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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

エルザ・マルポ『念入りに殺された男』 (ハヤカワミステリ)

 エルザ・マルボの『念入りに殺された男』を読む。ストーリーが面白そうなフランスミステリというので気になっていた作品である。まずはストーリー。

 フランスはナント近郊の村で、教師の夫、二人の娘と暮らすアレックス。かつては小説家を志したこともある文学好きな彼女だが、いまはごく少人数を相手にするペンションを経営していた。そこへある日、小説家のシャルル・ベリエが客として訪れる。
 家族はベリエとすぐに打ち解けたが、あるときアレックスはベリエにレイプされそうになり、抵抗した勢いで彼を石で殺害してしまう。家族との幸せな生活を守るため、アレックスは決意した。ベリエの死を隠し、彼が他の誰かに殺されたように見せかけるのだ。アレックスは身分を偽ってパリへ向かい、偽装工作に挑戦する……。

 念入りに殺された男

 フランスミステリといえば英米とは一味違う独自のテイストでよく知られている。お国柄もあるのか人間や社会の暗黒面を掘り下げていくものが好まれ、特にサスペンスや犯罪小説に傑作が多い。ただ、近年は以前に比べると随分英米のミステリとの違いがなくなってきたように感じていたのだが、本作は久しぶりにフランスミステリらしいフランスミステリであった。

 注目すべきはやはりそのストーリーだろう。基本的には倒叙ミステリなのだが、いわゆる本格ミステリとしてアプローチする倒叙とは趣が異なる。例えば刑事コロンボに代表されるような本格系の倒叙では、探偵側がいかに犯行を見破るか、いかにして犯人を追い詰めるかというところに興味の中心が置かれている。もちろんその場合の手段はあくまでロジックが重視される。
 一方、本作は徹頭徹尾、アレックス=主人公たる犯罪者から見たストーリーになっている。興味の中心はあくまで完全犯罪を成し遂げる過程におけるスリルやサスペンスにあるのだ。しかも本作の場合、アリバイ工作とか証拠隠滅というようなものではなく、自ら犯した犯罪の身代わりとなる犯人を見つけなければならない。サスペンス重視の倒叙、身代わりの犯人を見つけ出すというストーリーはそこまで珍しくないし、必ずしも身代わりを見つけることに固執する必要もないはずだが、主人公がなぜこういう方法を選んだか、どうやってそれを成功させようとするのか、そういった興味が謎解きに通じる面白さはある。
 ちなみにこの手のストーリーの代表といえるのが、パトリシア・ハイスミスの傑作、『リプリー』(というより旧題『太陽がいっぱい』の方が遥かに馴染み深い)だろう。別人になりすまし、犯罪を成功させるという試行錯誤がスリリングに描かれていた。

 さて、ストーリーは特徴的だけれども、それだけではフランスミステリらしいとはいえない。ここにもう一つ重要な要素、犯罪者の心理描写をしっかり盛り込む必要もある。基本となるのは犯罪へ至る心の流れなのだが、それに誤った倫理観だったり、犯罪がバレることへの不安や恐れだったりが加味され、物語に大きな味わいを提供するわけである。
 本作を際立たせているのはまさにその点だ。主人公アレックスは文学を志したこともある女性だが、その感受性の強さからか、文学に打ち込むあまり心身のバランスを崩し、今でもその影響が残っている。アカの他人と話すことすら避ける彼女が、むしろ積極的に関わっていかなければならない展開に、アレックスならずとも息が詰まりそうになるだろう。
 しかし、それを彼女は克服してゆく。アレックスは他人に対応するため、いつしか自分の中にいくつもの人格を生み出すのだ。しかもそれによって秘められた才能を開花させてゆく。ここが本作最大のポイントだろう。彼女の覚醒する過程がストーリーと見事に絡み、活かされ、グイグイ引き込まれてゆくのである。覚醒の中心にあるのが〈文学〉であり、それが彼女の武器となるのも愉しいところだ。

 と、ここで終わっておけば傑作といってもよいのだが、実はけっこう残念なところもある。基本的には、パリで別人として新たな生活を始めるという主人公の行動が、そこまで上手くいくのかということ。
 なかでも最大のネックは、一人で長期間パリに滞在するというのに(しかも理由を言わずに)、夫や娘についての言及がほとんどないことだ。一応、夫はアレックスを探しにくるのだけれど、難なくアレックスにうっちゃられる始末でなんとも悲しいかぎり。こういうのをあまり気にしないのも、フランスミステリらしいといえばらしいのだが。

 ということで欠点も小さくはないが、基本的にはアイデアのインパクトと描写の巧さが上回る。フランスミステリのサスペンスの伝統を新しい器に入れたということで、オススメとしておきたい。



プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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