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探偵小説三昧

天気がいいから今日は探偵小説でも読もうーーある中年編集者が日々探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすページ。

 

日影丈吉『内部の真実』(創元推理文庫)

 日影丈吉の長編はまだいくつか読み残しがあるのだが、実は傑作の呼び声も高い『内部の真実』を読み忘れていた。昨年の暮れに創元推理文庫版が出て未読であることに気がつき(全集をもっているというのになんという体たらく)、ようやく読了した次第である。

 こんな話。
 舞台は太平洋戦争末期の台湾。そこで日本軍人同士の決闘騒ぎが起こる。一方の苫曹長は銃殺され、もう一方の名倉という兵隊は頭部を殴打され、意識不明の状態だった。名倉の銃で苫曹長が撃たれたのなら話は単純だったが、状況証拠がそれを許さなかった。現場には拳銃が二丁残されており、名倉の銃は未装填、苫曹長のそばに落ちていた銃は一発だけ発射された跡があるが、どちらにも指紋が残っていなかったのだ。さらには現場にはもう一人いたのではないかという疑惑も浮かび上がり……。

 内部の真実

 おお、いいぞ。戦時中の台湾に駐屯していた日本軍という設定を見事に生かした傑作である。
 戦争を扱うミステリともなれば、題材ゆえの重さのせいか、たいていは謎解き的楽しみが控えめになりがちだ。ご法度というほどでもないだろうが、戦争という深刻なテーマが他のアプローチを許してくれないというか。つまり戦争を描くのであれば、きちんと戦争の悲惨さ愚かさも描くべきというイメージがあり、単にミステリの味付けや娯楽のためだけには扱いにくいのである。
 ただ、これはあくまで日本における話であり、欧米のミステリではこのへんのこだわりはいたって緩い。というかないも同然である。文化の違いは大きいのだろうが、まあ、やっぱり日本人は真面目すぎるのだろう。
 とはいえ日本でも戦争を実際に体験した世代の作家に関しては、この限りではない。やはり作家の側に強固なバックボーンがあるからだろう。戦時中は探偵小説そのものが壊滅状態だったけれど、戦後に復活した作家はけっこう戦争を題材にとることも多く、それらの作品の中には、戦争を扱いながら徹底した娯楽重視のミステリも少なくない。
 『内部の真実』はまさにそういう分野を代表する作品なのである。

 物語は小高軍曹という兵士の手記の形をとって語られる。基本的にはアリバイや証拠品の謎などが捜査の中心になるので、筋だけ追えばオーソドックスなものだが、この小高軍曹の手記というフィルターが曲者である。
 小高軍曹は序盤はいたって存在感の薄い人物で、手記とはいえほとんど三人称に近い感じである。派遣されてきた捜査班の動きを客観的に述べるにとどまっているが、容疑がある女性に目を向けられるあたりから様子が変わってくる。女性の容疑を晴らすべく、小高自身が一気に前面に躍り出て探偵役を務めることになるのである。
 さらには女性の容疑が晴れるものの、それは小高自身が容疑者となってしまったからで、以後は捜査班の勝永伍長が探偵役となって捜査を進めるという具合。しかもこの間も小高軍曹が語り手というスタイルは変わらない。
 読者もこれはいわゆる“信頼できない語り手”だろうと想像がつくものの、その真意は非常に見えづらく、そのなかで繰り返される推理はいい意味で混沌としており、非常に酔うことができた。

 本書の解説にもあるのだが、ところどころにアンフェアというか疵もあるのだけれど、異国情緒や切ない恋愛ドラマなども加味すれば、トータルでは十分に満足できる一冊。おすすめ。


日影丈吉『夕潮』(創元推理文庫)

 日影丈吉の最後の長篇となる『夕潮』を読む。本書はまず刊行されたエピソード自体が面白い。有名な話なのでファンやマニアの方々は何を今さらと思うだろうけれども、一応簡単に紹介しておこう。
 本書は1990年に出版されたハードカバー版の文庫化作品だが、初出は1979年にまで遡る。かの有名な探偵小説誌『幻影城』に、まず前半が掲載された。ところが経営に苦しんでいた版元が倒産し、当然ながら雑誌も廃刊。残りの原稿は発表される場を失ったばかりか、倒産のどたばた騒ぎで原稿が紛失するという事態にまで発展、遂には幻の作品となったのである。しかしながら十年の時を経て原稿のコピーが発見され、奇跡的に単行本として出版されることになったという。

 まあ、この曰くだけでごはん三杯はいけそうだが(笑)、内容も捨てたものではない、というか、これは著者の代表作に入れてもいいぐらいの傑作である。

 物語はヒロイン、鹿沼未知の一人称で語られる。彼女は遅ればせながらの新婚旅行で夫と共に伊豆の島を訪れていた。そこで知り合ったのは、夫の伯母にあたり、学生時代に感銘を受けた女流詩人でもある仁科秘女。自らの夫を若くして海で亡くし、その後、歌人として立った秘女に、未知は自然と惹かれ、親交を深めてゆく。
 そんなある日、未知の親友、瑠璃子が島を訪れ、海で溺死するという事件が起こる。しかもなぜか現場には一時帰京していたはずの夫が居合わせ、参考人として足止めされているという。夫はいったい自分に何を隠しているのか、未知の不安は募る……。

 夕潮

 日影丈吉の魅力はいろいろあるが、よくいわれるのが描写の細やかさ。特に心理描写については異論のないところだろう。犯罪者や被害者の心理をそれこそ重ねるようにして、丹念に描写していくところが実に見事で、フランス・ミステリ的と言われる由縁でもある。
 ただ、本書を読むと、それだけにはとどまらない独自の世界も広がっている。
 主人公の未知というのは、引っ込み思案な性格で、結婚していながらも成熟しきっていない文学少女というイメージ。感情移入しにくい面もあるし、いらいらする場面も多々あるわけだが、それでも繰り返し語られる彼女の意識の流れには、読むものを引きずり込まずにはおられない何かがある。夫や秘女に対するさまざまな思い、事件に対する意識、さらには(そしてこれが胆だったりするのだが)女としての喜びや夫婦生活といった性に関する思索などなど。
 ミステリとはあまり関係ない、要は文学的な香り付け、という性格がとりわけ強いのだが、さらにはこの描写が実はミステリ部分にも干渉するという構造で、この謎と叙情性が渾然一体となった様相が実に魅力的。フランス・ミステリの多くはそこまで重層的ではないので、この点では明らかに日影丈吉の方が上をいっている。
 また、未知の語りは決してストレートではない。いわゆる「信頼できない語り手」とまではいかないが、彼女自身が弱い人間であるため、常に周囲によってさまざまな影響を受けてしまう。したがって常にひとつぐらいは裏を読んでいかないと、未知の感情や事件の全貌は掴みにくいのがミソ。

 とはいえ、主要な登場人物は未知を入れても何と三人。驚くべき真相や意外な犯人という観点で期待するのは少々厳しい。だが、この濃密な作品にそんなケチをつける気は毛頭ない、っていうか、そんなもん日影丈吉に期待するなってことだ。
 エロスとサスペンスに彩られた心理ミステリー。文章のひとつひとつに酔い、未知といっしょに絡みとられていくことこそ本書の正しい読み方である。でも、そこそこ年をとらないと、この本の面白さは伝わらないかも知れぬ。ううむ。


日影丈吉『女の家』(徳間文庫)

 日影丈吉の『女の家』を読む。印象的なミステリを多く残した著者の作品群の中でも、とりわけ叙情性にあふれた傑作のひとつである。

 女の家

 銀座の裏通りにある一軒家で、主人の雪枝がガス中毒によって死亡した。雪枝は実業家である保倉の妾で、一人息子の幸嗣、そして三人の女中と共にひっそりと暮らしていた。所轄の小柴刑事は調査を開始するが、雪枝はかつて息子の家庭教師と不義の関係にあり、自殺未遂の過去もあったことが判明。いったんは自殺として処理を行うが、事件当夜に付近でガス工事があったという情報から、意外な展開を見せてゆく……。

 ううむ、これはいい。もともと世評の高い作品ではあるが、個人的な好みでいっても『応家の人々』や『孤独の罠』に匹敵するかそれ以上の読み応えがある。
 純粋にミステリ的興味を追求すると、実はそれほどのものでもないし、真相を予測するのも難しいことではない。やはり本書の胆はその語り口にある。さほどドラマティックとも言えないこの事件。しかし、その奥に秘められた真相は物悲しく、そこに到達するまでの人々や家族の情景がしっとりと綴られていく。まさに著者が好んだフランス・ミステリのタッチを、そのまま日本に置き換えたような作品で、独特の湿っぽさ、艶っぽさがとにかく味わい深い。
 構成も見事。本作は小柴刑事と年長の女中の一人称が交互に繰り返されるという結構を持ち、刑事のパートでは事件の進展を促し、女中のパートでは過去の因縁を少しずつ明らかにする。殺された被害者を回想シーンのみによって描くという手は、ミステリでは度々使われるが、そこで明らかになるのは事件の謎などではなく、人そのものだ。そのときどきでの女中の視点・心理は、妾である雪枝という女の存在を、じわじわと「炙り出し」のように浮き上がらせるのである。
 全集などではなく、ぜひ文庫として復刊しておいてほしい一作。


日影丈吉『咬まれた手』(徳間書店)

 エッセイや評論などを読んでいたりして、たまに目にするのが短編型とか長編型とかいう言い方。どちらかに特化した、あるいは得意とする作家というわけだが、さしずめエドワード・D・ホックなどは短編型作家の代表格だろう。また、日本の作家でも、江戸川乱歩などは本質的に短編の作家である、なんていう記述を見かけたりする。
 ところが何となくそういう刷り込みをされているものの、ふと気がつくと現代の作家は、意外と長編も短編も得意だったりする。ローレンス・ブロックやジェフリー・ディーヴァーらは長編型かななどと思っていると、意外に短編巧者だったりして、まあ結局、上手い人は何を書かせても上手いということなのだろう。

 しかし、この日本において、短編と長編でまるっきり評価が違う作家がいる。しかも優れた描写力と独自の作風で、日本の探偵小説史において偉大な足跡を残し、マエストロの名にもふさわしいほどの作家だ。誰あろう日影丈吉その人である(我ながら仰々しい)。

 日影丈吉の長編が短編に比べて落ちるというのは、マニアの間では常識だろうが、なんせ日影丈吉である。落ちるといっても他の作家に比べれば全然ましなはず、そう信じて、ここ数年ちんたらと読み続けてきたのだが、いやあ確かにちょっとしんどくなってきた(苦笑)。『応家の人々』や『孤独の罠』なんていう優れた作品もないことはないのだが、いかんせん打率が低いんだよなぁ。


 本日の読了本は、そんな打率を落とす方の長編、『咬まれた手』である。
 映画評論家の作礼藻二花は、年下の芸能記者、信吉と結婚したが、仕事の関係ですれ違いが多い毎日だった。そんな二人が暮らす家で、物がなくなるという事件が度々起こるようになり、二人はますます互いが信じられなくなる。そしてある日、藻二花が帰宅すると、部屋のソファで見知らぬ男が死体となって横たわっていた……。

 最初に出てくる登場人物が、作礼藻二花(さらい もにか)という名前で、いきなり挫けそうになるが、そこを我慢して読んでいくと、序盤はそれほど悪くない。被害者の正体に対する興味や映画の蘊蓄などでまずまず快調に引っ張っていく。
 しかし、中盤から物語の視点というか軸がまったく定まらず、後半はぐだぐだ。登場人物も少ない割に、変なところで描写が不足気味となり、盛り上がりにも欠ける。そしてとどめの、後味の悪い結末とオチ。ああ、日影長編の中でも本作はワーストに近いかもしれない。

 新書とはいえ古書価はそれなりにする本書。買う前に、本当にこれが読みたいのか、もう一度考えるべきであろう。


日影丈吉『一丁倫敦殺人事件』(徳間書店)

 ROM128号が届く。コニントンやコール夫妻、ジョン・ロードを初めとした英国本格派特集ということで、正にクラシックブームのど真ん中を行く作品が紹介されている。
 気になったのは長崎出版の今後の刊行予定。HPで既に紹介されているエドガー・ウォーレスやスーザン・ギルラスなど以外にも、マイケル・ギルバートやグラディス・ミッチェル、エリザベス・デイリー、コニントンなどの名が挙がっている。とりわけ驚いたのはM・D・ポーストとオースティン・フリーマンの二人。いくらなんでも凄すぎ。論創社もうかうかできないなぁ(笑)。

 本日の読了本は日影丈吉の『一丁倫敦殺人事件』。先日読んだ日影丈吉がいまひとつだったので、リベンジとばかりに。

 かつて東京の丸の内にあった煉瓦街の一角。その景色がロンドンの下町を彷彿とさせることから、そこは一丁倫敦と呼ばれていた。作家の私は小説のネタを求め、十数年前にこの地で起こったある事件にぶち当たった。
 それは付近の診療所で働く医師の怪死事件であった。死因こそ毒物によるものだったが、私の興味を引いたのは、額の真ん中に残る釘を打ち付けられた痕だった。おりしも事件当日には丑の刻参りを思わせる女性が目撃されており……。

 丸の内を舞台にオカルト趣味をトッピングした本格作品である。丑の刻参りに夢遊病患者、丸の内に忽然と現れる駱駝やイエス・キリスト等々、ストーリーを彩るオカルト要素はけっこう華やかで盛りだくさん。当時、地上げの波が押し寄せていた一丁倫敦に、いったい何が起こっていたのか。
 主人公の「私」が取材を続けるうちに、謎がまた謎を呼び、思った以上に展開は悪くない。個人的には、伝聞や回想でストーリーが進む作品は、本来あまり好みではないのだが、本作のようなタイプなら話は別だ。過去に起きた真実に一歩一歩近づいてゆくという一人称スタイルであれば、知的な緊張感は持続されるし(ストーリー的なサスペンスには欠けるけれども)、むしろ好ましく感じるほど。適切な例えかどうかはわからないが、ちょっとトマス・H・クックの記憶シリーズを連想させる。
 ただ、惜しいなあと思うのは、主人公「私」の役回り。それこそクックであれば、語り部を単なる語り部として終わらせることは滅多にない。主人公をも巻き込む強烈な仕掛けを施し、最後に深い感慨をもたらせてくれるのがだいたいのパターンだ。
 しかし残念ながら本作では、主人公と事件の関わりが予想以上に薄い。「私」はあくまで傍観者であり、ワトソン役なのである。途中までは「私」=ホームズ役というイメージで進むため、何らかの働きかけが主人公にあるのかと思っていると肩すかしを食ってしまい、そういうところで損をしているかもしれない。正直、犯人やトリックといった部分もあっさりめなので、主人公のキャラクターはもっと立てるべきではなかったか。
 悪い作品ではないが、日影丈吉のファンなら、といったところか。


日影丈吉『殺人者国会へ行く』(ベストブック社)

 日影丈吉の『殺人者国会へ行く』を読む。全集がある現在はともかく、ちょっと前まではなかなか入手しにくかった本である。管理人も長らく探していたが、先日、ネットオークションにてラーメン2杯分でようやくゲット。やっと読むことができた次第である。まずはストーリーから。

 衆議院予算委員会の二日目。野党である労社党の代表質問に立ったのは、副委員長の江差。彼はあるコンビナートの廃棄物処理に絡む汚職問題について、与党である資民党に対し、ある証拠をもって告発するところであった。しかし、まさにその直前、江差は青酸カリによって毒殺されてしまう。前代未聞の国会での殺人に、警視庁はベテランの敏腕刑事、仙波警部を捜査にあたらせたが……。

 今回、ややネタバレあり。

 出だしは日影丈吉らしからぬ社会派ミステリ。汚職にまつわる大物政治家の殺害ということで、これまで読んできたどの日影作品ともテイストは違う。で、本作はこの違いのために正直かなり読みにくい。
 単に政治を扱っている社会派だからとか、事件自体にほとんど動きがないとか、仙波警部が地味だとか、捜査もあまり進展がないとか、まあだれる要素はいろいろあるのだが(笑)、それにしても辛い。もともと日影丈吉の文章はさくさくっと事実だけを読ませるものではなく、味わって読みたい文章である。それが扱う内容と見事に拒絶反応を起こし、消化不良になってしまった感じである。
 また、後半に入ると面白いことに、意外な探偵役の登場や密室など、本格のコードが織り込まれてくる。ところが、それはそれで前半からの流れにうまく乗っていない感じで、なんともチグハグな印象しか受けない。いろいろと詰め込みたかったのか。それとも社会派であっても本格が成立するところを見せたかったのか。あるいは当時流行の社会派的味付けを加えたかったのか。何か狙いはあったのだろうが、なにせ舞台設定が政界なだけに、本格という娯楽最優先のコードはどうしても浮いてしまう。
 おまけに真相も中途半端。何より作者の眼が社会悪とか巨悪には向けられていないのが不満だ。こういう大きな社会問題を扱いながら、それをうっちゃってしまって個の殺人に収束させるべきではない(絶対駄目というわけではなく、上手にやってくれればOKなんだけどね)。そもそもこんな動機で、国会で殺人を起こしちゃだめだって。
 本作は、相反する要素をむりやり詰め込んだ失敗作といっていいだろう。そもそも社会派風にしなきゃよかったと思うのだが……。それをいっちゃあお終いか。

日影丈吉『多角形』(徳間文庫)

 日影丈吉の『多角形』読了。
 月刊誌「木星」の編集長、落合のもとへ無名の作家から投稿原稿が送られてきた。伊豆のある地を舞台に、新旧の病院の対立を背景にした推理小説である。技術的にはさほどのことはないと思われたその小説だが、不思議と落合を惹き付けるものがあった。ただ、後半が省かれていたため、どのようなラストが待ち受けているのか判らず、犯人もトリックも伏せられたままであった。
 落合は休暇がてら作品の舞台と思われる蘭生へ訪れることにする。そこではなんと小説そのままの人々が、小説そのままに争いを起こしているではないか。この小説は果たして実話なのか? そんななか争いごとの一方の当事者、宇佐院長が車の事故を装って殺されるという事件が起こる。警察の捜査とは別に、落合は独自に調査を開始するが……。

 本書は主人公落合が精神科医に語った話という設定で記述される。いわゆる叙述形式であるが、さらには途中から新聞記者、洲本という人物が登場し、彼の目を通しても事件が記述される。ミステリマニアならこの時点で、ある種の仕掛けが存在することを想像できるだろうが、まあ、古くさいというなかれ。書かれた時代を考慮すれば、この手はけっこう新鮮であり、物語にはすんなり引き込まれてゆく。作者には明らかにこのミステリ的仕掛けを楽しんでいるふしもあり、しかも登場人物たちにミステリ論を語らせるなど、遊び心に満ちた一冊であるといえるだろう。
 ただ、アイデアありきという面が強く、強引というほどではないにせよ話を書き急いでいるふしもみられるのが残念。無名作家の扱い、落合と酢本の記述の書き分けなど、もっとじっくり書いてもいいのにと思う。特に酢本の描写に関しては落合に比べて淡白というか、かなり物足りない。また、先日読んだ『移行死体』もそうだが、発端に比べて終盤はいまひとつ盛り上がりに欠けるところがあり、やはり基本的には長編に向いていない作家だったのだろうか。作者のミステリを語るときに忘れたくない作品ではあるが、代表作とは言い難いだろう。


日影丈吉『移行死体』(徳間文庫)

 きつい一週間を乗り切り、土日はぼーっと過ごす。嫁さんは実家へ帰省中、外は突風が吹き荒れ(天気はいいのに空は砂で真っ黄色という壮絶な天気)、おまけについFFXIIまで買ってしまったので、ほぼ引きこもって、ゲームやら読書やら。

 読了本は日影丈吉の『移行死体』。
 家賃滞納でアパートを放り出された大学生の宇部は、その先輩である画家の甘利のところに転がり込んだ。しかし甘利も家主の鳥山に立ち退きを迫られている身。甘利は鳥山が行っている政治活動も日頃から面白く思っていないため、ついに鳥山の殺害計画を立て、宇部を無理矢理仲間に引き入れる。そして殺人は決行された……だが、なぜか鳥山の死体があるべきビルの屋上から消え失せ、しかもその死体が300kmも離れた八丈島で発見されたのである。

 当たり前の話だがたいていの作家には作風というものがあって、日影丈吉のそれは通常だと幻想的・抒情的なものとして語られることが多い。だがそれは短編に限っての話であり、長編では正直それほどまとまったイメージがなく、どちらかというとバラエティに富んだ作品を残している。
 しかしそのバラエティが曲者であって、いわゆる本格だとかスリラーだとかというミステリの一般コードでは収められない、微妙な外し方をしているのが、日影長編の最も大きな特徴といえるかもしれない。『移行死体』もまた、そんな妙な作品のひとつである。

 例えば本作では、殺人犯が主人公という倒叙形式をとっている。しかし警察からの追求を逃れるとか、そういう類のサスペンスはあまり押し出されておらず、遠く離れた場所で見つかった死体の謎について探るという、どちらかというと本格の形をとっているのである。
 だが、本格の形をとっているとはいっても、主人公の二人は探偵ではなく、単なるモラトリアムな青年たち。純粋な推理合戦とまではいかず、中途半端な調査をしたり、根拠のない推理をたてたりと、これまたぬるい展開を見せていく。
 もしかしたら本作の魅力は、このぬるさにあるのかもしれない(作者がどこまでこれらを計算していたのかは知るよしもないが)。ユーモアとも少し違う、この適当な主人公たちの迷走ぶり。感情移入しにくいはずの登場人物ばかりなのに、不思議に嫌悪感を感じず、それどころか妙に心地よい読後感。なかなか捨てがたい一作である。
(だが、正直なところ、作者はけっこう真面目に本格を書こうと思っていた気はするんだよなぁ。この見極めが何とも難しい……)


日影丈吉『応家の人々』(徳間文庫)

 日影丈吉『応家の人々』読了。言わずとしれた代表作だが、これが初読。飾ってある全集が泣きますな、これでは。
 こんな話。台湾がまだ日本の植民地だった時代。久我中尉はある三角関係を巡る殺人事件の調査を命令される。それは単なる殺人の捜査ではなく、その裏に潜むやもしれぬ思想犯を追求するためだった。久我は三角関係の中心人物でもある未亡人、珊希に近づいて捜査を進めていくが、やがて珊希を取り巻く男が次々と死んでいく事実に直面する。だがいつしか久我も、珊希の妖しい魅力に惹かれていくのだった……。

 ううむ、こういう書き方は嫌だが、文学的な探偵小説とはこういうものをいうのだろう。以前に読んだ『孤独の罠』もそうだが、ミステリ的な興味と人間ドラマが見事に渾然一体となり、これに作者ならではの味付けが加えられて何ともいえない味わいを見せている。占領下の台湾といってもこちらの知識は乏しいし、当時の雰囲気などわかるはずもないのだが、少なくとも本書の舞台から漂う空気は十分に感じることができるのである。独特のけだるさというか、湿気というか、たまらない憂鬱感が全体を覆い、悪女の性、家族のしがらみ、男女の因縁などを醸し出している。その手際のなんと見事なことか。加えて主人公のスッキリしない「立ち位置」も絶妙。これが熱血漢やクールな男性では、この味は出ないであろう。
 ある意味、本作は幻想小説であり、作者は読者を鬱なる桃源郷へと誘っているのだ。


日影丈吉『ふらんす料理への招待』(徳間文庫)

 青梅は吉野梅郷に梅見物。我が家での毎年の恒例行事になってきたが、今年は初めて梅祭りに遭遇。っていうかこんなに盛大にやっていたとは知らなんだ。天候にはまずまず恵まれたが、かなりの寒さで早々に帰宅。あ、梅はもちろん見事でした。

 日影丈吉の『ふらんす料理への招待』を読む。
 著者の日影丈吉が作家になる以前、フランス料理のシェフたちにフランス語を教えていた話は有名だが、その絡みで氏もフランス料理への造詣が深まっていったらしい。本書はその成果の一端を知ることができるエッセイ集だが、少しはミステリにちなんだ話も出てくるかと思いきや、これがまったく無し(笑)。ミステリ的興味で読もうと考える人がいるなら、その必要は一切無いと断言できる。
 ただ、純粋にフランス料理についてのエッセイが読みたいという人なら、けっこう満足できるのではないか。書かれた時期が古いだけに情報的な部分での不安はあるが、文章が読みやすいうえに話も面白いので、少なくとも下手な類書よりは全然楽しめるだろう。探偵作家の余技を超えた、トリビア的一冊。


プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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