SFミステリ読破計画を一歩前進。アルフレッド・ベスターの『分解された男』を読む。テレパシーを使えるエスパーが活躍する未来世界で、犯罪者と警察の対決を真っ向から描いており、ミステリ的には倒叙ミステリあるいは警察小説のスタイルをとった作品でもある。
ベスターといえば何といっても『虎よ、虎よ!』が有名だろう。SFはあまり読んでこなかった管理人ですら、大学の頃に読んだ記憶がある。ベスターはSF的ギミックがとにかくカッコいいので、あまり意識することはなかったけれど、いま思えば、『虎よ、虎よ!』もSF要素を取り払うと根っこは復讐を軸にした凄絶な人間ドラマと見ることもできるわけで、本作もそうだけれど、従来の大衆小説をSFとして昇華させるのが上手い作家なのかもしれない。まあ、二作しか読んでないので単なる思いつきだけれど(笑)。

さて、『分解された男』だがこんな話。
時は二十四世紀。科学の進歩のみならず、人類にもまたエスパーとして進化した者が出現し、数は少ないながらも社会の要職で活躍していた。エスパーは心を読むことができるテレパシー能力を持つため、この時代には計画殺人などは起こらず、また、起こそうとしても不可能な時代であった。
そんな中、モナーク物産の社長ベン・ライクは、苦戦を強いられているライバル企業の社長ド・コートニーに共同提携を提案するが拒否されてしまう。このままでは破滅しかないと、ライクはド・コートニー殺害を決意する。ライクはエスパーの一人を買収して計画を実行。殺害には成功するが、被害者の娘に目撃され、挙句に逃げられてしまう。
捜査に乗り出した第一級のエスパーでもある刑事リンカン・パウエルは、すぐにライクによる殺人を確信し、娘も確保するのだが……。
これは面白い。本作はベスターの長編デビュー作でもあるのだが、テレパシーを視覚化する工夫やタイポグラフィを駆使した見せ方、エスパーの存在による格差社会や差別問題など、惜しげもなく硬軟とり混ぜていろいろなアイデアが盛り込まれているのがまずお見事。タイポグラフィなどは今ではさすがに目新しくないとはいえ、1953年という発表年を考えれば、これは驚異的である。
また、警察と犯罪者の対決も熱い。こちらはアクションもあるけれど、やはりメインは心理戦。犯人側のベン・ライクは通常人で特殊能力は備えておらず、そんな人物がエスパーを相手に心理戦なんて、と思うところではある。
しかし、ライクは単なる悪党ではない。エスパーたちに嫉妬しつつも彼らを利用するという強かな面を持ち、エスパーしか出世できないような世界で頂点に上り詰めようとする、類まれな精神力や行動力の持ち主なのだ。あの手この手で刑事パウエルに対峙し、パウエルにすら認められ、恐れられる人物でもあるのだ。
とはいえ、感情に流される面もあるし、ときには弱みも見せる。そして何より重大なこととして、夢の中に出てくる「顔のない男」の存在に怯えてもいる。その複雑な人間味が魅力的で、本作はピカレスクロマンの香りすら漂っていると言えるだろう。
SFミステリという観点ではどうか。警察と犯人の対立構造、動機や犯罪方法などをカギとして、倒叙ミステリ的に展開するストーリーなど、要素としては十分だろう。また、「顔のない男」の秘密や真相などもミステリのサプライズに近く、ミステリファンでも十分に楽しめるのではないだろうか。根本的なところではやはりSFであることを実感できるけれど、ベスターがかなりミステリの手法を参考にしているのは間違いないだろう。
なお、ひとつケチをつけるとすれば翻訳。古いということもあるのだろうが、むしろセンスの方か。全体的なべらんめえ口調だったり、落語や講談あるいは往年の日活アクション映画のような言い回しが多用されていて、それがあまりに作品世界とそぐわない。本作はハヤカワ文庫版『破壊された男』もあるので、そちらと比べてみたいものだ。