国書刊行会の〈奇想天外の本棚〉から、アルジス・バドリス『誰?』を読む。かつて朝日ソノラマから『アメリカ鉄仮面』という身も蓋もないタイトルで出ていたものの新訳版。著者は幼少時にリトアニアからアメリカへ移住し、その後SF作家となった人物で、本作も冷戦をテーマにしたSFサスペンス。ちょうどマイブームのSFミステリにも一致してナイスタイミングである。
まずはストーリー。時は冷戦化、連合国政府とソビエト支配圏の境界付近にある研究所で爆発事故が起こる。そこではアメリカの天才物理学者ルーカス・マルティーノが極秘のK88計画を進めていたのだ。しかし、境界付近にあった事故のため、いち早く駆けつけたソビエト側の救助隊が、瀕死のマルティーノを確保してしまう。
そして三ヶ月。交渉の末にようやくマルティーノの身柄が返還されることになった。だが、国境線のゲートから現れたのは、変わり果てたマルティーノの姿だった。頭部は金属の仮面ですっぽりと覆われ、体のいたるところが金属部品でサポートされている。迎えに来た連合国側の責任者ロジャーズすら思わず声を失っていた。
だがそれは問題の始まりに過ぎなかった。そもそも彼はそのような姿で生き続けることができるのか? 彼は本当にマルティーノなのか? 彼はなぜ解放されたのか? 彼は洗脳されているのではないか? さまざまな疑問が浮上し、ロジャーズは真偽を突き止めようとするが……。

ああ、これは好みだ。何というか、一応はSFミステリという形式ではあるのだが、著者の目指すところにちょっクセがあって、変な魅力がある。
ひと口にSFミステリといってもさまざまな形があり、
「SFミステリとは?」という記事でその辺りも少し突っついてはみたのだが(考察の余地がまだいろいろあるけれど)、本作などはとりわけ分類しにくい一作である。
とりあえず作品内では現実に不可能な科学技術を扱っっていることもあるし、ひとまずSF的な要素は満たしている。しかしながらストーリーに関してはそこまでSFっぽいものではなく、むしろ冷戦をテーマとしたリアルなスパイ小説、たとえば亡命や寝返りといったネタを扱ったル・カレやフリーマントルなどの代表作を連想させる。
しかも、マルティーノという人物の正体という謎を中心に置くことで、本格ミステリでも定番の「顔のない死体」、いや、マルティーノは生きているから言ってみれば「顔のない生者」とでもいうようなアプローチを持ってくる。
いや、そこまでやれば十分にSFミステリでしょう、と普通はなる。本作の面白いところは、後半でそういった様相がガラリと変わってくることだ。よくあるエンタメ小説なら、マルティーノの正体を探るべくそこからさらなる両陣営の謀略が企てられ、サスペンスを盛り上げるところだろう。
しかし、本作は違う。マルティーノが科学者として名声を得るまで半生が語られ、さらにマルティーノか関わったかつての恋人や恩師を訪ねて歩く様子が描かれるのである。とはいえそれは喜びを噛み締めるような再会ではなく、苦い感情しか残らない。ただ、肝心なのは、その理由が今の不気味な仮面を被った自分にあるのではなく、かつての自分が仮面を被ったような人間だったからである。ここがミソだ。
もちろんストーリーとしての最大の謎は、マルティーノが本物かどうかにある。しかし、本作の最大の興味はマルティーノという人間の中にこそあるのである。そういう意味で本作はSFミステリではあるけれど、もはやそういうジャンルを超えた作品なのかもしれない。正直、SFとしてもミステリとしても粗は多く、万全とはいえないのだけれど、個人的にはこの歪な構成とテーマこそ実に魅力的であり、忘れ難い一作である。