シヴォーン・ダウドの『ロンドン・アイの謎』を読む。児童向けに書かれた本格ミステリである。
まったく知らない著者だったが、英国の児童文学作家であり、ファンタジー作品を中心に翻訳もすでに何冊かあるらしい。ただ、2007年、本書の刊行二ヶ月後、四十七歳にして病気で亡くなっており、本作は著者の遺作となるようだ。
まずはストーリー。ロンドンで暮らすスパーク一家は十二歳のテッド、姉のカット、そして両親の四人家族。そこへニューヨークに移住することになったグロリア叔母さんと従兄弟のサリムがやってきた。アメリカへ渡る前に一泊か二泊泊まって旧交を温めようというわけだ。
そこで英国での思い出作りとばかり名物観覧車ロンドン・アイへ乗ることになった子供たち。チケット売り場の行列に並んでいると、見知らぬ若者がチケットが不要になったと言って一人分を譲ってくれる。そこでテッドとカットは下で待つことにし、サリムだけが観覧車のカプセルに乗り込んでいく。ところが一周を終えて帰ってきたカプセルにサリムの姿はなかった。いったいサリムはどこへ消えたのか。テッドは持ち前の頭脳を使い、カットと一緒に行方をつきとめようとするが……。

少年の消失という不可能興味一本でシンプルにまとめてゆくジュブナイル本格ミステリ。児童向けとはいえ伏線もきちんと貼られ、事件は論理的に解決されるなど、しっかりした作りである。もちろん児童向けだからそこまで複雑・悲惨なネタがあるわけではなく、そのため真相自体は予想されやすいのだが、ユーモアやスリルも程よく盛り込まれ、なかなか楽しく読める。
ただ、本作の最大のポイントは本格ミステリ云々ではなく、やはり主人公テッドのキャラクターであろう。テッドは特殊な子供で、論理的なこと、正確なこと、法則性には強いこだわりを持つ一方、コミュニケーションが不得手、曖昧な身振りや言葉に対する解釈を非常に苦手にしている。たとえば言葉を文字どおりに受け止めるから比喩が通じない。また相手の身振りや表情もすぐに察することができず、「眉が上がり口角が下がっているから、怒っている」と条件を観察することで判断する。
作中では「なんとか症候群」と書かれているが、これはおそらく「アスペルガー症候群」(現在は「自閉スペクトラム症」というらしい)を指しているのだろう。発達障害のひとつで、一般にコミュニケーションや想像力、イメージすることが苦手ではあるが、その反面、知能指数は高いことも多い。
そうした特殊な子供の一人であるテッドがどのように物事を考え、周囲の人々とどのように関わりを持とうとしているのか、それがテッド自身の一人称で描かれて大変興味深い。また、逆に周囲の人々はそういう特殊な少年をどう理解して向き合うべきなのか、この点でも考えさせられるところは多い。本作の登場人物たちにしても、テッドのことを気にかけてはいるけれど、実は完全には理解しておらず、時にテッドを空気のように扱ったり、知らず知らずのうちにテッドを傷つけたりする。特殊に見える人であっても、ひとりの人間として向き合うことの大切さ、著者はテッドにそのメッセージを託している。
さらに広く見てみると、テッドほどではないにせよ、カットやサリムもまた大人との溝を感じているシーンは多い。本作はそういった子供の価値観を汲んでくれない大人たち、一方的な価値観を押し付ける大人たちへの啓蒙でもあり、そんなハードルを超えていく子供たちへのエールでもあるのだ。
だからこそ本書はジュヴナイルではあるが、大人にこそ読んでもらいたい一作である。