エイドリアン・マッキンティの『ザ・チェーン 誘拐連鎖』読了。
上巻では「チェーン」、すなわち子供を誘拐された親が次の誘拐を自分たちで成功させないと子供が帰ってこないという誘拐システムに取り込まれた主人公の姿を描いていたが、下巻では「チェーン」を管理する犯人の正体、そして主人公たちの反撃を描いている。

結論からいうと、個人的にはいまひとつ乗れなかった。
理由はいろいろあるのだが、根本的なところは誘拐システムというアイデアに無理がありすぎるところか。
確かにアイデアとしては面白いし、ストーリーもスリリング。まあ、客観的にみれば受ける作品だとは思う。本書の解説にもあるとおり、著者はそれまで書いていたショーン・ダフィ・シリーズが評価されている割にはまったく売れず、作家廃業というところまできていたようで、そこにドン・ウィンズロウやエージェントのアドバイスを受け、最初からヒット狙いで書いたのが本書だという。
その結果としてハリウッド映画的な味つけ濃厚な一作に仕上がったのだが、アイデアありきが強すぎて、そのほかのいろいろな部分がおざなりになっているというか。
詳しく見ていくと、まずはチェーンというシステムがそこまで上手く回らないだろうという点。脅迫と恐怖という二重のストレスにさらされている一般人が、果たしてここまで誘拐を完遂できるだろうかという素朴な疑問である。実際、作中の登場人物たちも幾度となくポカをしており、その手段はあまりにも危うい。一回や二回ならまあ何とかなるかもしれないが、何十組の親たちが誘拐に成功するとは到底思えない。チェーンにもう少し説得力を持たせてほしかったというのが率直なところである。
また、登場人物たちが幾度となくポカをしているのにもかかわらず、そこはかなりのご都合主義で乗り切るのも個人的には興醒め。エンターテインメントとして、これぐらいのご都合主義はまあ許容範囲ではあるのだけれど、ネタがシリアスなだけに、ハリウッド映画レベルの展開はちょっと違うのではないかと感じる。
これは誘拐犯であり被害者でもある人々はもちろんだが、チェーンの管理者たちも同様だ。これだけのシステムを運営している割には意外に脇が甘い部分もあり、このレベルでこれだけの犯罪を維持してきたことが疑問である。
最後は子供の扱い。被害者として子供を扱うなら、やはりそれなりの覚悟と信念をもって、しっかりしたテーマのもとで掘り下げて描写してほしい。あくまで個人的な見解ではあるが、ミステリはあくまで娯楽なので、単に話を盛り上げるためだけに子供をダシに使ってほしくない。本作はその意味でバランスが崩壊している。
ということで繰り返しにはなるけれども、本作は着想自体は素晴らしいし、上手い作家だとは思うのだが、上記の点で無理や納得できないところがあり、常に不愉快な読書となってしまった。ネットの情報をみるとショーン・ダフィ・シリーズは真逆な雰囲気でもあるので、できればそちらも試してみたい。