フランスのミステリ黎明期を支えた作家といえば、まずはエミール・ガボリオが思い浮かぶが、フォルチュネ・デュ・ボアゴベも忘れてはいけないだろう。しかし、現在の日本での両者の知名度を比較すると、ボアゴベはガボリオに比べてずいぶん分が悪いようにも感じてしまう。
まあ、調べたわけではないので単なる想像だが、ミステリファンとしては、やはり本格の系譜に入るガボリオの方を優先順位として高く見てしまいそうだし、また、ガボリアはルコックというシリーズ探偵を残している点もかなりポイントが高そうだ。
とはいえ、これらはあくまでミステリという範疇での話である。大衆小説というより広いジャンルで見れば、作品数の多さ、冒険とロマンスに主眼を置いたわかりやすい作風、『鉄仮面』という代表作が今でも講談社文芸文庫で手軽に読める点など、むしろボアゴベの方が、普通の読書好きの方には知られている可能性は高い。
実際、ボアゴベが広く紹介されるようになった明治時代では、黒岩涙香をはじめとする翻案小説の書き手がこぞって元ネタにしたのがボアゴベであり、当時の人気は凄まじかったようだ。
そんなボアゴベのミステリ作品『乗合馬車の犯罪』が、昨年、海外クラシックミステリ評論誌『Re-ClaM』の別冊として発行された。訳者は海外ミステリの研究・翻訳で知られる小林晋氏。ボアゴベの作風を考えるとちょっと意外な組み合わせだが、これはもしかすると相当捻った作品なのかと読み始めた次第。

こんな話。新々の売れっ子画家フルヌーズは、ある日、深夜の乗合馬車で偶然隣り合わせになった美女の変死に遭遇してしまう。その場の状況から自然死ではないのでは、と考えるフルヌーズは、友人の売れない画家ビノと推理を巡らせてゆく。そして、たまたま現場で拾ったピンが、実は猛毒を仕込んだ凶器であることがわかり、殺人の疑いはますます強まっていくが……。
残念ながら特に捻った作品というわけではなかった(苦笑)。まあ、そりゃそうだ、なんせ1881年の作品だから、そこまで期待しちゃいけない。しかし、ストーリー展開はシンプルながら実にスピーディーで、キャラクターもイキイキとしており、予想以上に楽しく読めるサスペンスだった。
今の目で見ると確かに粗は多い。解説でも触れていたが、とにかく「偶然」の多さは只事ではない。ただ、それらはストーリーを加速させるアクセルでもあり、全否定するのも野暮というものだろう。それよりはテンポよく転がるストーリーの流れに任せ、登場人物たちの「ああだこうだ」言っている姿を楽しむ方がよい。
登場人物の造形にも注目したい。ステレオタイプという見方も当然あるだろうが、大衆小説であるからにはある程度メリハリのついたキャラクターで読者にわかりやすく伝える必要はあるわけで、ましてや、それが雑誌や新聞でまず読まれることを考えると、極端な話、微妙な陰影などは不要ということもできる。ボアゴベはその点をきちんとわかっていて、ベタながら印象的なキャラクターを作り上げている。
まともな主人公の画家とその友人のヘボ画家、強い意思をもつ悪女とか弱いヒロインなど、対照的なキャラクターを要所で配置し、キャラクターの特色をより効果的に見せていて上手い。
ということでミステリとしての期待を脇に置いておけば、エンタメとしては十分に楽しめる一作。当時のパリの様子が詳しく描かれていることもあり、そういう興味でも楽しみのもまたよし。