ディーパ・アーナパーラの『ブート・バザールの少年探偵』を読む。インドのジャーナリストとして、インドの貧困や教育、宗教紛争などの問題を取材してきた著者が初めて書いたフィクションである。
それだけでも十分に興味深い本ではあるが、もう一つトピックがあって、昨年、邦訳が出た時点では帯にMWA最優秀長篇賞にノミネートされていたと記載があったのだが、どうやらその後、見事MWA最優秀長篇賞を受賞したようだ。MWAが絶対というわけではないが、お墨付きとしてはなかなか強力で期待できそうだ。
ちなみにこの年はMWA最優秀長篇賞に六作がノミネートされており、そのうち既にリオチャード・オスマン
『木曜殺人クラブ』、クワイ・クァーティ『ガーナに消えた男』、アイヴィ・ポコーダ『女たちが死んだ街で』がハヤカワ文庫やポケミスで邦訳されている。さらには九月にキャロライン・B・クーニー『かくて彼女はヘレンとなった』もポケミスで発売予定だ。
ひと昔前までは邦訳も数年遅れが普通だったけれど、こういうところはずいぶん改善されているようだ。といってもすべて早川書房なので、他の版元が手を出さない理由が少し気になるけれど。ロイヤリティの問題なのか、はたまたスピード感等の問題なのか。どうなんだろう?

それはともかくとして『ブート・バザールの少年探偵』である。
インドのバスティと呼ばれるスラム街で、両親と姉の四人で暮らす九歳の少年ジャイ。ある日、クラスメイトの少年が行方不明になるが、もともと不法占拠した場所で暮らしているバスティの住人に対し、警察はまっく協力的ではない。それどころかあまり警察を煩わせると、スラム街ごとブルドーザーで撤去されることにもなりかねない。
家がなくなることを心配したジャイは、友人のパリ、ファイズと共に探偵団を結成。行方不明のクラスメイトを捜索することにしたが……。
すごいな、これは。
子供の目を通しているから表現は全般的にユーモラスで、殺伐とならないようフィルターはかけているのだが、描かれているインドの実態はとてつもなく悲惨である。こういう状況はドキュメンタリーやノンフィクションなどで一応知っているつもりだったが、フィクションとはいえ500ページを超えるボリュームでインドの状況を切々と描かれると、これはなかなかのダメージ。
上でも書いたように著者はそちら方面専門のジャーナリストだし、まさに今インドが抱えている問題をより広く知らしめたいと考え、ミステリという形を採用したのだろう。本書の肝はまさしくそこにあるし、その試みは十分に成功している。近年、インドについては数学に強いとか、ロシアとの関係だとかが強調され、大国のイメージが強くなってきているが、国民の大半は以前の暮らしのままであり、近代化が誰のためのものだったのか非常に考えさられる。
ただし、ミステリとしてはかなりの薄味である。
著者が元々ミステリとは関係ないところでの専門家であり、それを武器にミステリ作家としてデビューするケースは決して少なくない。ただ、その場合でも、皆さん、けっこうミステリという部分もしっかりと作り込んでくるのが普通だ。本作はそういうミステリ的部分を、潔くバッサリとカットしている。
なるほど一応は少年探偵ものという設定であり、彼らの調査活動がメインに描かれはするが、それはあくまで表面的にストーリーを回すためだけのものだ。そこにトリックはもちろんのこと、推理の面白さや真実が少しずつ明らかになるというミステリ的要素すらほぼない。ミステリを期待して読み始めた人も、投げっぱなしのラストにショックを受けるかもしれない。
だが九歳の子供の語りだからこそ大人には伝わりにくい事実がある。その子供ゆえ見えない真実が一体なんなのか、そこを推測するという魅力がミステリ要素に取って変わるのである。
まあ、そうはいっても一般的なミステリを期待していると、やはり肩透かしの感は拭えないだろう。
しかしながら、それは作品のせいというより売り方のせいもあるだろう。
確かにミステリ的には弱い作品ではある。そもそも著者は初めからガチガチのミステリを書くつもりはなかったのだろうし、昨今、この手のミステリとは言い難いミステリが増えているのも事実。
だから出版社には読者のことも考えて、売り方にはやはり配慮してもらいたいなとは思う。できれば本書もハヤカワ・ミステリ文庫ではなく、
『ザリガニの鳴くところ』のようにノンレーベルの単行本で勝負した方が良かったのではないだろうか。せっかくの良書なのだから、それを望んでいる読者にちゃんと届いてほしいなと思う次第である。