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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

井上靖『殺意 サスペンス小説集』(中公文庫)

 井上靖の短篇集『殺意 サスペンス小説集』を読む。特にシリーズ名などを謳ってはいないが、マニアックな知られざるミステリを着々と出してくれている中公文庫の一冊である。まずは収録作。

「殺意」
「投網」
「驟雨」
「春の雑木林」
「傍観者」
「斜面」
「雷雨」
「二つの秘密」
「ある偽作家の生涯」

 殺意サスペンス小説集

 純文学系のミステリも最近はいろいろと知られてきているが、それでも井上靖のミステリというのは珍しい。ただ、三年ほど前だったか七月社から『井上靖 未発表初期短篇集』が出て、その中に探偵小説が少し入っており、これが初期作品だというのになかなかのレベルでちょっと驚いた記憶がある。
 本書はミステリではなく、あえてサスペンス小説集と銘打たれているのがミソで、広義のミステリとは言い難いものの、その味わいは確かにサスペンスだというものを収録しているのがポイントだろう。
 ミステリというジャンルにおいて「サスペンス」といえば、「不安や緊張によるアンバランスな心理状態を興味の中心とした犯罪小説」、みたいなことになろうが、つまりは緊張や不安の高まりを主軸とした小説だ。そう考えれば確かにサスペンスを書くことはミステリでなくとも可能である。初っ端の「殺意」や「投網」などを読むと、このあたりの感覚というか、編者の狙いがなんとなく理解できて興味深い。

 その「殺意」だが、これは比較的ミステリに近いのでわかりやすい。人間の誇りや尊厳というものに対する屈折した感情が知らず知らず積もっていき、それが爆発する瞬間を見事に表していて怖い作品だ。
 屈折度合いでは「投網」も負けてはいない。ストレスを高めるだけ高めておいて、最後にそれをすかすことで人間の負の感情について考えさせる。独特のモヤッとした読後感が印象深い。
 「驟雨」はもう少し複雑。帰省した少年は、近所の別荘に住む夫婦に可愛がってもらっている。しかし夫には愛人がいて、妻は知らぬふりをしている。ある時、夫婦と少年の三人でトランプをするが、妻は負けた場合は秘密を告白しようと提案する……。もう、このストーリーだけでやばい。

 とまあ、こんな感じで話自体はシンプルながら、それでいて独特のムードで読者にプレッシャーを与えてくる作品ばかり。解説にもあるとおり井上靖の作品は基本的に品があるため、そこまでえぐい感じはなく、素直に主人公たちの心の動きについて感じたり考えたりするのがおすすめだろう
 基本的にはどの作品も楽しめたが、やはり長いものの方が出来がよい印象。なかでも「ある偽作家の生涯」は、サスペンスという点では弱いが、ある贋作芸術家の生涯・正体を明らかにしてゆくという内容で滅法面白かった。おすすめ。


井上靖『井上靖 未発表初期短篇集』(七月社)

 『井上靖 未発表初期短篇集』を読む。井上靖がデビュー前に書いていた習作二十二篇が井上家から発見され、そのなかから小説六篇、戯曲一篇をまとめたのが本書である。文学的にはなかなかのビッグニュースなのだが、あいにく井上靖は中学生の頃に『あすなろ物語』を読んだぐらいで、そこまで興味はない。
 そんなダメ読者が、なぜ『井上靖 未発表初期短篇集』という少々マニアックなものをわざわざ読んだかというと、なんと中に探偵小説が含まれているからであります。

 井上靖未発表初期短篇集

I ユーモア小説
「昇給綺譚」
「就職圏外」
II 探偵小説
「復讐」
「黒い流れ」
「白薔薇は語る」
III 時代小説
「文永日本」
IV 戯曲
「夜霧」

 収録作は以上。デビュー前の習作とはいえ、この筆力はさすがである。探偵小説目当てで読んだものの、ユーモア小説も含め、当時の『新青年』や『宝石』等に載っていても違和感がないぐらいのレベルで非常に楽しく読めた。文章は非常に軽やかで、物語の膨らませ方もうまい。
 男女の恋愛を描いた戯曲「夜霧」に至っては習作というようなレベルを超えていて驚いたが、どうやら本作だけは未発表というだけで、他の小説より十年ほど後に書かれたものらしく、少し安心した(苦笑)。

 探偵小説のみ紹介しておこう。
 「復讐」は浮気された男が妻の不倫相手に復讐するという話で、その復讐方法が猟奇趣味に溢れ、まさに乱歩顔負けの一作。まさか井上靖がこんなものを書いていたとはという驚きしかないが、その後の作風を考えると、井上靖の趣味というよりは、当時人気のあった乱歩の作風にチャレンジしてみたというようなことではないだろうか。
 「黒い流れ」は飛行機トリックを使った犯罪を描くが、面白いのは犯罪が成功してから二転三転する構成である。「復讐」もそうだが、痴情のもつれに対しては意外と冷めた感じなのが興味深い。
 しかし、もっと興味深いのは「白薔薇は語る」である。本作は登場人物や設定こそ変えてはいるが、「黒い流れ」とトリックや事件の構図がほぼ同じなのである。さらに後のデビュー作品にも通じる部分は大きいらしく、井上靖は題材を何度も書き直し、推敲を重ねていたことがわかる。こういう創作の秘密を垣間見れる著作というのも珍しいし、本書はそういう意味でも探偵小説ファンにお勧めしておきたい。
 

プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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