東京生まれながら、結婚後は夫の仕事の都合で福岡に転居し、福岡を舞台にした作品を数多く執筆したミステリ作家・夏樹静子。そんな彼女のガイドブックがこの三月に出ていたことをたまたま知り、慌てて書店で購入する。福岡市文学館などが中心となって編纂された『ミステリーの女王 夏樹静子と福岡』である。

■随筆 夏樹静子「福岡を、愛する。」
■「刊行に寄せて 真摯の人―夏樹静子、その多彩な作品の原点に迫る」山前 譲
■第1章 夏樹静子が歩いた街
・夏樹作品の中の福岡 博多駅/中洲/糸島/福岡空港/天神/城内~六本松/千代~馬出~箱崎
/若久~野間大池/西新~藤崎/室見~姪浜/西戸崎~志賀島
・MAP 夏樹作品と福岡
■第2章 写真で振り返る 夏樹静子クロニクル
・作家を夢見て/作家・夏樹静子の誕生/ベストセラーへの道
/次なる飛躍―海外翻訳/困難を越えて/新たな挑戦/ミステリーの女王
・岡本より子さん聞き書き「先生との出会いは、百貨店のYシャツ売り場」
・ゆかりの地
・深野治さんインタビュー「夏樹静子」がデビューした福岡時代
・エラリー・クイーンの俳句
■短編 「見知らぬ敵」
■随筆 「私の推理小説作法(抄)」
■第3章 夏樹静子と女たち
・夏樹ミステリー×現代女性史
・夏樹静子〈母と子〉の物語を読む―『蒸発』
■第4章 夏樹静子を語る
・「日本のクリスティ」の文業と功績」
・心優しきミステリー作家の素顔 岡崎正隆
・「椅子がこわい」の献辞は、宝物(マイ・トレジャー)
・戦後推理小説史における夏樹静子の作家的位置と国際性
■夏樹静子著作目録
目次を見ると大体の内容が理解できる。ミステリ作家・夏樹静子の作品を語る上で、大きなキーワードになるのが「福岡」と「母」、「女性」といったところであろう。社会派というイメージはそれほどないけれど、夏樹静子は常に社会問題に目を向け、作品にそれが生かされている。その時々でテーマは異なるだろうが、そういった時事的なネタとは別に、常にベースにあるのが「福岡」であり、「母」であり「女性」なのだ。
本書はそうした夏樹静子の特性を、さまざまな題材を通して紹介している一冊である。
とはいえ、そこまで難しいものではなく、あくまでガイドブックである。アプローチはわかりやすく、写真もかなり豊富に収録されており、夏樹静子という作家の全体像、人柄を理解するには十分な内容と言えるだろう。個人的にはエラリー・クイーンの片割れ、フレデリック・ダネイとの交流について書かれた記事やダネイの手紙などが興味深かった。昔、雑誌『EQ』でもそういう記事をよく見たが、考えるとここまでクイーンと親交があった日本人作家って他にいないのではないか?
惜しむらくは作家・夏樹静子についてのガイドブックとしては満足できるのだけれど、ミステリ作家・夏樹静子のガイドブックとしては、少々物足りないところもある。
たとえば作風の変遷であったり、分類であったり、全作品をミステリ的に俯瞰した解説、ボリューム的にもそこそこしっかりした解説が一つぐらいあった方がよかった。「夏樹静子著作目録」があるのはありがたいが、それと関連し、さらにはミステリ的理解を助けるような解説である。
管理人が知るかぎり、本書は夏樹静子についての初めてのガイドブックであり、良書であるとは思いつつ、そこだけ注文をつけておきたい。将来的に改訂版など作る機会があれば、ぜひ期待したいところである。
なお、夏樹静子自身の著作も短編と随筆が一つずつ載っている。短編「見知らぬ敵」は夏樹静子名義で初めて雑誌に発表した作品であり、かつ、福岡に転居して初めて書いた福岡を舞台にした作品という記念碑的な作品。
もちろん記念碑的な意味だけではなく、作品そのものも上質である。交換殺人ネタをさらに捻った形にしており、ラストでいつの間にか主役に躍り出る美也子にハッとさせられた。
ところで夏樹静子だけでなく、昭和に活躍した推理作家のガイドブックなど、どこか奇特な出版社さんがシリーズで出してくれないものかな。もちろんそう売れるとも思えないので渋るのは仕方ないけれど、昭和は推理小説も多く売れた時代だったし、出版社や印刷会社を支えてくれたはずである。せめて業績や生涯をきちんとまとめるぐらいの借りはあるのではないだろうか。
それにそういったガイドブックが最低各著者に一冊あれば、読者の広がりにも役立つだろうし、ミステリ業界として大きな文化的財産にもなる。なんなら日本推理作家協会とかが協力する手もあるし、いい企画だと思うんだけどな。