リイ・ブラケットの『非情の裁き』を読む。帯の惹句が「ハードボイルド黄金時代の頂点に立つ伝説の一冊」とあり、まあ大きく出ているが、そんな名作がなぜ今まで翻訳されなかったのだという疑問もあり、読む前はちょっと眉唾な印象もあり。
とはいえ著者はビッグネームである。ミステリ作家というよりはSF作家、小説家以上に脚本家として成功しているのはよく知られているところ。処女長編の本作を読んだ映画監督ハワード・ホークスが、その出来に驚いてすぐにハリウッドに招聘したという逸話もあり、ハリウッドでは脚本家として『三つ数えろ』や『ロング・グッドバイ』などの数々の名作に参加した。遺作はなんと『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』の脚本である。
ちなみに夫はSF作家エドモンド・ハミルトン、また、レイ・ブラッドベリとも若い頃から深い親交があり、ブラッドベリはブラケットを「親友にして教師」とまで書いている。
読む前の情報量が多すぎて、期待と不安が入り混じる読書となったが、さあ、その出来は?
ロサンゼルスの私立探偵エド・クライヴは、密かに愛し合うクラブ歌手のローレルに、かつて結婚していた男から狙われているという相談を受ける。また、ローレルを通して旧友ミックに対する脅迫事件も依頼される羽目になる。
ところがミックと二人でローレルをアパートに送っていった夜、エドは何者かに襲撃されて気を失い、その間にローレルが殺害されてしまう。そして死体のかたわらには、ミックの血まみれのステッキが……。

まず絵に描いたようなベタベタの展開と描写に驚かされる。夜の街に生きるやさぐれた男女、情け容赦のない暴力、減らず口を叩くタフな主人公、スピーディーな展開などなど。ハメットやチャンドラー、ロス・マクドナルドのようなストイックなハードボイルドの世界ではなく、明らかにそこから派生したスピレインのようなコテコテのB級ハードボイルドの路線である。「ハードボイルド黄金時代の頂点に立つ〜」というキャッチコピーがチラリと頭をよぎり、序盤を読むだけでもう不安しかない。
しかしながら、その手際は実にお見事。確かにベタベタではあるのだが、とんがった登場人物たちが暴れ回るストーリーは非常にリーダビリティが高く、あっという間に引き込まれるのも確かだ。早いテンポで事件が連続し、主人公が適度にぶちのめされ、容疑者が現れては消えてゆく。一見、荒っぽい内容だが、構成は意外なほど緻密である。中盤を過ぎる頃になると「ハードボイルド黄金時代の頂点に立つ」かどうかはともかくとして、少なくとも出来は悪くなさそうだ。これを書いた当時、著者がまだ二十代だったというのもちょっとした驚きである。
そして何より驚かされたのが、ミステリとしてしっかりしたサプライズを用意していたこと。描写やストーリーは上手いが、それだけでは所詮、安手のB級ハードボイルドとしての面白さに過ぎない。著者は暴力の世界をただ上手に描いただけでなく、ミステリファンを唸らせるネタをきちんと盛り込んでいるのだ。さらに、その上でこの世界観ならではの決着をつけているのもさすが。
結論。不安半分期待半分で読みはじめたが、「ハードボイルド黄金時代の頂点に立つ伝説の一冊」は大袈裟としても、トップグループに食い込み一冊であることは間違いない。好き嫌いはあるだろうが、一度は読んでもらいたい傑作。