ少ないが、意外に幅広いコネクションを持っていて、売れ筋の著者を起用して確実に版も重ねているようだ。本人にしてみればある程度の勝算はあったと思うが、会社を起こすと決めたときはさすがに奥さんが焦ったとのこと。まあ無理もなかろう。とにかく頑張っているやつと話をするのは楽しい。

 筒井康隆『笑犬樓の逆襲』を読む。
 先頃終刊した「噂の真相」で連載していたものをまとめたエッセイ集だが、やっぱりおもろい。正直、最近は小説の方で物足りない思いをしていたのだが、エッセイ集はやはり抜群である。特に文学に関しては相変わらずのキレの良さ。
 ただ、断筆後と断筆前では怒りのレベルが違うので、その辺は少しパワーダウンしているかも。また、若い頃に読んだときは筒井節をそのまま鵜呑みにしていたようなところもあったのだが、こちらもこの歳になるとさすがにいろいろとものを考えるようになったためか(笑)、それは違うんじゃないかと思えるところもある。まあ、本書は正論を知るための本ではなく、筒井康隆という作家の思想・技術・芸を味わうための本だと思っているので、全然かまわないのだが。
 とにかく十分に楽しめることは請け合いの一冊。役者稼業をいったん休んで、また大作に挑んでほしいな。


筒井康隆『ヘル』(文藝春秋)

 本屋をのぞくと、筒井康隆の新刊『ヘル』を目にする。おお、久しぶり。その他にもクリスティ全集や平林初之輔、横溝正史の新刊などと一緒に(この面子で新刊というのがすごい)どさっと買い込んで、とりあえず『ヘル』は一気に読む。

 『ヘル』。まずは堪能。
 久々に筒井康隆らしい作品を読んだ気がする。ほとばしる言葉の奔流、現実と虚構の狭間、本能と理性の境界……。作者が過去に発表した傑作群を想起する作品である。しかも作者はここでさらに歩を進め、生と死の狭間までを通り越そうとしている。現実と虚構の狭間で行ったり来たりした作品は数々あれど、作者はさらに歪みを加え、生命や時間も同時進行でツイストさせる。

 ところで最近の著者の作品を読むにつけて感じるのは、温かなまなざしである。これはかつての筒井ワールドにはあまり感じられなかった類の印象。何となく、あくまで何となくだが、これは著者の「老い」に関係しているような。


筒井康隆『小説のゆくえ』(中央公論新社)

 久しぶりに筒井康隆の新刊を買う。『小説のゆくえ』である。
 ここ数年のものは軽い内容のものばかりで、正直、読む気がしなかったのだが、本作は違う。雑文集とはいいながら、けっこう手応えのある文学論、先だって刊行された訳書の『悪魔の辞典』などにまつわる話も収録されているので、読み応えはかなりのものである。快刀乱麻のごとき筒井氏の筆先が久々にうなるのを見た感じ。

 ただし、断筆宣言後に綴られたエッセイやらをすべてまとめているので、同じ様な内容の話が頻出するのはいただけない。おそらく内容が被るのは承知のことだと思われるが、そこにどれほどの意味があるのだろう? 筒井氏それとも編集側の意向? この点だけが気になった。


筒井康隆『愛のひだりがわ』(岩波書店)

 世間ではひな祭りらしいが、一切関係なし。久しぶりの連休でひたすら資料を整理したり、持ち帰った仕事を適当にこなしたり、犬と散歩したりしてぐだぐだ過ごす。

 本日の読了本は、筒井康隆『愛のひだりがわ』。
 うー、つまんなくはないのだが、最近の作品とはもう波長が合わなくなってきた気がする。ツツイストとまではいかないが、彼の著作と出会った高校生の頃から、二十年以上もファンとして読み続けてきたんだけどなぁ。

 ストーリーはシンプルだ。左手が不自由だが、犬と話せる不思議な能力を持つ少女、愛。彼女は父を捜して旅に出る。もちろんまだ幼い少女のこと、危険な目に直面したりもするが、不自由な左手をかばうかのように、彼女の左側には常に誰か守ってくれる人がいる。

 『愛のひだりがわ』はジュヴナイルの形で書かれた少女の成長の物語だ。しかし作中で描かれる事件などを考えると、明らかに大人の読者を対象にしたものだろう。こういう言葉を使うのは嫌だが、いわゆる癒し系の物語で浄化作用は高い。
 ただ、作者がどれだけ狙っているのかわからないが、この類の話なら、別に筒井康隆でなくてもよいのではないか? 特に前半では執拗ないじめ場面が展開されるので、これがさらにエスカレートしていくのではないかと想像してしまってイヤーな気分になるのだが、だからこそ筒井文学に触れる価値がある。ところが後半はすっかりまとめに入っていき、見事な大団円を迎える。

 以前、筒井氏が宮本輝の作品について感想を書いたのを読んだことがある。そのとき筒井氏は、小説としては大変楽しめるが、新しく得るものがないので今更こういう小説は読む気がおこらない旨を記していた。わたしも『愛のひだりがわ』にそれと同じ感想をもった次第。普段、あまり読書をしない人なら、かなり楽しめるのだろうけど。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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